第27話 自分のものじゃないみたいに

 それから悠治ゆうじは時々、〈ロックミュージック研究会〉の部室に顔を出すようになった。

 毎日じゃないのは、本人曰く『他にもやることがあるから』らしい。一体何をしているのかは知らないが、悠治のことだからきっと都市伝説に関連することなのだろう。

 

 悠治が来る時は、どういうわけかアオは部室に姿を現さなかった。悠治が部室に来る時間はまちまちで、放課後になってすぐのこともあれば、下校時間すれすれの数分だけということもあった。それなのにアオは悠治が来ることがわかっているかのように、悠治と鉢合わせることがなかった。それが悠治の言う『アオは存在していない』というめちゃくちゃな説を肯定しているように思えた。


 今日は悠治が来ない日なのだろう。目の前でギターをかき鳴らすアオの横顔を眺めながら、ぼんやりとそんなことを思う。

 悠治は、アオが存在しない、だなんてトンデモな説を唱えているが、そんなこと微塵も思えない。マジマジと見てみれば、アオにはそれくらいの存在感がある。こんなにハッキリと見えていて、声だって聞こえる。

 今だって少しだけ開けた窓から吹き込む木枯らしの断片に、髪の毛を揺らしながらギターを弾いている。


 髪を揺らしていた風が止むのと同時に、アオはそれまで気持ちよさそうに弦を弾いていた手を突然止めた。


そうくん。バンドを組むって話は、結局どうすることにしたの?」


 井口いぐちさんの『一緒にバンドをやってほしい』という謝礼への応えは、まだ保留にしたままだ。

 井口さんから一緒にバンドをやってほしいと言われたことを告げたとき、アオはやった方がいいともやらない方がいいとも言わなかった。ただ、青山あおやまさんと似た表情を浮かべるだけだった。


「いや、まだなんとも。どんな謝礼でもするって言ってしまった手前、できませんってのが通らないってのは分かってるんだけど、俺なんかのギターの腕前でバンドってのもなぁと思って」


 音楽が嫌いだから気が乗らないとは言わなかった。

 アオはジッと俺のことを覗き込むように見つめていた。俺は目を合わせていることができずに、思わず視線を落とす。


「な、なんだよ」

 

 視界の隅に映るアオに動いた様子はない。そのまま俺の方を見続けている。


「奏くんはどうしたいの? お礼をするのも大事だと思うし、ギターの腕を気にするのも分かるけど、まずは奏くんがどうしたいかが一番なんじゃない?」


 自分がどうしたいか。そんなこと分かりきってる。バンドなんかやりたくない。やりたいわけがない。そのはずなのに、どこか腑に落ちないものがあった。

 うまく説明できないけれど、自分の感情であるはずなのに、自分のものじゃないみたいに、頭で考えて出す結論と違うものが俺の中のどこかにあるような気がしていた。


「自分の気持ちが分からなくなっちゃった?」


 アオはそんな俺の心の内を見透かしたように言った。


「それなら、ひよりちゃんに訊いてみたら?」


「なんでそこでひよりが出てくるんだよ」


 思わず声を荒げてしまう。

 アオの口からひよりの名前を聞くのは、あまり気持ちのいいものではない。

 どういう理屈かは分からないが、アオは自分のせいでひよりの声が出なくなったと言っていた。自分が青山さんの願いを叶えてしまったからだ、と。その言葉の意味するところは分からないが、アオが青山さんと同じくひよりの声を奪った張本人だとするなら、軽々しくひよりの名前を口にしてほしくはない。


「ごめんね。私が軽々しく名前を出すべきじゃないのは分かってるんだけど、でも、ひよりちゃんの意見を聞いた方がいいって、そう思う」


 またしてもアオは俺の考えを見透かしているかのようなことを言う。


「なんでだよ。バンドを組むことと、ひよりは関係ないだろ。むしろ、今のひよりに俺がバンドをやるなんて言うのは残酷で悪影響だと思うがな」


 歌うことが大好きなひよりは今、その歌を歌えない。それなのに、俺が呑気にバンドをやるだなんて言い出したらきっといい気はしないだろう。歌うことができなくなった現状をより嘆いてしまうはずだ。

 しかし、アオは俺のそんな考えを否定した。


「悪影響なんかじゃないよ。ひよりちゃんはきっと真剣に考えて、奏くんにとって一番だって思える答えをくれると思うよ」


 まるでひよりの答えが分かっているかのようだった。

 俺にだってある程度予想はついている。だから、ひよりに結論を委ねたくないというのもある。


「絶対にひよりちゃんに話してみるべき」


 でも、アオにこう言われると、ひよりに委ねてみるのが一番いいような気がしてくる。

 俺は曖昧に返事をして、どうするかは決めないまま家に帰った。

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