第26話 なんでもするって言ってただろ?

 その場にいる全員の視線を集めた井口いぐちさんは、照れくさそうに泳がせた視線を何もないところに固定した。そして、ゆっくりと口を開く。


「謝礼」


「えっ? なに?」


「謝礼だよ。なんでもするって言ってただろ?」


「そりゃ、言ったけど。謝礼って一緒にバンドをやることなの?」


 半分冗談みたいなもので、ちょっとした嫌がらせなのかとも思ったが、本気で照れくさそうにしている井口さんを見ると、どうやらそうではないらしい。それにここに来る前、井口さんは俺たちに楽器ができないか? と訊いていた。


「そうだよ」


 そっぽを向きながら、ぶっきらぼうに応える井口さんの眼差しは真剣だった。


「だから、楽器はできるかって……?」


「そうだよ。貫井ぬくい。あんたはギターが弾けるんだろ? それなら初野はつのはドラムを叩け。アタシはベースをやる。」


 井口さんは早口で俺と悠治ゆうじに命令した。

 俺と悠治はお互いに井口さんの真意を確認し合うように顔を見合わせる。いくら顔を見合わせたところで、井口さんの真意が分かるはずはない。しばらくそうした後で、悠治の方が先に覚悟を決めたようにゆっくりと深く頷いた。


「いいよ、バンド。やろう」


「ちょっと、待て。さっきと言ってることが全然違うぞ。それにそんな安請け合いして、大丈夫なのか? お前、ドラムなんか叩いたことないだろ?」


「なんだよ。お前、ちょっとギターが弾けるからってマウント取ってるのか?」


「いや、そうじゃなくて……」


 悠治の出した応えは、俺の考えとは違っていた。

 

 ギターが弾けるといったって、俺の腕前はバンドで演奏するほどではないし、悠治に至ってはおそらく今まで一度もドラムを叩いたことがないはずだ。

 それになにより、俺は音楽が嫌いなのだ。そんな俺がバンドなんて、できるはずがない。やりたくもない。


「井口のオーダーは、バンドを組むことなんだろ? どんな謝礼にも応えるって言った以上、応えないわけにはいかないし、井口はバンドを組みたいと言っただけで、クオリティにまでは言及してないんだ。組むだけなら一応俺たちにもできる。それができることなら、やるしかないだろ」


「そうかもしれないけど……」


 俺は音楽が嫌いなんだ、という言葉をすんでのところで飲み込んだ。


「どんな謝礼でもするって言ったのはお前だろ? 俺は了解した覚えはない」


「お前は俺より先に青山さんの家に案内してもらったんだろ? もらうものだけもらって、それで無関係は通らないと思うぞ。それに、バンドは二人じゃ組めない。井口の謝礼ってのは、最初から俺たち二人を入れた三人でバンドを組むことを予定してたんじゃないか?」


 見ると井口さんは、まだ俺たちから目線を外したままだった。けれど、悠治の言葉には無愛想だけどハッキリと頷いている。


「それ以外の謝礼ってわけにはいかないの?」


 ダメ元で訊ねてみる。井口さんは考えることもなく無機質に首を振った。


「どうする? 俺は〈ロックミュージック研究会〉に入ること自体、やぶさかじゃないと思ってたんだ。そうしないと噂の真相には辿り着けない気がしてたからな。それでまぁ加入するなら何か活動しないわけにはいかないし、バンドをやるのも暇つぶしにはいいだろう」


 悠治はどこまでいっても都市伝説の解明を行動原理にしているようだった。〈ロックミュージック研究会〉に入るのはあくまでも噂の真相解明が目的であるし、井口さんの求めに応じてバンドを組むことを了解したのも噂の真相解明に何かしら役に立つと考え直したのかもしれない。

 

 チラリと青山さんの反応を見る。

 青山さんは顔を俯けていた。以前よりも伸びた前髪に隠れてその表情を窺い知ることはできない。


「少し考えさせてくれないか?」


 俺は悠治と井口さんの両方に向けて言った。悠治も井口さんもほぼ同時に肩をすくめる。構わないという意味のジェスチャーだと思うが、性格にあまり似たところがないように思える二人の反応がこんなところで奇妙に一致する。


「まぁ、選択肢はないと思うけど、突然だったからな。よく考えるのはありなんじゃないか?」


 まるで俺の出す結論はもう決まってるとでも言いたげだった。


「それから、バンド云々うんぬんは置いておいても俺は〈ロックミュージック研究会〉に入るからな」


 悠治が付け足すように言った。


「私、やっぱり辞めなければよかったな……」


 再びそう呟く青山さんの声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る