第21話 まるで逃げ道を残しているみたいだな

 部室の古い板張りの扉を開くと、冷たい空気が頬に触れた。冷たい空気がヒリヒリと頬の皮が引っ張る。

 部室の室温は。外気温とほとんど変わらなかった。冬だというのに、窓が開け放たれているせいだ。


 こんな風に窓が開いている時は、決まってアオがいる。

 

 部室の真ん中でこちらに背を向けて座っているアオは、振り返ると、驚いたように目を大きく開いた。

 俺が声をかけると、アオはにっこりと笑って頷く。


「今日は来てんだな。それはそうと、なんでいつも窓、開けるんだよ。いい加減、寒いだろ?」


「うーん、だってこの部屋、空気がすぐよどむでしょ? 多少寒くても、私はこっちの方がいいから。冷たい空気が気持ちよくない?」


 アオは部室に来ると必ず窓を開け放つ。夏は全く気にならなかったが、秋になり、冬になってもアオは必ず窓を開ける。それがアオがいる合図になっているのだが、最近は寒くて仕方がない。


「分からなくもないけど、ずっと冷たい空気にさらされるのはな。……なぁ、閉めてもいいか? やっぱり寒いよ」


 訊くとアオは頬を膨らませて「いいけど、ほんのちょっとだけ開けておいて」と言った。毎度のことながら、まるで逃げ道を残しているみたいだな、と思う。


 悠治ゆうじはその間、俺の隣で一言も発さず、挨拶もしなかった。顎に指を当てて、観察するようにジッと様子を伺っている。


「今日は友達を連れてきたんだけど、構わないよな?」


 アオは部外者なのだから、いちいち許可を取る必要もないのだが、なんとなく訊いてしまう。俺にとって、アオは〈ロックミュージック研究会〉の一員と変わりなかった。

 アオはチラリと悠治の方を見たが、すぐに興味を無くしたように視線を俺に戻して「別に大丈夫だよ」と頷く。


「確か、会ったことあったよな? あの時は特にお互いに挨拶とかしなかったと思うけど……」


 確認するように悠治の顔を見るが、悠治は何も言わないままだった。相変わらず黙って観察するように見ている。

 悠治は元々アオのことをあまりよく思っていないようだから、なんとなく気まずい。


「こいつ、俺の友達で初野悠治はつのゆうじ。都市伝説が好きで、〈ロックミュージック研究会〉の噂もこいつに教えてもらったんだ」


「ふ〜ん、そうなんだ」


 アオの反応はあまりにそっけなかった。人見知り、というわけでもないはずだ。普段のアオとはまるで違う反応に戸惑う。


「えっと……入部とかそういうわけじゃないし、今後こいつもここに通うとかそういう話じゃないから。な?」


 今度は悠治の方に話を振る。

 悠治は首を僅かに傾げて「そうだな」と言った。そして、それっきりまた黙ってしまう。

 

 ふと、悠治が部室に来ると言いだした理由を思い出す。確かめたいことがあると言っていた。何を確かめるつもりなのかは秘密だとも言っていた。

 ここに来てからの何かを観察するような素振りは、その作業の一環なのだろうか。もしそうなら、悠治の確かめる対象には俺も含まれているのかもしれない。なんとなく居心地が悪い。


「ところでそうくん。今日は何する? またギター弾く?」


 アオは悠治のことを半ば無視して、さっきまでとは打って変わって声を弾ませた。

 アオが指差した先には青いギターが、入部してすぐに買ったスタンドにちゃんと立てかけてある。

 このまま気まずい空気の中突っ立っているのも居た堪れない。アオの言葉に頷いてギターの方へと向かう。背中から悠治が「あぁ、そのギター」と言うのが聞こえた。


「弾くのか?」


 ギターを手に取って構えると悠治は、少し驚いたように言った。


「他にすることもないし、アオのご希望だからな」


「そうか。弾けるようになったのか? 随分前に買ったとは聞いたけど、挫折したものだと思ってた」


「うーん、まぁ。前よりは多少弾けるようにはなったと思う。そういう意味では〈ロックミュージック研究会〉に入った意味はあったかもな」


 冗談めかして言うと、悠治もそれまでの観察するような目を緩めて微笑む。


「何弾こうか。何かリクエストあるか?」


 いつもはアオのリクエストに応えて弾くのだが、今日は悠治がいる。せっかくだからと、リクエストを募ったが、悠治は「なんでもいいよ」と応えた。

 仕方なくアオを振り返ると、アオは『ロックミュージック研究会』の『Four Years Later』という曲をリクエストした。

 

 ややこしいが、アオがリクエストした『ロックミュージック研究会』というのは、俺が会長を務めている〈ロックミュージック研究会〉のOBOGで、プロとして活動しているバンドの名前だ。かつて所属した部活と同名のバンド名で活動しているらしい。

 この学校にはプロのミュージシャンになった卒業生が多くいる。その全てが〈ロックミュージック研究会〉の出身なのだ、とアオは教えてくれた。アオがなんでそんなことまで知っているのか疑問だったが、訊くことはしなかった。


 この半年間、個人的に弾きたい曲があったわけではない俺は、自然とアオのリクエストする曲を練習するようになっていた。今リクエストを受けた『Four Years Later』という曲もアオからリクエストされて最近覚えた曲だ。

 俺はアオに教えてもらうまで『ロックミュージック研究会』というバンドを知らなかった。それはどうやら悠治も同じようで、演奏が終わると拍手も感想もなく「いい曲だな」と口にした。


「今のはこの学校の卒業生の曲だな。それなりに有名らしいぞ。とはいえ、俺もアオに教えてもらうまで知らなかったけどな」


「なるほど。アオって子はそんなことまで教えてくれるのか」


 何がなのかは、いまいち分からないが、悠治の口ぶりは真剣なものだった。


「そういえば、青山あおやまさんはアオって子に〈ロックミュージック研究会〉の噂を教えてもらったって言ってたよな?」


「えっ? あぁ、そうだったと思うけど」


 アオがここにいるのだから直接訊けばいいのに、悠治はアオとコミュニケーションを取らないようにしているように思える。それほどアオをよく思っていないということなのだろうか。

 なんとなく悲しい。

 できれば悠治にもアオと仲良くしてもらいたいところなのだが、目を合わせることすらしない。悠治にそれを望むのは不可能なように思えた。アオの何がそこまで気に入らないのか、俺には分からなかった。

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