第18話 声が出なくなったのは、莉子がそう願ったから
「
そして、別れ際、井口さんは「頑張ってそのアオって子を探すんだね」とぶっきらぼうに言った。励ましの言葉と受け取っておく。
とはいえ、俺にはアオのいそうな場所は、〈ロックミュージック研究会〉の部室くらいしか心当たりがなかった。
他に探しようがないから、自然と足は
古ぼけた校舎の下に立って、ふと部室の辺りを見上げると、相変わらず窓が開いている。中から外に吹き出る風に煽られたカーテンが膨らんでいた。
アオに会うことができたとして、俺は酷い言葉をぶつけたことをまず最初に謝るべきなのかもしれない。
何度も何度も謝るアオを無視して、俺は口汚く罵った。そのことを謝らなければならない。
けれど、何故アオはあのとき何を言われても否定しなかったのだろう。アオが否定しなかったから、むしろ、認めたも同然の振る舞いを見せたから、俺はアオがひよりの声を奪ったのだと信じた。
何故俺に、そして、青山さんに、自分のせいでひよりの声が出なくなったと言ったのか。
謝った後は、その理由を確かめたい。
部室のドアは閉められていた。外から中の様子は分からない。
ドアに手をかけてほんの少し力を加えてやると、年季の入った板張りのドアは滑るように開いた。
中から埃臭い風が抜けて俺の鼻を掠める。
中にはアオがいた。いつかと同じように、こちらに背を向けている。いつかと違って、青いギターはない。
「アオ……」
声をかけると、アオはゆっくりと振り返った。顔の動きに少し遅れて青いラインが流れる。
「
「アオ。ごめん。この前、俺、酷いことを言った。本当にごめん。ひよりの声が出なくなったのは、青山さんがそう願ったから、なんだろ?」
アオは否定も肯定もしなかった。アオと青山さんは仲が良かったみたいだから、もしかしたら、アオは青山さんを
「青山さんから聞いたよ。〈ロックミュージック研究会〉の噂のことも、それをアオから教えてもらったってことも。それから、文化祭ライブを見ていて、ひよりの声が出なくなればいいと願ったことも。その結果、本当にひよりの声が出なくなって、その責任を感じてるってことも」
「そっか……。
俯き気味のアオは、苦笑いのような笑みを浮かべて目を細めた。どこか懐かしんでいるようにも見える。
「青山さんは俺がひよりの兄貴だって知った上で、それでも話してくれたよ。相当な覚悟だったと思う」
「うん、莉子はいい子だから」
「なぁ、アオ。なんで話してくれなかったんだよ。前にここで俺がお前を責めた時、なんで青山さんが願ったから、ひよりの声が出なくなったんだって、そう言わなかったんだ?」
アオは俯いたまま小さく「ごめん」と呟いてから、ゆっくりと顔を上げた。
「莉子が可哀想だから。莉子が悪者になっちゃうのは、嫌だから……」
悪者なんかにしない、と言いかけて、口を閉じる。あの日の自分を思い返すと、とてもそんなことは言えない。
「俺はただ、ひよりの声を……元に戻したいんだ」
そう言うのが精一杯だった。もちろん、青山さんを責めるつもりはないが、アオは信じてくれるだろうか。
アオはしばらく考え事をするように目を閉じていた。そして、一度大きく頷いて目を開けた。
「奏くんが聞いたとおり。奏くんの妹さんの声が出なくなったのは、莉子がそう願ったからだよ」
答え合わせをしたような気分だった。青山さんから聞かされた時ほどの衝撃はない。やっぱりそうなのかと、ただそれだけだった。
「お前は青山さんにも、私のせいだって言ったんだろ? それは青山さんに〈ロックミュージック研究会〉の秘密を教えてしまったからって、そういう意味なのか?」
アオはゆっくりと大きく首を横に振る。その動きに合わせて青い髪が弧を描いた。
「本当に私のせいなんだよ。私が莉子の願いを叶えてしまったから。だから、奏くんの妹の声は出なくなっちゃったんだよ」
「ちょっ……ちょっと待て。何を言ってるんだ?」
理解が追いつかない。
アオが青山さんの願いを叶えた……?
「私にはそういう力がある……みたいなの。どうしてかは分からないけど」
「超能力者……ってことか?」
辛うじて口にしたのは、そんな間抜けなことだった。
「どうだろう。でも、そんな感じなのかな」
「お前が言ってるのは、人の願いを叶えることができるって、そういう力なのか?」
「うん。そうは言っても、叶えることができるのは、〈ロックミュージック研究会〉の会長になった人の願いだけなんだけどね」
アオは自嘲気味に笑って頷く。
そして、
「どうして〈ロックミュージック研究会〉の、それも会長の願いだけなんだ、なんて訊かないでほしい。私にもよく分かってないから」
と言って少し目を伏せた。
「自分でそうしようと思って叶えてる訳じゃないの。〈ロックミュージック研究会〉の会長が願うと、ほとんど自動的に叶っちゃう。でも、とにかく、私がいなかったら莉子の願いは叶ってない。だから奏くんの妹さんの声が出なくなっちゃったのは、私のせい」
にわかには信じがたい話ではあるが、もしそうなのだとして、アオが青山さんの願いを叶えたというのなら、その逆はできないのだろうか。願いを取り消すことはできないだろうか。
「それなら、ひよりの声を元に戻してくれないか……」
思うのと同時に懇願していた。けれど、アオは
「それは……無理なの。……ごめん」
と、声を震わせる。
「なんでだよ!!」
思わず叫んでいた。
「奏くん、ごめんね。私も私のせいで声が出なくなっちゃったのなら、元に戻せるんじゃないかって思うんだけど……。分からないの、戻し方が……」
「そんなのおかしいじゃないか!!」
「うん……ごめん。でも……無理なの」
そんなの無責任だ、と声を荒げそうになってどうにか堪える。つい最近も感情に任せてアオを罵って、そして後悔したことを思い出した。そのことをついさっき謝ったばかりだ。
「なんとか……ならないのか」
祈るような気持ちだった。医者ですら原因を特定できず、治療法を見出すことができないひよりの症状を治すことができるのは、アオしかいない。そう思っていた。もし、アオにもできないのだとしたら、もう手立てはない。
「方法なら……ある……と思うよ」
アオはどこか迷いながら、でも、朗報とも言えることを告げる。
「本当かっ!?」
身を乗り出すとアオは優しく申し訳なさそうに微笑んだ。
「うん。奏くんが、〈ロックミュージック研究会〉の会長になればいいんだよ」
どっと吹き込んだ風にアオの髪が舞い上がる。青い髪はレースのようにアオの横顔を覆い隠して、すぐに元の形に戻った。
「俺が〈ロックミュージック研究会〉に……?」
声が震えた。考えてもみなかったことだった。
「うん。奏くんが〈ロックミュージック研究会〉に入って会長になれば、奏くんの願いは叶うはずだよ。奏くんの願いは、妹さんの声を取り戻すこと、でしょ?」
確かに本当に〈ロックミュージック研究会〉の会長の願いが叶うというのなら、俺がその会長になってしまえばいい。簡単な話だ。
俺の願いはひよりの声を取り戻すこと。それだけだ。それ以上の願いなんかない。
「もちろん、俺の願いはひよりの声を元どおりにすることだ。本当に、〈ロックミュージック研究会〉の会長になるだけで、それだけでいいのか?」
「さっきも言ったけど、私も詳しいことは分からないの。私の意思とは無関係に勝手に叶っちゃうから。でも、そのはずだよ」
それならば、ならない理由はない。そのはずなのに、選ぶ余地はないはずなのに、
青山さんは、自身の願いを文化祭ライブのステージで歌うことだと自覚していた。けれど、その願いが叶うことはなかった。その理由をアオは、心の底から願っていないからだと言ったという。
もし、俺が〈ロックミュージック研究会〉の会長になったとして、それでもひよりの声が治らなかったら──。
「どうしたの?」
アオは、いつの間にか下を向いていた俺の顔を覗き込むように身を屈めていた。
「いや、なんでもない。分かった。〈ロックミュージック研究会〉に入ってみるよ」
脳裏に浮かんだ不安を振り払うように力強く応える。アオは満足そうに頷いていた。
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