第17話 心の底から

「アオと初めて会ったのは、〈ロックミュージック研究会〉に入部してすぐだったかな」


 青山あおやまさんは、丁寧に話し始めた。


「一年生のときの文化祭のちょっと前だったと思う。部室に行ったら、青いギターがあって。私のじゃないし、あの部室には私しか出入りしないはずなのに、おかしいなって思って。どうしようって困ってたら、突然アオが入ってきたの。人が来ることなんてまずない場所だから、驚いたのを覚えてる」


「人が来ない場所? 部室って部室棟にあるんじゃないの?」


 事情を知らない井口いぐちさんは、青山さんの言うことがピンとこないようだ。無理もない。俺も同じ高校に通いながら、つい最近までその存在を知らなかった。


「〈ロックミュージック研究会〉の部室は、旧校舎の三階にあるんだよ。旧校舎の辺りには、人がほとんどいない」


 俺が補足すると井口さんは「そんな校舎あったっけ?」と首を傾げた。それが逆に青山さんの言う『人が来ることなんてまずない』を証明していた。


「そんなところをわざわざ訪ねてくるんだから、てっきり入部希望者だと思って喜んだんだけど、不動院ふどういんの生徒じゃないって言われて。確かに制服を着てなかったし。でも、例えうちの生徒じゃなくても、部室で一緒に過ごしてくれる子がいるのは嬉しかった」


 あの部室で放課後一人で過ごすことを思うと青山さんの喜びも理解できる。人気ひとけがなく静かなのは結構だが、古い校舎が持つ雰囲気は不気味だ。埃臭く薄暗い校内は、あまり友達がいないという青山さんに、より強く孤独を感じさせたに違いない。

 青山さんにとって、アオとの時間は喜ばしいものだったようだ。それを証明するように、青山さんは話を続ける。


「アオは一人ぼっちの私の話し相手になってくれたの。それだけじゃなくて、ギターも上手くて歌も上手いから一緒に歌ったりなんかして。私、アオに文化祭ライブに出たいって言ったことがあるんだよね。結構軽い感じで。そしたらアオは思いの外、真剣に聞いてくれて。『心の底から願えば叶うよ。〈ロックミュージック研究会〉の会長は、どんな願いも叶えることができるから』って。私を励ますために言ってくれてるんだろうって思ったんだけど、アオがあまりにも真剣だから、もしかしたら本当なのかなって少しだけ思った。それに今思えば、不動院の生徒じゃないのにそんなことを知ってること自体が不思議だよね」


 それでも、一年目、二年目の文化祭ライブに出ることは叶わなかった。だから、青山さんはやっぱりアオの言ったことは気休めだったのだと思い直したという。


「でも、アオは気休めなんかじゃないって言ってた。私が心の底から望んだことじゃなきゃ叶わないんだって。文化祭ライブに出ることを私が心の底から望んでなかったから叶わなかったんだって」


「心の底から?」


 井口さんが青山さんの言葉を繰り返すと、青山さんは苦笑いを浮かべた。そして、申し訳なさそうに頷いた。


「私みたいな陰キャが出られるわけないって、最初から諦めてたのかもしれないって、アオに言われたとき思ったの。それにあんなに大勢の前で歌うなんて、どこかで怖いとも思ってた。もちろん、文化祭ライブのステージで歌うことに憧れはあったし、出たいとも思ってたんだけど、ステージに立つってことをイメージはできてなくて。そういう心の内を、アオはしっかり見抜いてるみたいだった」


「つまり、あなたは本心では文化祭ライブに出たいと思っていなかった。だから、その願いは叶わなかったんだって、そのアオって子は言ってたってこと?」


「そうだと思う。そんな風に言われると言い返せなかった。文化祭ライブに出たいと言ってはいたけど、本当は文化祭ライブに出たいって口にしてること自体に満足してたっていうか……」


「それじゃあ、貫井ぬくいの妹が歌えなくなればいいっていうのは、心の底から望んだってこと?」


「そういうことに……なるね」


 遠慮のない井口さんの質問に青山さんは力無く応えて、「ごめんなさい」と付け足すように謝った。


「どうして? だって文化祭ライブに出たいって、心底思ってたわけじゃないんでしょ? なら別に貫井の妹の声だってどうでもよくない?」


 井口さんは容赦なかった。訊きにくいことを躊躇なく口にしていく。青山さんの方もそれは俺たちの前に出てきた時から覚悟の上のようだった。


「嫉妬……だと思う。憧れのステージで私じゃない誰かが歌ってる。それ自体は諦めがついたかもしれない。現に一年目二年目はあんなこと起こらなかったから。でもね、ひよりさんは歌が上手かった。私には到底敵わないくらい圧倒的に。それに、私は一人なのに、ひよりさんには私にはいない、持てるわけもない仲間がいた。私よりもはるかに上手くて華のある声で歌うひよりさんを見てたら、もうその声を聞かせないでっていう気持ちが大きくなって……。それで……」


 あの子の声が出なくなればいい──。

 

 そう願ってしまった。心の底から。そして、その願いは叶った。叶ってしまった。


「──本当にごめんなさい」


 なんでそんなことを願ったんだ、と思わずにはいられない。かと言って、今ここで青山さんを責めても仕方がない。責めたところで何も変わらない。

 それに、自分には到底持ち得ない能力に嫉妬してしまう気持ちは分かる。分かってしまう。ひよりの歌はそれほど圧倒的だった。

 

 青山さんの話から分かったことは、青山さん以上に、アオの方が〈ロックミュージック研究会〉の噂の真相を知っていそうだということだ。そもそも、その噂を青山さんに教えた張本人がアオなのだ。


 ふと、つい最近アオもまた青山さんと同じように謝っていたことを思い出した。青山さんの話を聞く限り、アオが謝る理由はないように思う。ひよりの声が出なくなればいいと願ったのは、青山さんだ。


「青山さんの願いの結果、ひよりの声が出なくなったかもしれない。そのことをアオには言いましたか? それを聞いてアオは何か言ってましたか?」


「アオは……願いが叶って良かったねって、ただ一言。でも、私はそんな風に思えなくて、良くないよ! って大きな声を出しちゃったんだよね。そしたらアオは謝ってた。ごめんね、私のせいでって」


「それって、噂のことを青山さんに教えたからってことですか? でも、〈ロックミュージック研究会〉の会長の願いが叶うって話なら、アオが教えようと教えまいと、青山さんが願ったことが叶う結果は変わらない気がします」


 隣で井口さんが「確かに」と呟くのが聞こえた。


「そうだね。でも、私にも分からないの。ごめんなさい」


 何故アオが自分のせいだと言うのかは分からない。けれど、ひよりの声と無関係ではないことは明らかだ。


「私が知ってるアオと〈ロックミュージック研究会〉の噂のことは、これで全部です」


 そう言って青山さんは最後にもう一度、頭を下げて謝った。


 アオにもう一度会って話を聞かなければならない。強くそう思った。

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