第16話 それでも青山さんは誠実に応えてくれていた
ドアの隙間から滑るように出てきた
「青山さん……ですか?」
頷くのに合わせて垂れ下がった髪が微かに揺れる。
スウェットのズボンの端をギュッと握りしめて、肩が少し強張っている。怯えているように見えた。
聞いていたとおり、大人しそうでやや気弱そうな人だった。
アオと青山さんは別人だ。それは一目見て分かった。
アオとは似ても似つかない目の前の青山さん。
醸し出す雰囲気もそうだが、見間違えることなんてあり得ないと自信を持って断言できるほど、見た目もまるで似ていなかった。髪の色だけが唯一の二人の共通点だった。
「青山さんは、〈ロックミュージック研究会〉の会長だったんですよね?」
もう一度、髪の毛が揺れる。スウェットを握りしめた手に力が加わったのが分かる。
「単刀直入に訊きます。〈ロックミュージック研究会〉の会長には不思議な力が宿るって噂は、本当ですか? どんな願いでも叶えることができるようになる、とか。それって本当なんですか?」
ビクッと震えた青山さんの身体にさらに力が入る。小さくしゃくり上げる悲鳴のような声も聞こえた。
そして、青山さんは
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
と何に対してなのかは分からないが謝って、その場で頭を抱えるようにしてうずくまってしまった。
こちらを振り返った井口さんと目が合う。俺が動けないでいると、井口さんは、すぐに青山さんの側に駆けよって背中をさすった。
「よく分かんないけどさ、落ち着きなよ」
特別優しい声ではなかった。けれど、それが逆に思いやりを感じさせる。
嘘偽りのない井口さんの声と手が、青山さんを落ち着かせるのにそれほど時間はかからなかった。
井口さんがいてくれて良かったと思った。俺だけだったらどうにもできなかったと思う。
「──ごめんなさい」
立ち上がって、さっきと同じ言葉を口にした青山さんは、俯き気味だったさっきまでと違ってしっかりと顔を上げて俺のことを真っ直ぐに見ていた。
「いや、俺の方こそ。急に訪ねてきて、変なことを訊いたから驚かせちゃったみたいで、すみません」
首を横に振って青山さんは「違うの」と言った。
「私は責められて突然だから。
「ひよりを知ってるんですか?」
「知ってるっていっても、一方的に、だけど」
青山さんの顔に自虐的な笑みが浮かぶ。
文化祭ライブに出演するバンド。バンド名は当然として、そのメンバーの名前も文化祭の数日前から、ポスターやフライヤーなどに大々的に書かれていた。だから、文化祭ライブに出ることを夢見ていたという青山さんが、ひよりのフルネームを知っているのは当たり前のことなのかもしれない。
少しだけ俯きかけた青山さんの顔が、思い出したように上がった。そのぎこちない動きから、俯くわけにはいかないという強い意志を持ってそうしたのが分かった。
「私の……せいなの……たぶん……」
青山さんの声は震えていた。
「どういうことですか?」
「ひよりさん。急に声が出なくなっちゃったでしょ? 文化祭ライブのステージで。あれは……たぶん、私のせい」
ドクンと心臓が一度大きく跳ねた。
「青山さんの……せい?」
「──うん。〈ロックミュージック研究会〉の会長には、不思議な力がある。願い事をなんでも叶えることができる。私も最初は信じてなかった。でも……きっと……あれは本当だったんだ……と思う」
真っ直ぐに俺のことを見ていた青山さんの瞼がゆっくりと閉じる。その淵に沿うように涙が滲み、浮かんだ。
そして、青山さんは大きく一度頷いた。青い髪が揺れる。
「私、ひよりさんの声が出なくなればいいって、確かに願ったから」
「どうして、そんなことを……?」
「悔しかったから。ステージで歌うひよりさんのことが……羨ましかったから……。本当は私が立ちたかったステージで……あんな風にキラキラ輝いて……歌も上手くて……聞いていられなかった。聞いていたくなかった。聞いていたくないのに、立ち去ることもできなくて。でも……まさか、本当に歌が……声が、出なくなるなんて思ってなくて……」
声を詰まらせながら、それでも青山さんは誠実に応えてくれていた。
アオの時と違って、青山さんを責めようという気にはなれなかった。「とても後悔してる」と言った青山さんは、憔悴しきっていて、とてもじゃないが、これ以上追い詰める気にはなれなかった。きっと青山さん自身、自責の念に
それでもこうして俺の前に出てきてくれた。俺がひよりの関係者であると分かっていながら。しらばっくれることだってできたはずなのに。相当な覚悟だったのだろう。
「もう分かりました。青山さんを責めようなんて思ってません。俺はただ、ひよりにまた歌ってほしい。今はそれだけなんです。仮に青山さんのせいだとしても、責めるつもりはありません。それよりも、建設的な話をしましょう」
俺がそう言うと青山さんは頷きながら「ごめんなさい」と「ありがとう」を続けて言った。
「ひよりの声を元に戻す方法は、分からないですか? 〈ロックミュージック研究会〉の会長の力でひよりの声が出なくなったのだとしたら、治す鍵はやっぱり〈ロックミュージック研究会〉の会長の力が握ってると思うんです」
『どんな願いでも叶えることができる』
非現実的な話だ。そんなことを本気で信じるなんて馬鹿げている。いつもの俺ならそうやって笑い飛ばしただろうと思う。
今だって百パーセント信じているかと言われたら、そんなことはない。けれど、藁にもすがる思いだった。
医者ですら原因を特定できず、治療法も見出せない中で、唯一といっていい解決策だった。例え、それが非現実的だとしても、現状それしかない以上、すがるより他はない。
青山さんは「分からない」と言って、また謝った。
「ちょっといい? そもそもさ、なんで自分の願いが叶ったかも、なんて思ったわけ? 普通はそんなこと思わなくない?」
それまで黙っていた井口さんが口を開く。
「それは、そのとおりなんだけど。でも、実際に私が願った瞬間に……その……ひよりさんは……」
俺に気を使ったのか、青山さんは最後まで口にしなかった。
「それにしたってじゃない? 誰かに『あんたのせいであの子の声、消えちゃったよ』とでも言われたの?」
「それは……アオが……アオが教えてくれたから。もちろん本気で信じてたわけじゃないんだけど……でも、アオは不思議な子で、あの子に言われると、本当にそうなのかもって思えて。それに、タイミングとか色々考えたら。もう、そうとしか思えなくて」
「ちょっと待ってください。今、アオって言いましたか? アオって、髪の毛が青山さんみたいに内側だけ青くて、歌が上手い女の子?」
「う、うん。部室で友達になったの。貫井くんもアオのこと知ってるの? あの子、
「じゃあ、そのアオって子に訊くのが手っ取り早いんじゃない?」
困惑する俺とは対象的に、あっけらかんとした井口さんの口調は逆にありがたかった。
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