第11話 それは、ありえないと思う

 アオが出ていってすぐに、部室のドアが開いた。

 

 アオが戻ってきたのかと思ったが、違った。遠慮がちにゆっくりと開くドアから覗いた顔は、悠治ゆうじだった。


「お前、こんな所で何やってんだ?」


「お前こそ。体調悪くて帰ったんじゃねぇのかよ」


 つい、口調が荒くなってしまう。完全に八つ当たりだ。


 悠治は何も悪くない。ついさっきここで起こったことも、事情も、何も知らない。それなのに悪態をつく俺に、悠治はいつもより優しかった。


「ちょっと忘れものを思い出して取りに戻ったんだよ。そしたら、お前の大声が聞こえたから」


「そうか。──悪かった」


「いや、構わん。構わんが、何があった? なんか叫んでたろ?」


 悠治は心配そうに俺を見ている。熱のせいか、頬は相変わらず赤い。体調は悪いままなのだろう。


「〈ロックミュージック研究会〉の噂は、本当だったよ」


 悠治が息を呑むのが分かった。真意を測るように真っ直ぐに俺を見ている。


「〈ロックミュージック研究会〉の力で、ひよりは声を奪われた。たぶん」


「その可能性はもちろんあると思うが、決めつけるにはまだ早いんじゃないか? 何があった?」


「本人が白状したよ。ついさっき、ここで」


 投げ捨てるように言葉を吐き出す。悠治はより一層驚いたのか、さらに目を見開く。


「ちょっと待て。本人にって、青山あおやまさんと会ったのか? 青山さんが『私がやりました』とでも言ったのか? それで、青山さんはどうしたんだ?」


「お前と入れ違いに出ていったよ」


 悠治の片眉がピクリと上がる。


「入れ違いって、どれぐらいだ? 俺が来る数分前か? それとも数秒?」


「具体的にどれくらいか、と訊かれても正確には分からない。でも、何分も経ってないと思う」


 悠治の意図するところが分からなかった。


 悠治の目には、僅かだが好奇心が宿り始めていた。都市伝説を追いかけている時のあの目だ。

 

 悠治は「なるほど」と言ったきり、口を閉ざしてしまった。何かを考えるように顎を摘んで一度鼻をすすった。そして、目をグルリと動かして逡巡したのちに意を決したように口を開く。


「それは、ありえないと思う」


 一言、それだけだった。


「は? なにがだよ。お前、自分で可能性はあるって言ったじゃないか。ついさっき言ったことだぞ? もう忘れたのか?」


 一気に頭に血が上った。そんな俺を悠治はいたって冷静になだめる。


「落ち着け。俺がありえないって言ってるのは、俺と入れ違いで出ていったって方だ」


 悠治が何を言っているのか分からなかった。アオが出ていって比較的時間をおかずに悠治が入ってきたのは紛れもない事実だ。

 けれど、言い争っても仕方がない。こんな時に悠治が意味のないことを言うとも思えない。

 

 血が上った頭を冷ますように、一度ふっと息を吐く。悠治はそれを見て、それでいいと頷いて口を開いた。


「いいか、よく聞けよ? 俺がここに来る直前に出ていったって言うなら、どこかで俺とすれ違ってないとおかしいよな? でも、俺はそれらしい人物とはすれ違ってない。見かけてすらいないんだよ」


 それはおかしい。記憶を思い起こしてみても、アオが出ていってから悠治が入ってくるまで数十秒、長くても二、三分のことだったはずだ。

 この古ぼけた校舎に階段は一つだけ。外に出ようとすれば、どうしたって途中で悠治とすれ違うはずだ。悠治が嘘をついているとも思えない。


「な? ありえないだろ?」


 悠治は、もう好奇心を隠してはいなかった。

 

 俺が見たことと悠治の話を総合すると、アオはこの部屋を出てすぐに煙のように消えてしまったことになる。だが、そんなこと、それこそありえない。人が煙のように消えるなんて、あるわけがない。

 そこで、一つの可能性に思い至る。


「他の教室に入ったってことはないか? 理由を訊かれると分からないけど……」


「なるほど。それなら俺とすれ違わなくても納得はできるな。よし、確かめてみよう」


 悠治はそう言うと今入ってきたばかりのドアから外に出て行く。俺もその後に続いた。何故だか心臓がバクバクと脈を打った。

 悠治は、速足で隣の教室の前まで向かうと、すぐにドアに手をかけて横に引いた。しかし、ドアは微動だにしない。鍵がかかっているようだった。

 悠治は一度だけ俺の方を向いて眉をひそめる。

 

 古い校舎の教室を片っ端から確かめたが、その全てに鍵がかけられていた。


「ありえない……」


 外にも出ず、この校舎のどこにもいないとなると、アオはどこに行ってしまったのだろう。


「お前がここで会ってたっていうのは、もしかしてお前がずっと言ってたアオって子か?」


 ふいに悠治がそんなことを口にした。俺は黙ったまま頷く。

 悠治の目にさらに強い好奇心が宿るのが分かった。


「なるほどね。お前ももしかしたら〈ロックミュージック研究会〉の不思議な力に取り込まれてるのかもな」


 俺の目を見ながらそう呟く悠治に、俺は何も応えることができなかった。


「前も言ったが、そのアオって子と青山さんは別人だ。だけど、そのアオって子がロックミュージック研究会の噂を認めるようなことを言ったなら、その子は何か鍵を握ってるのかもしれないな」


 悠治はやはりアオと青山さんを同一人物とは考えていないようだった。


「確認するけど、アオって子は『ロックミュージック研究会〉の力でひよりちゃんの声を奪ったって認めたんだな?」


「……たぶん」


「なんだよ。急にトーンダウンしやがって。肝心なところだろ?」


「ハッキリそう言ったわけじゃない。ただ、お前が〈ロックミュージック研究会〉の力でひよりの声を奪ったのかって問い詰めたら、ごめん、私のせいでって……」


「認めたも同然ってことか」


 黙って頷く。そんな俺を悠治はジッと見ていた。何かを観察するような目で、俺を見る。そんな悠治の目に曝されると、まるで俺まで都市伝説の対象とされているみたいな錯覚を覚える。


「でも、もうアオには会えないかもしれない」


 たまらずそう口にすると悠治の眉がピクリと動いた。


「どうして?」


「怒鳴り散らして、大声で、暴言まで吐いて追い出したから。お前も聞いてたんだろ? もうこの部室には来ないかもしれない」


「そういうことか」


 ついさっきの自分の行いを悔いた。何故あんな風に怒鳴ってしまったのだろう。


「済んだことを悔いても仕方ない。お前の気持ちも分かるからな。とりあえず、今日のところは帰ろう」


 そして、悠治は最後に「アオって子が消えたのも〈ロックミュージック研究会〉の噂と無関係とは思えないな」と呟いた。

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