第10話 視界まで青く染めるような歌をアオは歌っていた

 悠治ゆうじと別れてすぐ、俺は〈ロックミュージック研究会〉の部室へと向かった。

 

 アオに会うためだ。

 

 すぐにでも確かめたかった。


 〈ロックミュージック研究会〉の会長だった青山あおやまさんというのは、アオのことなのではないか。そして、会長であるアオは、不思議な力でひよりの声を奪ったのではないか。


 とはいえ、悠治が否定するのも分からないではない。

 あまり目立つタイプではないという青山さん。引っ込み思案で、あまり友達が多くなかったという。先輩から聞いた青山さんは、俺の知るアオの印象とはまるで違う。

 

 それでも、考えれば考えるほど俺の頭の中ではどんどん青山さんとアオの像が重なっていく。

 

 青山さんが先輩の話したとおりの人なら、ひよりに嫉妬心を持ったであろうことは想像に難くない。青山さんは、その嫉妬心からひよりの声を奪ったのだろう。俺の中ではほとんど真実になりつつある。

 それは悠治も肯定していることだった。


 もしアオと青山さんが同一人物なら、アオがひよりの声を奪ったということになる。

 だが、俺の知るアオには、ひよりに嫉妬する理由がないように思う。確かに文化祭のステージに立つ姿は妬ましかったかもしれないが、アオだってひよりに負けないくらい歌が上手い。

 

 たどり着いた古ぼけた校舎は、相変わらず静かで、不気味だった。この学校はなんの目的でこの校舎を残しているのだろう、とふと疑問に思う。

 

 ギシギシと嘘みたいに大袈裟な音を立てる階段をゆっくりと登る。

 

 登っていると、いつからか木のきしむ音に混じって、歌が聞こえるようになった。

 

 アオの歌だ。


 木の軋む音ですら楽器に変えてしまう。不思議な、だけど、魅力的な歌声だった。歌に寄り添うように、ギターの音がささやかに鳴っている。

 前に聞いたのと同じ歌だった。


 歩を進めるごとに歌声が近くなる。

 俺は吸い寄せられるように〈ロックミュージック研究会〉の部室の前に立っていた。

 

 ドアを開けるとアオの歌声が一際ひときわ大きくなった。

 青い世界。そんなはずないのに、視界まで青く染めるような歌をアオは歌っていた。

 

 俺に気がついたアオは、チラリとこちらに視線をよこしたが、そのまま歌うことをやめなかった。ギターを鳴らして、身体を前後に揺らしながら歌っている。


 やっぱりすごく上手い。

 でも、どこか悲しそうだった。メロディも歌声も、ギターの音でさえも、アオの放つ音すべてが悲しみを含んでいる。悲しい青だった。

 

 俺はバカみたいに突っ立ったまま、それを聞いていた。

 開けっぱなしの窓から、もう夏だっていうのにやけに乾いた風が吹き込んで、俺の頬をそっと撫でた。

 ゾワっと全身が総毛立つ。


そうくん。いらっしゃい」


 アオは歌い終わると、背を向けたまま振り返ることなく言った。まるで俺がここに来ることをあらかじめ知っていたみたいだ。


「今日はどうしたの?」


 アオが頬にかかる髪を掻き上げると、黒髪の隙間から覗いた青い髪が絵筆を引いたみたいにサラリと流れて耳にかかった。汗一つかいていない白い首筋があらわになる。


「訊きたいことがあって来た」


「訊きたいこと? なにかな?」


 アオはそこでようやく振り返った。


「アオの名前は、青山莉子あおやまりこなのか? アオは、〈ロックミュージック研究会〉の会長なのか? 〈ロックミュージック研究会〉の会長は、どんな願いも叶えることができるって聞いた」


 アオは何も言わず、ニコニコと俺の言葉を聞いていた。


「お前が、その願いで、ひよりの声を……出なくしたのか?」


 口にしてみると、それがいかに馬鹿げたことで、ありえないことなのかが分かる。

 目の前のアオはそんなことを願うほど卑屈には見えない。歌だってひよりに負けないくらい上手い。ひよりに嫉妬しなくたって十分すぎるくらいに上手い。

 

 だいたい、『どんな願いを叶えることができる』だなんてことがあるわけがないのだ。


 アオの笑顔がゆっくりと真顔になる。


「どうして、そんなに悲しそうな顔をしているの?」


 アオは俺の質問には応えなかった。


「ひよりって誰? 奏くんは、そのひよりって子のために、そんな悲しい顔をしてるの?」


「ひよりは俺の妹だ。誰よりも歌が上手くて、音楽が好きで、俺なんかよりずっとちゃんとしてる、自慢の妹だ。アオも知ってるんじゃないか? 見てたんだろ? ひよりは文化祭ライブのステージ上で突然歌えなくなった。あの日以来、声を出すことができなくなったんだ」


 アオの目が一段大きくなった気がした。そして、真顔だった表情が悲しそうに沈んだ。


「理由は医者にも分からない。……原因不明で、手の施しようがないんだ。超自然的な、不思議な力のせいだっていうなら、納得はできないけど、理解は辛うじてできる」


 俺がしていることは、ただの八つ当たりなのかもしれない。ふと、そんな後悔がよぎる。


「そっか、ごめんね……」


 アオの小さく絞り出すような声は、俺の疑いを肯定しているように聞こえた。

 自分が叶えた願いのせいでひよりの声を奪ってしまった、と。ひよりの声を奪ったことに対する謝罪のように聞こえた。そうとしか思えなかった。他にどんな理由があって、『ごめんね』なんて言う必要があるだろう。

 

 アオであって欲しくなかった。自分から訊ねておいて、何故お前なんだと理不尽な思いが生まれる。

 怒っているのか、悔しいのか、悲しいのか、自分でも上手く形容できない感情が湧き上がる。


「ごめん……私のせいで……」


 それは決定的な一言だった。俺の中で何かがはじける。


「なんでそんなこと願ったんだよ!!」


 アオの言葉を聞くのとほぼ同時に、俺は大声で叫んでいた。

 

 もう疑いようもない。アオはその願いでひよりの声を奪った。一連の言葉と行動は、それを自白したも同然だった。


「そんなつもりじゃなかったの。本当に。私は、ただ……ごめん」


 アオの声は、俺の耳にはほとんど届かなくなっていた。それでも何度も何度もアオは謝り続けた。ただ、謝り続けていた。

 

 謝罪の言葉なんか聞きたくない。

 

 アオのせいでひよりは声を失ってしまった。それなのに、アオはひよりに負けないくらい美しい声で歌い、そして、その声で今俺に謝罪と言い訳の言葉を投げかけ続けている。

 

 許せなかった。他の誰かの嫉妬なら許せたかもしれない。でも、アオは、ひよりに嫉妬なんかしなくてもいいくらい歌が上手い。それなのに──


「血の通った人間の願うことかよ。クソ野郎が!! 人の足引っ張るようなことしやがって。だから、友達もできねーんだろうが。最低のクソ野郎だよ、お前は!! 消えろよっ!!」


 大声で叫ぶとアオの小さな肩がビクッと跳ねる。

 

 アオは、なおも何かを口にしようとしたが、俺が睨みつけると、もう一度「ごめん……」と消え入りそうな声で言い残して、部室から出ていってしまった。

 

 顔を上げると、アオが弾いていた青いギターが、ボロボロの木の床の上で無機質に横たわっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る