第8話 疑ったらつまらない

 三年生の教室があるのは、一番新しい、学校のシンボルと呼んでも差し支えないほど大きく目立つ校舎の三階だった。

 

 小学生や中学生の頃は、上級生の教室周りをウロウロするなんて、なかなかできなかった。体の大きな上級生はそれだけでなんとなく怖い存在だったし、目の前にすると緊張もした。


 けれど、今は上級生だろうが全く怖くもなければ緊張もしない。

 高校生ともなると、学年による体格差はほとんどなくなるし、第一それなりの進学校である不動院高校には、いわゆるヤンキーのような生徒は一人もいない。

 

 部活に入っていない俺は、先輩と直に接する機会自体が少ない。先輩というだけで恐れはしないし、かしこまるほどの存在でもない。


「よし、じゃあ片っ端から聞いていくか」


 それはどうやら悠治も同じのようで、三年生の教室に突撃するのに全く躊躇ちゅうちょがなかった。

 

 悠治は、A組からJ組まである三年生の教室を順番に覗き込み、近くにいた人に声をかけていく。

 勢いのままに全クラス周り終えたが、情報は何も得られなかった。


 J組まで訊き終えた悠治は、腰に手を当ててやや疲れた様子で「おかしいな」と呟き、首を傾げる。そして、俺の方を向いて「お前が影が薄いとか余計なこと言うからだぞ」と八つ当たりともいえる理不尽なことを言ってのけた。

 俺は「そんなの知るかよ」と淡白に返して、


「二週目、行ってみる?」


 とふざけ半分で訊いてみる。


「いや、一年生の方に行ってみよう」


 ふざけ半分の俺とは対照的に、悠治は真剣だった。少し考えてから方針を決める。

 その方針どおり、一年生の教室がある校舎に向かおうとしたとき、不意に声をかけられた。


「あの……。〈ロックミュージック研究会〉の会長を探してるっていうのは、あなたたち?」


 声をかけてきたのは、小柄で大人しそうな女生徒だった。


「私、知ってるよ。〈ロックミュージック研究会〉の会長だった子のこと」


 状況的に考えれば三年生であろう女生徒は、俺たちの一つ先輩のはずだ。なのにパッと見では中学生みたいに幼かった。ただでさえ幼い顔立ちなのに、背が小さいことで余計に幼く見える。三つ編みにした髪型もそれに拍車をかけていた。

 

 先輩は、遠慮がちに俺と悠治を交互に見上げていた。


「マジっスか? その人、今どこにいるんスか? 俺たちその人に訊きたいことがあるんスけど」


 次の瞬間、悠治は先輩の肩を掴んで大きくゆすっていた。

 先輩は目をギュッと瞑って、悠治にされるがままにガクガクと揺れている。ときおり「ちょっ……」とか「なっ……」とか消え入りそうな抵抗の声が聞こえる。


「その人の名前は? 特徴は?」


 悠治はそんなことお構いなしに、畳み掛ける。〈ロックミュージック研究会〉の秘密に迫れるかもしれないと気が急いているのかもしれないが、明らかにやりすぎだ。

 やりすぎではあるが、これが都市伝説を前にした悠治の正常な反応だ。


「ちょっと落ち着けよ」


 暴走気味の悠治は、放っておけばどこまでも暴走してしまうだろう。このままでは先輩が気の毒だ。

 見かねて引き剥がしてやると、悠治はようやく落ち着きを取り戻して、すぐに状況を察したのか先輩に謝った。


「すみません。ちょっと悪ノリしました」


 サッと離れた先輩は何も言わなかったが、見るからに不快そうだった。掴まれていた肩を軽く撫でて、制服の皺を伸ばす。

 そして、両肩を抱いてさらに一歩、大きく後ずさった。


「あなたたちは、その子を見つけてどうするつもりなの?」


 悠治のせいで警戒心を強めてしまったのだろう。先輩の口ぶりは、返答次第では何も教えないというものに変わってしまった。俺たちが危害を加えると思っているのかもしれない。


「いや、俺たちは〈ロックミュージック研究会〉の秘密を知りたいと思ってて。秘密ってのは、都市伝説みたいなものなんですけど。会長なら何か知ってると思ったんです」


 悠治も流石にまずいと思ったのか、いやに丁寧な口調で経緯を説明した。悠治なりに警戒を解こうと努力しているようだ。

 しかし、悠治の努力も虚しく、先輩は警戒を解く気はないようだった。眉をひそめて俯き気味に「秘密?」と呟き、頬に手を当てて首を傾げる。

 

 そのまま少しの間固まっていたが、何かを思い出したのかハッとして顔を上げた。


「そう言えばあおちゃん、『なんでも願いが叶うとしたらどうする? 私はロミ研の会長だから一つだけ願いを叶えられるんだ』って……言ってた……かも?」


 話しながら、悠治の表情が変わるのを見て、先輩はまた少し身構えた。


 悠治はすぐにでも先輩を問い詰めたいのだろうが、それをしてしまうとまたさっきのように衝動を抑えられなくなると思ったのか、口をパクパクと動かしほんの少しだけ前に踏み出しただけだった。

 

 代わりに俺が先輩に訊ねる。先輩の言った名前が気になった。


「えっと……青ちゃんっていうのは?」


「あなたたちが探してる〈ロックミュージック研究会〉の会長だった子。青山莉子あおやまりこちゃん」


「青山さんだから『アオちゃん』ですか。あの、その人って何組なんですか? どこにいます? できれば呼んできてもらいたいんですけど」


 俺が訊ねると先輩は困ったように眉尻を下げた。


「えっと……実は、青ちゃんは少し前に学校を辞めちゃってて……」


「えっ? 学校を?」


「うん。自主退学みたい」


「俺からも。質問、いいですか?」


 悠治はなるべく先輩の警戒心を刺激しないように、わざわざ挙手までして質問の許可を求めた。そんな悠治の努力が報われたのか、先輩はいくらか警戒を解いてコクリと頷いた。


「青山さんは、なんで学校を辞めてしまったんですか? うちの高校って中退なんか滅多にないですよね? よっぽどな理由がない限り、あり得ない。もしかして、願いを叶えるためには、学校を辞めないといけない……とか?」

 

 最後はほとんど独り言のようだった。


 〈ロックミュージック研究会〉の会長は、願いを叶えることができる。そんな普通に考えたらあり得ないことを、悠治はあり得ることとして話している。

 

 悠治は都市伝説と認識した話であれば、どんな話でも根拠なく信じてしまう。普段は疑り深いくせに、こと都市伝説に関しては、まずは信じるところから始めるのが悠治の流儀だった。


 いわく、疑ったらつまらない、だそうだ。

 

 一応進学校である不道院ふどういん高校は、悠治の言葉どおり、生徒の中退は滅多にない。ましてや、三年生で辞めたとなると、かなり珍しいことだった。

 それこそ悠治の言うように超自然的な何かのせいで辞めざるを得ない、という理由でもない限り、なかなか納得できるものではない。


「さ、さぁ……。どうなのかな。詳しくは分からないの。青ちゃんの話は面白いな、と思ったけど、でも実際にあるわけないとも思って。真剣には聞いてなかったし、青ちゃんもそれ以上詳しいことは言わなかったから。でも、青ちゃんが願いそうなことなら分かるよ」


「それはどんなことです?」


「文化祭ライブのステージで歌いたい。それしか無いと思う」


 そう言った先輩の顔は、どこか悲しそうだった。

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