第5話 いつもあそこにいるわけじゃないからさ

 古い校舎を後にして、悠治ゆうじと並んで歩く。トントンと俺が歩くのに合わせて腰のあたりに軽やかな心地よい刺激がある。背中に背負った青いギターの感触だ。

〈ロックミュージック研究会〉の関係者に会えるかもしれない、という期待を裏切られた悠治は、露骨にテンションを下げていた。


 ふと立ち止まって悠治を見ると、悠治もまた俺のことを見ていた。目が合うと悠治の足も止まる。


「現状、お前が会ったっていう女の子が唯一の手掛かりだな。なんとしても会って、話を聞かないと。どんな子だったんだ?」


「どんな子って、一言で表現するのは難しいけど、なんか不思議な子だったな」


「抽象的すぎる。もっと分かりやすい、見た目の特徴とか、そういうのはなかったのか?」


「見た目か。そういえば、髪の毛が一部、青かったな。それから、歌が──」


 言いかけたとき、突然真後ろから声が聞こえた。


「ちょっと! キミ!」


 びっくりして振り返ると、アオがいた。


 振り向いたときにはアオはもうすぐそばにいて、俺に飛びついてくるところだった。ドンという音とともに胸の辺りに少しだけ痛みを感じた。

 突撃してきたアオは、驚くほど軽かった。おかげで勢いの割には、少しよろける程度で済んだ。


「アオ……?」


 アオは「テヘヘ」と何故か嬉しそうに笑った。隣の悠治は何が起きたのか分からないといった顔で、バカみたいに口を開けている。


「ちょっと勢い、間違えた……カモ?」


 アオは俺の胸の辺りにぶつけたおでこをさすりながら笑った。

 

「カモ? じゃないよ。ビックリするじゃないか」


「驚かそうとしたもん、ビックリしてもらわなきゃ困る」


 悪びれずにそう言うアオを怒る気にはなれなかった。


「俺たちさっきまで〈ロックミュージック研究会〉の部室にいたんだけど……。なぁ?」


 同意を求めると、悠治は驚きと戸惑いが混じったような顔で「あぁ」と気のない返事をよこした。


「そうなの? でも私だっていつもあそこにいるわけじゃないからさ」


 少し赤くなったおでこを撫でながら、もう片方の手で皺を伸ばすように払ったプリーツスカートと、ややオーバーサイズの白いスウェットは学校の制服ではなかった。


「それもそうか。それより、このギター。アオの? 地べたに放り投げてあったけど、流石に扱いが雑じゃない? なんか可哀想だから勝手に持ってきちゃったぞ」


 青いギターを、アオの前に掲げてみせる。ケースは見当たらなかったから裸のままだ。幸いストラップが付いていたから背中に背負うことはできた。

 勝手に持ち出した罪悪感は、不思議とない。


「あぁ〜……」


 目の前に突き出されたギターを見て、アオは気まずそうに目をキョロキョロと動かした。どういうリアクションなのか、イマイチわからない。

 勝手に持ち出したことに怒ってもよさそうだが、そんな風にも見えなかった。


そうくん、弾けるの? 弾いてくれるならいいよ、持って帰っても」


「いやいや。これアオのなんだろ? つか、勝手に持って帰ろうとしたのに、怒ったりはしないの?」


「なんで? だって奏くんはそのギターが気に入ったんでしょ? ならしょうがないよ」


 アオはアッサリとそう言って笑った。


 しょうがなくはないだろう。

 勝手に持ち出しておいてなんだが、人のものを盗むのにしょうがない理由なんかない。大らかすぎるアオの価値観に驚いてしまう。


 悠治の方を見ると、目をパチクリさせていた。


「悪りぃ、悠治。ほったらかしにしちまったな。この子が話してたアオ。たぶん、〈ロックミュージック研究会〉の会長だと思われる」


 悠治は呆気に取られた顔のまま、一度顔を下に向ける。そのまま少しの間額を指で摘むようにして、何かを考えていた。

 それから、ゆっくりと戻した顔は、真剣なものに変わっていた。真剣ではあるけれど、どこか哀れむような表情だった。


「奏。その子は〈ロックミュージック研究会〉の会長ではないよ」


 ようやく口を開いた悠治は、ゆっくりとしたやや低い声で思いがけないことを言った。


「えっ……?」


 唯一の手掛かりを目の前にして、てっきり諸手を挙げて喜ぶものだと思っていた。

 

「その子は違う」


 悠治はもう一度、念を押すように言った。ふざけているようには見えない。

 

「どうして? だって、アオはあそこで──、〈ロックミュージック研究会〉の部室で、一人でギターを弾きながら歌ってたんだぞ? 無関係なやつが、あんなところで歌わないだろ。それに〈ロックミュージック研究会〉の部員は一人だから、部員さえ特定できたらそいつが会長に違いないって、お前が言ってたんだぞ」


 都市伝説なんかどうでもいいはずなのに、何故か俺の方がムキになっていた。


 アオは俺たちのやりとりに加わることなくニコニコと笑っている。なんの話をしているのか分からないのだろう。


「〈ロックミュージック研究会〉の噂。その真相を解明したいのは変わらないよ。会長が見つかったら真相解明に向けてかなりの前進になる。相当重要な手掛かりだ。──でも、その子は違う。悪いけど」


 悠治は譲らなかった。


 お互いに見合っていると、ポツリと頭に冷たいものが落ちてきた。


「雨だな」


 それを合図に視線を外して空を見上げた悠治が、呟くように言った。釣られて俺も空を仰いで「雨だな」と馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返す。

 

 身をよじって背中のギターに目をやると、まだ数えるほどだが、雨粒がいくつかシミを作っていた。このままだと、家に着くまでにずぶ濡れになってしまう。


「このままじゃ濡れちまうから、やっぱりこのギターは部室に戻してくるよ」


「それがいい。俺は先に帰ってる」


 そう言い残して悠治は早足で歩いて行ってしまった。このまま悠治と一緒に帰るのは気まずかったから、内心ほっとしていた。もしかしたら悠治も同じ気持ちだったのかもしれない。

 

 俺も悠長なことはしていられない。ギターがずぶ濡れになる前に部室に戻る必要がある。

 

 部室に向けて歩き出すと、アオが隣に並んだ。目が合うと、アオは何も言わずに首を傾げる。


 俺はアオに向けて一度頷くと、みるみるうちに濡れてしまうギターを気にしながら小走りに部室へと向かった。

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