第4話 青いギターは、冷たい床に一人で横たわっていた
放課後の古びた校舎は、薄暗く物音一つしない。やはり不気味だ。
考えてみれば『使われなくなった旧校舎から少女の歌声が聞こえる』というのは、いかにも都市伝説っぽい。歌声よりも『夜な夜な啜り泣く少女の声』のほうがそれっぽいかもしれない。
その少女は病気で、学校に来ることができなくなって、やがて──、とかだとさらに恐怖を煽るだろう。
ふの、想像上の啜り泣く少女とひよりがだぶった。毎日のように声もなく泣いているひよりの姿。俺はこの校舎で啜り泣くひよりの幻想を振り払うように頭を振った。
そんな俺の奇行を、隣の
「どうかした?」
「なんでもない。行こう」
誤魔化すように言って前を向く。悠治は少しだけ眉を
「この校舎って、もう使われてないんだと思ってたよ」
「俺もそう思ってた」
実際、校舎の周りに人はいなかったし、中に入ってからも人の気配はない。
「こんなところを部室にしてるって、なんかちょっとそれっぽいよな」
たしかにこんな場所を人知れず密かに使っている組織というのは、秘密結社っぽい。そんな組織に迫るというのは、悠治がいかにも喜びそうなシチュエーションだ。
けれど、おそらくその組織の唯一の構成員だと思われるアオにそれっぽい雰囲気はない。不思議な雰囲気を持つ女の子ではあったが、悠治が好むタイプの不思議ではないと思う。
〈ロックミュージック研究会〉の部室は、三階の隅っこの教室だ。
その他の教室に、使われている形跡はなかった。倉庫にすらなっていない。この旧校舎の教室を部室にしているのは、〈ロックミュージック研究会〉だけなのかも知れない。
静まり返った旧校舎を悠治と二人で歩いていると、薄暗い雰囲気も相まって肝試しでもしている気分になる。
恐怖からか、それとも都市伝説に迫っているという緊張からか、部室に近づくにつれて、悠治の口数は少なくなっていった。
「ここだよ」
俺が以前訪れた教室を指し示すと、悠治は「なるほどね」と小さく呟いた。
上げた視線の先には、変わらず〈ロックミュージック研究会〉と書かれた木のプレートがぶら下がっている。、
ドアに手をかけると「待って」と悠治が俺の腕を掴んだ。
「どうした?」
振り返って訊ねると、悠治は真剣な眼差しで「俺が開けたい」と言った。
「別にいいけど、なんで?」
「いや、俺って都市伝説とか好きじゃん? そんでそれを収集したり、可能な限り調査するってのを趣味にしてきたわけだけど、こうやって真相に近づきつつあるところまで来たのって、実は初めてなんだよ。だから、真相の扉を開けるのは自分の手でって思ってさ」
「真相に近づきつつあるって、学校の
俺は悠治の趣味というやつにほとんど関心がない。
悠治が都市伝説好きで、それっぽい噂を集めて何やら調査と称して色々やっているのは知っているが、具体的な成果を聞いたことはなかった。それは俺の方から特に聞かないからなのだと思っていたが、今まで報告するような成果を上げたことが一度もなかったからのようだ。
「ありがとう」
悠治は神妙すぎるくらいに畏まって礼を言った。俺は頷いて悠治のためにドアの前を空ける。
俺に代わってドアの前に立った悠治は、やや緊張した動きでドアに手をかけた。よく冗談を言う悠治がどこまで本気なのか分からないが、都市伝説への情熱は本物だと思うから、きっと本人はいたって真剣なはずだ。
悠治がゆっくりと手を引くと、それに合わせてドアが滑るように開く。
隔てるものがなくなると、ふわっと埃っぽい空気を押し出すように風が流れた。奥の方で揺れるカーテンが見える。
以前と同じように窓が開いている。
「誰もいないな」
残念そうに悠治が言った。俺も少しだけ残念だった。
だが、すぐに悠治が何かを見つけて声を上げた。
「ちょっと待て。アレって?」
悠治の声の先には青いギターがあった。
乱暴に、投げ捨てられたように、無造作に置かれている。いや、落ちていると言った方が正しい。
青いギターは、冷たい床に一人で横たわっていた。
「ギターだな。その子、〈ロックミュージック研究会〉の物かな?」
悠治は青いギターをペットか何かみたいに『その子』と呼んだ。
「アオが弾いてたやつだ……」
思わず声が漏れる。
「アオって?」
悠治は興味津々に俺と青いギターを交互に見て言った。
「あぁ、言ってなかったな。俺が前にここで会ったっていう子の名前。アオっていうらしい」
「お前、名前知ってたのかよ。なら先に言えよ。名前が分かってたら、もっと調査は簡単だったのに。──で? そのアオってのは、下の名前、だよな?」
「聞いてない。言わなかったから」
「なるほど。あおいでも青田でも『アオ』ってあだ名になる可能性はあるよな。名前なのか苗字なのか、せめて本名かどうか、できれば漢字も分かればよかったけど、
何やらぶつぶつと呟きながら自分の世界に入ってしまった悠治をよそに、俺は青いギターを見ていた。
以前アオが弾いていたときには気が付かなかったが、かなり年季が入っている。ストラトキャスタータイプのエレキギター。
ひよりに言われて、少しだけギターを
メーカー名はどこにも書かれていなかった。
埃臭い部室の光景は、突然ギターだけを残して奏者が消えてしまったみたいだった。
まるで捨てられたように、置いてけぼりにされた青いギターが、俺には無性に気の毒に思えた。
どういうわけか、この青いギターには感情移入してしまう。ギターに感情移入だなんて自分でも馬鹿らしいと思うが、そんな気持ちとは裏腹にこのギターを見ていると可哀想に思えてならなかった。
「──持って帰る」
不意にそう思って、手を伸ばす。
「人のものを勝手持って帰っちゃまずいんじゃないか?」
いつのまにか向こうの世界から戻ってきた悠治の声で伸ばした手が止まる。
もっともな意見だ。
「このままここに、こんな風に置いておくのは、この子が可哀想だ」
「ギターが可哀想……か。それって、ひよりちゃんと関係ある?」
親友だからこそ、遠慮のない悠治の言葉。返答に困る。
奏者を失って、自分では音を出すことができないギター。奏者がいないせいで音が出せないギター。
俺は拗ねたように横たわる青いギターとひよりを重ねているのかもしれない。
俺が弾けるようになれば、音は出る。
俺は悠治の言葉には応えずに黙って青いギターを拾い上げる。
悠治はそれ以上、何も言わなかった。
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