第69話 謀略

 時は少し戻る。とある暗い部屋の中で、男が祭壇に向かって片膝をつき頭を垂れていた。部屋の中は柱に付けられた小さな炎の明かりが照らすだけだ、男の顔さえも分からない。ただ、体格だけは良いのが何とか分かる程度だ。その男の前の祭壇の上では、この闇の中で更に闇を凝縮したような炎が燃えている。時折それは禍々しい顔の形をとり、炎の中に混じる赤い火の粉がまるで目のように光ることもある。そしてその炎の中から男に向かって声が掛けられる。


「この女は何者だ」


 男の前に金髪碧眼の美しい少女の顔が映し出されている。


「恐らく、セシリア・エル・ウィステリアかと存じます」


 炎の前の男が頭を少し上げ、答える。


「ウィステリア?あの我が支配をいまだに受け付けぬ地の貴族か」


「はい。その中心たるウィステリア公爵家の一人娘です。ですが我が主の支配が及ばないのも、もう少しで終わりです。あと数年のうちにはかの地を絶望が埋め尽くすでしょう。向かわせた配下からも、計画は順調だとの報告が来ております」


「愚か者が!」


 男が報告した途端、激しい叱責が飛ぶ。


「その地より希望があふれてきよるわ!多少の希望は良い。希望があるからこそ、人はより深く絶望する。だが、これは絶望を希望と喜びが塗り変えておる」


「そ、そんなはずは……」


 男が言い訳をしようとするのを、炎の中の声が遮る


「貴様は我が力を疑うのか。かの地の希望の中心にこの娘がいる。忌々しいことにそれ以上のことが分からぬ。かの地は今希望に満ちておる故に」


 人の希望はこの炎の中の者にとっては、痛みを伴う光りだ。例えばトウガラシのようなものだ。少しなら料理を美味しくする。が、それを直接目に受けようものなら、後は知るべしである。


「くっ、では我が主の絶大な加護を受けておきながら、バモガンが逆に取り込まれたと思われます」


「ふむ。詳しく述べよ」


 炎の中の者は怒りを抑え、男の意見を促す


「はっ。かの地は我が主の支配をうけぬ地、それに加え我が王家の支配も受けぬ、事実上の独立国でありました。それを謀略と我が主の力により、当主の夫と長男を暗殺、政略によりバモガンを当主である女公爵に婿入りさせました」


「ふむ。それは覚えている。つい数年前の事よな」


「はっ。それから更に当主を毒殺しました。残されたのは未成年の娘のみとなり、バモガンは公爵代行として実権を握りました」


「ふむ。その頃より希望の光が増えておるな。何故だ」


 実際はバモガンの悪政により、絶望が蔓延した時期もあったのだが、絶望に関しては炎の中の者は慣れ過ぎていたため、この程度の絶望では気付かなかった。


「はっ。バモガンは色欲の強い男でした。恐らくはこの小娘に魅了されたのかと。実にバモガン好みの娘でありますので。バモガンからは単刀直入に言えば、計画は順調との報告ばかりでしたが、実際には小娘の戯言に付き合っていたのでしょう。しかし、すぐに私の五男がこの小娘に婿入りします。五男からの報告によると、この小娘は五男に一目ぼれしたとの事。用済みになったバモガンは引き上げさせ、我が主が納得されるような苦しみに満ちた死を与えます」


 しばしの沈黙があり、炎の中からまた声がする。


「それで終わりか?」


「い、いえ、その後は、他の土地と同じように重税をかけ、農奴どもを生かさず殺さずの状況に致します」


「それは当たり前の事であろうが!一目ぼれをさせておきながら、その五男は何をしておったのだ!」


 炎が怒声に同調したように膨れ上がる。逆に男の方は縮こまる。


「も、もうしわけございません。出来損ないの五男にも苦痛に満ちた死を与えます」


「ふむう。死は当然として、それだけではまだ足りぬ。この小娘を希望の象徴ではなく、怨嗟の相手としなくてはな」


 希望の象徴が怨嗟の象徴に変わるときの人間の感情は美味なものだ。


「それでは、結婚式が終わり、女公爵の就任式が終わった後、バモガンに会場の横で五男を殺すように命じます。ほれた男が我儘を聞いてくれていた義父に殺されているのを見れば、心穏やかではいられますまい。更に小娘には女公爵としての責任を負わせ、今年、いや来年度も2倍の納税を求めます。しかも、金ではなく穀物で。幾ら代々金をため込んでいたとしても食料はどうにもなりますまい。仮に今年をしのぎ切ったとしても来年までは無理でしょう。年貢を搾り取られた農奴どもの怨嗟の声が広がる事でしょう。もちろん年貢の徴収において王家の名を出すことは一切禁止します。これでこの小娘は希望の象徴から、一転し怨嗟の象徴になるでしょう」

 黒い炎は暫く考えるようにゆらゆらと揺れる。


「ふむ。よかろう。2年、いや余裕を見て3年やろう。楽しみにしているぞ」


 そう言い終わると黒い炎は消える。それだけで部屋が少し明るくなる。男は顔中にかいていた汗を手のひらで拭う。

 

 部屋の外に出た男は早速部下を呼び、命令する。


「ウィステリア女公爵の結婚式及び就任式に行く訪問団に近衛兵を混ぜよ。そして、あの役立たずの軟弱者、ラハンシドを式典の会場の横で殺すようにバモガンに命じよ。後の事は王家が責任を持つと伝えてな。ああ、封印具を忘れるなよ。下手に暴れられたら近衛兵では手が付けられんからな」


 そう言った男は顔こそ初老に差し掛かった面立ちをしているものの、首から下はマントの他はビキニパンツのみという姿で、ボディービルダーもかくやという、はちきれんばかりの筋肉にという、第五王子とは似ても似つかない姿だった。


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