第43話 とある騎士たちの嘆き
冬の冷たい雨がしとしとと降っている。厳つい囚人護送用の馬車を操る御者は、いっその事雪だったらよかったのに、と思う。雨避けのコートを羽織ってはいるが、細かい雨粒が隙間から入り込み、容赦なく男の体温を奪っていく。横に馬に乗って並んで進む男も寒そうだ。
「まるで、ご令嬢に天が味方して、最後の抵抗をしているようだな」
馬に乗った白い息を吐きながら呟く。
「これは天の嘆きの涙ってか。俺も泣きたい気分だね。こんな事をやる為に俺は騎士団に入った訳じゃない」
御者の男は吐き捨てるように言う。男たちは騎士団に所属している者達だった。そして今は哀れなご令嬢を公爵代行の命に従い、領都シェルレルナまで運んでいる。これが本当に花嫁の護送だったら、名誉な事だろう。だが実際には生贄を運んでいるようなものだ。公爵代行の夜伽に呼ばれたメイドがその後姿を見せることが無いのは有名だ。それどころか、婚姻した側室ですら1ヶ月もしないうちに姿を見かけなくなる。どのような運命をたどったのか、それを想像できないような愚か者は騎士団には居ない。
「これも、セシリアお嬢様が成人になられるまでの我慢さ」
馬に乗った男が御者の男を慰めるように言う。騎士、それは王国が任命するものもあれば、貴族が個別に陪臣を騎士と呼ぶこともある。通常は王国に任命された者の方が権威があるのだが、ウィステリア公爵家の騎士団だけは別格だった。その強さ、高潔さ、公爵家に対する忠誠心。そしてウィステリア公爵家に代々受け継がれる、神竜ロールアンクスの守護者としての役割と、その一助を担うことになる誇り。どれもが他の貴族の陪臣である騎士とは違うものだ。また、少数とは言え領軍から引き抜かれた、平民出身の者もいるのも異例だった。そういった者は、当然ながら周囲にそれを認めさせるだけの実力があり、またそれが刺激となって、騎士団の実力を上げていた。
「お前はお嬢様のデビュタントに行ったんだよな。どんな感じだった?」
御者の男が興味深げに聞く。将来使えることになる主だ。興味を持たない方が珍しいだろう。
「そうだなあ、何というか、完璧だった」
「おいおい、それじゃあ、何だかわからないじゃないか」
御者の男は乗馬している男の返答に呆れる。
「そうとしか言いようがないんだ。まるで極上の金糸を束ねたような輝く金髪。極上の宝石のような青い瞳。目鼻立ちはクリステル様の面影があるが、まだ少女ながらそれを上回る美しさ。所作の美しさやダンスの素晴らしさといったら、もう言葉に表せないな」
乗馬している男は、思いだしたのか、うっとりとした顔をする。
「そうか。外見はともかく、セシリアお嬢様にはずる賢さが欲しいな」
御者の男は呟きながら、まだ若いころに見たクリステルの姿を思い浮かべる。
(クリステル様はまだ、領軍の一兵士である俺にも笑顔でねぎらいの言葉を掛けてくれた。統治も素晴らしいものだった。だが、心が綺麗すぎたのだ。そのせいで王家に付け込まれ、バモガンの様な者を夫にする羽目になり、遂には命を落とされた……)
御者の男は平民の出だった。偶々声を掛けてくれたクリステルに心を奪われた。遅い初恋だった。だがそれは男の行動の原動力となり、騎士団に入団を認められるまでになったのだ。男はクリステルの前夫やご子息、そしてクリステル本人の死さえも、バモガンやその後ろに控える王家の手によるものだと信じて疑わない。
そして、男と同じ考えをするものは騎士団には少なからずいる。クリステル様が王家と戦う事を決断していたら、男は喜んで死ぬまで戦っただろう。
だが、現実は戦いを厭い、バモガンと結婚し、結果領内は今の惨状になった。こうなることが分かっていたら、領民一丸となって戦っていただろうに、と悔やまれてならない。実際騎士団長や領軍の軍団長などは事あるごとに、後悔を口に出している。
「おいおい、セシリアお嬢様まで、他の貴族のようになれってか」
乗馬した男がちょっとおどけた様に返答する。そんな事は相手の男も思っていないことが分かっているが故の冗談だ。
「そんなことは思ってないさ。だが、純真なだけじゃ王家に食い尽くされる……」
「だな……」
それから二人は黙って進む。街道の端に殆ど白骨化死体が転がっている。それに僅かについた肉を鳥が啄んでいる。領都付近では珍しくもない風景だ。こういう死体を見ると領都が近いのを感じる。それをちらりと見て、乗馬した男が話しかける。
「なあ、領の周辺部ではあんまりこういう光景は見かけなかっただろう。なんでだと思う?」
御者の男は少し考えて言う
「そりゃあ、人口密度が違うからだろう。街道沿いしか進んできてないし、俺達の見えないところで似たような光景はあるんじゃないか」
「まあ、そうかもしれないが、奇妙な噂があるんだ。まだデビュタントもされていなかった、セシリアお嬢様が周辺部をまわり、モンスターを退治したり、新しい農業方法を伝授したりしていたそうだ。それだけじゃないバモガンに対抗するための兵まで鍛えているらしい。既にいくつかの貴族はセシリアお嬢様に忠誠を誓ったらしいぞ」
デビュタント前で、社交界にも出られないお嬢様にそこまでする力があるだろうか。乗馬した男が語った噂はとても現実の物とは思えなかった。
「そうか。それが本当だったら良いな」
しかし、遠くに見え始めた領都を見ながら、御者の男はそう語った。暗雲立ち込める未来の中、僅かでも良いから希望の光が欲しかったのだ。噂もそうであって欲しい、という領民の心の表れだろう。男はそう思った。
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