第40話 公爵令嬢、公爵令嬢(正式)になる
結局それから一度も家庭教師は来ることなく、9月1日のデビュタントの日を迎えた。それで良いの?と思わなくもないが、礼儀作法は完璧だ。失敗しない自信はある。
その日は朝から別館に上級メイドが来て、私を磨きにかかる。それはもう文字通り、風呂に入れられ念入りにお肌を磨かれ、何処にあったの?というような豪華なドレスを着せられ、お化粧をこれまた念入りにされる。元々美少女だったが、今の私はもはや女神のような美しさといえる。前世のどの芸能人と比べても引けを取らないどころか、もはや現実離れしている美しさだ。私を見下して居たはずのメイド達からも、感嘆の溜め息が出ているのが聞こえる。
朝から準備を始めて、仕上がったのがもう昼の3時過ぎである。その間化粧が崩れるからと、お茶しか口に入れていない。その上これからご馳走が並ぶ会場に行くわけである。もちろん私は食べることが出来ない。何の拷問だと思う。
準備が終わると控え室へと移動する。この段階で私の疲労ゲージは既に20%ほど減っている。下手なモンスターと戦うより疲労が大きい。ここで私がやることは時間までじっとしている事だけだ。親しいメイドが誰もいないため、おしゃべりする人もいない。
それでも義父が来るまではまだましだった。時間になって義父が来ると、途端に空気が悪くなる。比喩ではなく本当に悪いのだ。とにかく臭い。体臭が臭いとかそういうレベルじゃない。死臭、腐敗臭、そう言ったものをごまかすための大量の香水の匂い。そういったもので部屋が充満するため、頭がクラクラしてくる。
こんなものを外に出したらウィステリア公爵家の名が廃る。私はコッソリと消臭の魔法をかける。取りあえず今夜いっぱい持てばいい。
「ほう。なかなか美しくなったではないか。これならば今宵の主役として、遜色はないな。では、会場にまいるとするか」
義父は私に手を差し伸べる。腹立たしいが、デビュタントの時は身内の男性にエスコートをしてもらうのがルールのようなものだ。私は義父の手を取り、会場に向かって歩き出した。
会場に入ると、大勢の賓客から拍手をもって迎えられる。会場は王国随一の力を持つと言われる公爵家だけあって絢爛豪華だ。流石にここにダークな雰囲気はない。賓客の殆どは私の美しさに目を奪われ、そこかしこで私の美しさを褒める言葉が聞こえる。褒められて悪い気はしない。
会場の奥まで進むと振り返り、少し頭を下げて礼をする。
「今宵は我が娘の16歳の誕生日に集まってくれて感謝する。宴をゆっくり楽しんでいって欲しい」
義父の挨拶にすこし不快そうな顔をするものがいる。義父の事を快く思っていない貴族だ。この世界では珍しい良識派の貴族達である。逆におべっかの様な笑いを浮かべているものもいる。義父の影響下に下った者達だ。
「そして、娘のデビュタントになんと王族の方がいらっしゃった。第5王子、ラハンシド・ナエリア・フェーゼノン殿下であらせられる」
義父がそう言うと、広間の奥の扉が開けられ、そこから若い男性が現れる。銀髪に赤い瞳をした美男子だ。瞳の色はエナと似ているが、エナが透き通ったルビーのような色に対して、ラハンシドは血の色を連想させる。
王族の登場にも同じように態度が分かれる。王族のウィステリア公爵家の関与を嫌うものと、結びつきを歓迎する者だ。大体において良識派の貴族は義父の事を快く思っておらず、王族の関与も嫌っているが、完全に一致していないところが頭が痛いところだ。
それはそれとして、仮にも王族。皆跪きまではしないまでも、深々と頭を下げる。そんな中私は真っ直ぐに立っていた。そして、皆が頭を上げ、王子が目の前に来た段階で、初めて足を引き、カーテシーを行う。
「御初にお目にかかります。クリステル・エル・ウィステリアが娘、セシリアと申します。以後お見知りおきを」
私は定型通りの挨拶を行う。
「こちらこそよろしくお願いします。セシリア嬢」
王子は柔和な笑みを浮かべてそう挨拶を返してくる。はて、この王子の設定はどうだっただろうかと私は記憶を探る。私のイベントがどうなろうとすぐに死ぬか、いなくなっているモブキャラだったはずだ。婚約者になる人物ではあるが、特に自分が設定した記憶はない。パッと見人がよさそうな雰囲気を出している。私だって別に男が嫌いな訳じゃない。どちらかというと渋いおじさまの方が好みだが、当たり前の事ながらそういう人物は基本的に既婚者だ。私の場合婿入りが必須なので、既婚者は絶対に無理なのだ。そして、このまま話が進むと、私と王子は婚約することになる。顔は言うことなしだし、性格が良かったらそのまま結婚しても良いんじゃないかと思う。
私はそんな事を考えつつも、お祝いの挨拶に来た貴族たちに、そつなく対応する。挨拶が途切れたタイミングで、音楽が鳴り始める。ダンスの時間だ。貴族の中にはこういった場所で相手を見つける者も少なくない。正室はさすがに家同士で決まる事が多いが、側室はその限りではない。それだけでなく愛人を探す者、なろうとする者も居る。世知辛い事にこの世界では、貧乏貴族の正室よりは大貴族の愛人の方が良い場合も少なくない。
それはさておき、音楽が鳴り始めると同時に私の前に王子の手が差し出される。
「お嬢様。私と踊ってくれませんか?」
周りで黄色い声が上がる。
「ええ喜んで」
私はそう答えて、王子の手を取る。そして音楽に合わせてダンスを踊る。王族だけあってダンスの腕も中々のものだ。私のダンスの技術もあり、周囲より1段も2段も高いレベルのダンスになる。正に今自分が主役で、他人が自分を引き立てる脇役のように思える。だがそんな気分も、すぐに冷めた。それは踊る中で私が抱きしめられて、王子の顔が耳元に来るような位置に来た時だった。王子はこう言ったのだ。
「ふん。紋章無しのくせに、よく教え込まれている様じゃないか。うまく隠しているつもりだろうが私には分かるぞ。お前との婚約の話が来た時には、奴隷と結婚するのかとわが身の不幸を嘆いたが、これならペットとして飼うには悪くは無いな。これからも私の機嫌を取るよう励むんだぞ」
私が今手に描いている紋章の幻術は、母が掛けたものではなく、自分でかけ直したもので、この世界で見破られる者は居ない。ましてや目の前のモブキャラに見破られるようなものではない。大ウソつきである。しかも、私に対する完全に見下した態度。他の貴族にどういった態度を取っているのかは分からないが、その一点を取ってもこいつは私の夫として相応しくないと断言できる。
私は自分の頭の中で、こいつを敵側のリストに放り込んだ。
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