第11話 壊れていく 

 講義の間中、修平は机にうつ伏せて寝ていた。最近ずっと、暇さえあればこうしている。徹夜で課題をやってるんだろうか。やたらと疲れていて、顔色が悪くて、情緒が不安定だ。


 妙にハイだったり、いらついていたり。長い付き合いだけど、こんなに気分が安定しない修平を初めて見る。足を怪我した時よりもずっと、おかしい。


 大学の授業で態度が悪いと怒られることは、滅多に無い。でもずっと寝てばっかだと、流石に目を付けられるんじゃないか。この間やらかしたばっかだし。


 例の奇行で、教官から大目玉を食らった。ヘラヘラしてる本人に変わって「最近ちょっと色々あって、情緒不安定なんです」と平謝りした。説教の途中で修平は大欠伸をし「帰って寝る」と教室を出て行ってしまった。


やってらんねぇ。なんで俺が一人で、油まみれの床を拭かなきゃなんねぇんだ。思い出したら、またムクムクと怒りがこみ上げてきた。


 授業が終わり、尚も鼾をかく脇腹を揺する。手の平にあばら骨の形を感じて驚いた。そう言えば、痩せたんじゃないか。食事、摂ってないんだろうか。


 修平は全く起きようとしない。口元に幸せそうな笑みを浮かべ、すやすやと静かな寝息を立てている。


「修平! 次実技だぜ。移動しなきゃ。起きろ!」

 身体を大きく揺さぶる。寝息がピタリと止まり、うっすらと瞼が開く。重いシャッターが上がるみたいにゆるゆると開いた瞼は、全開になった後バタバタと大きく開閉を繰り返した。


 修平はゆっくりと起き上がり、首を巡らせた。


 修平の顔が歪み、眉が吊り上がる。拳を握り、一度大きく振り上げた後、凄い勢いで机に振り下ろした。


 爆発したような、それとも大切な何かが壊れたような、凄い音が教室に響く。階段状に配置された机で本を読んでいた人や、固まって騒いでいた人、出口に移動していた人、沢山の人々が驚いて身体を震わせた。


 修平が俺のジレの首元を掴んだ。


「なんで起こすんだよ!」

 顔を近付けて怒鳴る。え、「なんで」ってなんで?ショートした思考はその言葉だけをゆるゆると紡いだ。


「次の授業……」

「ざけんな!」


 思考の端っこが何か言葉を紡いだが、修平に胸ぐらを揺すられて無残に床に落ち、壊れた。俺はその残骸を探して視線を彷徨わせる。


「俺は、走っていたいんだよ!」

 何言ってんだ。走るって、どうやって。


 反射的に湧いた言葉は、胸の中でモヤモヤとくすぶる。激しく揺さぶる修平の手によって、ジレが破れた。先週買ったばかりの、ジャスパーグリーンのロングジレ。修平は切れ端を握りしめ、大きく手を振った。ジレは裾まで破けてしまった。


「ちまちまちまちまちまちまちまちま絵なんか描きたくねぇんだよ! 何が楽しーんだ。毎日毎日臭ぇ絵の具塗りたくって! 俺は走りたいんだよ! 思いっきり走りたいんだ! 俺は走れるんだ! どこまでだって走れるんだ!」


 上下に振る拳に合わせて、ジレの切れ端がひらひらと揺れる。

 

「やめなよ!」

 同じクラスの男達が数人、修平の身体を後ろから押さえつけたり、俺たちの間に割って入ったりした。修平の顔が怒りで真っ赤に染まっている。怒鳴り散らしながら、今度は級友達に拳を振り上げる。俺は慌ててその腕を掴んだ。


「わかったよ! 俺が悪かった! ……修平、帰ろ。今日はもう、家に帰って寝よう」

 ピタリと修平は動きを止めた。


 修平は振り返った。


「うん、そうする!」

 子供のような、無邪気な笑顔で。


 教科書も何もかもを置いて、スキップするような足取りで教室を出て行く。


 あいつは、誰だろう。

 背中を見送りながら、ぼんやりとそう思った。

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