第15話 除霊グッズ

 修平は眠っていた。ローテーブルの上にはパソコンとマグカップが置いてある。マグカップの底に珈琲が少し、どんよりとした色で残されていた。パソコンはスリープ状態になっていた。黒い画面に間抜けな自分の顔が写り、奥歯を噛む。多分例のPVを作っていたのだろう。締め切りが直近に迫っている課題でパソコンを使うやつそれしかない。


 手を付ける課題を指定すれば良かった。あの日撮った動画を編集していて、そっちに引っ張られたのかも知れない。俺はいつも、どっか抜けてる。


「カレーの匂い」

 安斉さんは空に視線を漂わせて鼻をヒクヒクさせた。キッチンにチン飯とカレーの空き箱があった。昭和スタイルのお母さんがにっこり笑っている奴だ。


「昼飯、ちゃんと食ったんだ」

 思わず安堵の声を漏らす。今朝コンビニで、チン飯とボンカレーを二つずつ買った。一個は朝飯に食わせて、残りは昼飯用。同じのを買うって気が利かないと今なら思うけど、コンビニの俺は余裕がなかった。


「拓は時々、天然パワーを発揮するよね」

「天然?」

 

 ボケてると言いたいのかと眉を寄せる。イヤイヤと安斉さんは首を横に振った。


「よくぞカレーをチョイスしたね。ターメリックには浄化作用があるんだよ。インドでは、結婚式で新郎新婦にターメリックを塗りたくる儀式があるくらいね。思ったほど邪気が強くないのは、カレーのお陰だわ。でかした」

「はぁ……」


 呆けている俺の横で安斉さんはレジ袋から塩とペットボトルを取り出した。視線を巡らせ、「丁度良いのがあるじゃん」と呟いた。シンクの上の小さな棚からショットグラスを手に取った。赤穂の粗塩って書いた袋を雑に破いて、ショットグラスに流し込む。溢れた塩がシンクにバラバラと落ちた。こういう雑なところが離婚原因なのかなとふと思った。


「今余計なこと考えなかった?」

 振り返らずにそう言われて、思わず両手で自分の口を塞ぐ。考えてることが読めんのか?離婚原因は、こっちのほうかも。マジ怖え。


 つま先立ちになり、体重を手元に掛けている。身体を起こすとフムと頷いた。それから珪藻土の水切りの上に伏せているグラスをとり、ペットボトルの中身を注ぐ。緑色の液体が、シュワシュワ泡を立てた。


「何スか、それ?」

「ん? チェリオのメロン味」

 残っている液体を喉に流し込む。プハッと息を吐いてから、唐突に訊ねた。


「赤の補色は?」

「青緑……」


 え?と安斉さんは驚いた顔をした。

「緑じゃないの?」

「違うっスね。人間の目には赤と青と緑の光を混ぜると白に見えるんっスよ。その光から赤を引くと青と緑が残るでしょ。だから赤の補色は青緑」

「緑だと思ってた。さっすが美大生」

「美大じゃないスけど。学部が美術ってだけで」

「この世とあの世の間は月の満ち欠けに影響を受けるみたいだね。そこの月は赤いんだ。赤の補色は月の光を弱めるっぽいよ。この子、起きてるとき青緑系のもの、壊さなかった?」


 俺の言葉はスルーされ、安斉さんの言いたいことだけ告げられる。青緑のものを壊す。真っ先に思い浮かんだのは、破れたジレだった。


「俺のジャスパーグリーンのロングジレを破られました。あ、エメラルドグリーンの猫の目に赤い絵の具をぶっかけてたな」

「ロングジレ?」


 安斉さんが眉を寄せた。

「拓がロングジレを着てたの?」

「え? はい」

「やめなよ。ロングジレが似合うのは平べったい優男。あんたが来たら衣替えしたプーさんになっちゃう」


 細見え効果を期待して買ったジレを思い切りディスられ、ムッとする。そう言えば、安斉さんは何かと俺の私服にダメ出しする。白いダウンを着ていたらベイマックスと言われたし、モスグリーンのTシャツ着てたらマイク・ワゾウスキだと指さされた。


「俺をディズニーキャラに例えてディスるの、いい加減やめて貰っていいスか」

 言い返すと、大声で笑われた。一頻り笑い、その後真顔になって首を巡らせる。再び何かを探しているようだった。


「これでいっかー」


 軽い感じで呟いて、立てかけてあったまな板を取り出す。薄いプラスチックのまな板は淡い黄土色に変色していた。


「こういうの、時々漂白しないと駄目なんだよ」


 誰に向かっているのかよくわかんない言葉を吐いてまな板を平らに敷き、ショットグラスを逆さに置いた。グラスを引き抜くと、見事な盛り塩が出来ていた。その隣にチェリオを満たしたグラスを乗せ、まな板をお盆のように捧げ持って部屋に戻る。


 テーブルの上に向かって、顎をしゃくる。俺は意図を察してテーブルの上からパソコンとマグカップを避けた。安斉さんは無言でテーブルの上に盛り塩と緑色の液体が入ったグラスをまな板ごと置いた。


 続いて鞄から小さな箱を取り出した。パカッと開けると予想通りのものが入っていた。緑色の石が付いた指輪。それを小指にはめてから、新たに小瓶を取り出した。


青緑の小瓶を一度膝の上に置き、シャツのボタンを三つ外す。豊満な谷間が露わになる。小瓶は小さくて、掴むと手の平にすっぽりと隠れた。シュッと軽い音を立て、液体を谷間に拭きかける。スパイスのような香りが広がった。


「魔除けグッズ。お清めの塩に青緑の水。力を高める宝石と邪気払いの香り。そして……」


 安斉さんは昇平に馬乗りになり、鼻先に谷間を近付けた。

「フェロモンは男子の気付け薬になる」


 まだ出てるつもりなんスか。と胸中で突っ込む。

「何か言った?」

 即座に鋭い視線で突っ込まれた。だから怖ぇってば。


「心の準備は、いい?」

 俺に視線を向け、首を傾ける。俺は湧いてきた生唾をゴクリと飲み、頷いた。

「この子の名前、思い浮かべちゃ駄目だよ」

 俺はもう一度頷き、修平の顔を見つめる。修平はもぞもぞと鼻を動かしていた。


「帰ってこい。帰ってこい。帰ってこい」

 耳と思考を自分の声で満たす。安斉さんが修平の額に人差し指と薬指を付けた。

 

「あなたの守護霊様は、ひいお婆ちゃん。聞こえていたら、ひいお婆ちゃんのことを思い浮かべて」


 修平の唇が微かに「ひいおばあちゃん」と動いた。


 安斉さんはもう片方の手で俺を招き、近くに寄った俺の額に右の人差し指を置いた。


 途端にぐいっと全身を引っ張られたような感じがした。額からぐんぐん突進していく。真っ暗なトンネルを全速力で進む。暫くして視界が開けた。


 赤い光に包まれた世界だ。淡い茜の空に真っ赤な月が浮んでいる。俺はその空にふわふわ浮んでいる。身体はない。多分魂とか意識とかそう言う形のないものだけが、この世界にいる。


 赤い月は気味が悪かった。視線を逸らすと地面があることに気付いた。平坦な草原が広がっている。見事なほど長さが生えそろった赤い草地に一本の道が通っていた。そこに、二つの人影を見付けた。


 傍らの姿に名を呼びそうになり、堪える。そいつは誰かと手を繋いで颯爽と走っていた。


 俺は、悲鳴を上げそうになった。


 ひたすら唱えるんじゃなかった?

 頭の中で声がした。そうだ、と思い出し「帰ってこい」と繰り返した。声が出ないことに気付く。まぁ、実態がないから当たり前なのかも知れない。


 帰ってこい、帰ってこい、帰ってこい。

 繰り返しながらも、目はそこから離れない。


 手を繋いでいるのは、骸骨だった。その姿は黒いものに覆われていて、所々覗く白い骨の形でそうだとわかる。


 黒いもの。それが何か見極めようと凝視した。そして、再び恐怖に襲われる。


 黒いものは人の形のように見えた。正確に言えば人の形をした黒くて平たいものだ。一つ一つはそれほど大きくなく、影のようにのっぺりとしている。恨みや怒り、悲しみや苦しみ。顔とおぼしき場所に感情の残骸が残っていた。表面に張り付いていたり、肋骨に巻き付いていたり、目玉の空洞から外に飛び出していたり。おびただしい数の黒いものはその姿を覆い尽くし、走る振動で揺れていた。


 その得体の知れないものと手を繋ぎ、楽しそうに走っている。


 帰ってこい!

 俺は必死で手を伸ばした。

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