第7話 ランナーズハイ
目覚めたら、全身に倦怠感がこびりついていた。脹ら脛が特に痛い。
筋繊維に乳酸が溜まっている痛みだ。こんな感覚、何年ぶりだろう。くそだるい身体と裏腹に、気持ちはものすごく爽快だ。
まるで、ランナーズハイだ。
夕べどうやって帰ってきたのか、記憶が定かじゃない。
道の駅に着いてから動画を撮ったのは、はっきりと覚えている。月の光を浴びて、雪原は赤く染まっていた。
血のように鮮やかで厳かな光に、どこまでも続く雪原が染まっていた。真冬の夕刻、雪原が夕日に染まることがある。光は雪をオレンジに照らし、陰は青く染まる。幻想的な風景は、何度見ても美しいと思う。
けれどこんな、赤一色に染まる世界を、今まで見たことがなかった。赤いフィルターを掛けたような、べったりした赤ではない。もっと明るくて、深くて、透明で、美しい。
雪原の凹凸は光の濃淡を作った。陰はどこまでも暗い朱だ。確か、
流れて時間が経った、血液の色。
北条家に追われた五百人の残党が自害し、庭を染めた色だ。
鎌倉に旅行に行った時、法華堂跡の碑文に「三浦泰村此ニ篭リテ 北条ノ軍ヲ邀げきヘ 刀折レ矢尽キテ一族郎等 五百余人ト偕ともニ自尽シ 満庭 朱殷ニ染メシ処トス」と書かれていた。歴史好きの親父が得意げに解説してくれたが、その光景を思い浮かべて気分が悪くなったのを覚えている。
月光を受ける雪原には「赤」が広がっていた。一切何も混ぜられていない、純粋な赤。流れて間もない、鮮血の色。
雪原の上に佇む闇は、どこまでも黒かった。星一つ無い、夜空だ。スーパーコントラストってシリーズの、スーパーブラックと言う名の紙を見た時、余りの黒さに驚いたけど、それよりも黒い。
真の黒の闇に、深紅の満月が光り輝いていた。
思わず、シャッターを切った。
しばらく月に見とれていたら、視線を感じた。導かれるように向けた視線の先に、走る人影を見付けた。
真っ直ぐに背を伸ばし、規則正しいストロークで走る人。彼は、ゆっくりと軌道を変えて、近付いて来た。
彼は俺に手を伸ばし、にっこり笑ったんだ。
そして、こう言った。
『僕と一緒に、走ろう?』
彼はそう言って、俺の手を取った。
不思議なことに、俺の足は事故にあう前と同じように動いていた。驚いた。多分、この辺から眠ってたんだろうな。きっと夢を見ていたんだ。
俺の足は大地を捉え、力強く蹴り、身体を前へ、前へと送り出していた。俺は彼と、手を繋いで走った。楽しくて、楽しくて仕方が無かった。
夢の中で走っていたから、筋肉が無意識に緊張したんだろうか。この身体の痛みは、サッカーの試合にフル出場した後の感覚にとてもよく似ている。身体は疲労しきっていても、何もかも全て吐き出しきったみたいに心は爽快なんだ。
頭が現実に戻るにつれ、気分が高揚してきた。腹の底から湧きあがる幸福感に、じっとしていられない。
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