第5話 道の駅で
一時間半ほど車を走らせ、深川の道の駅に車を停めた。これ以上北上したら帰るのが大変になる。車を停めたら、急激に尿意が押し寄せてきた。急いで車のドアを開け、車外に出る。
刺すように冷たい夜風が、身体に纏わり付いてくる。
深川は北海道第三位の作付面積を誇る米所で、道の駅周辺は田んぼばかりだ。道の駅の名も「ライスランドふかがわ」と、堂々と米の生産地であることをアピールしている。旭川や富良野へ抜ける際の、数少ないトイレスポットっていう印象しかないが。
深夜二時半の道の駅には、当たり前だが誰もいない。だだっ広い駐車場を照らすライトだけが、ひたすらに広がる闇を照らす。空には相変わらず赤みを帯びた月が掛かっていたが、不思議なほど星は見当たらない。空はこんなに晴れているのに。
月が何らか意思を持ち、自分達を見下ろしているような気がして、身震いした。
トイレで用を足し外に出ると、車から少し離れた場所に修平がポツンと立っていた。友達に借りたビデオカメラで国道を映し、ゆっくりと身体をターンさせている。一頻り撮影すると場所を変え、同じように風景を映している。ただひたすらに、真っ暗な雪原が広がっているだけの風景だ。視点を変えても大して代わり映えはしないだろう。
こんな遠くまで来る意味、あったのかな。そんな愚痴めいた考えが浮んだ。
修平は真剣に風景を撮影している。奴の感性はちょっと独特だと思う。退廃的でマイナーなバンドに心酔したり、黒ばっかり着てみたり。みんなが「いいね」と思うものを気に入ることはあまりない。
多分そういう奴が、表現の世界では生き残るんだろうな。俺みたいな普通の人間は、普通の社会人になる。絵で身を立てることは、ないんだろう。
『趣味? 油絵をちょっと』
絵を描いていた事が役に立つのは、そう格好付ける時くらい。そんな大人に、なってしまうんだろうな。
修平はきっと、いつの間にか漫画家になってみんなから羨望の眼差しを向けられる。足をやられても、やっぱり主役の人生を送る。そういう人間と普通の人間は、違うんだ。
カメラを空に向けている修平を見つめる。ライトが照らすのは唯々白い雪だ。そこに立つ真っ黒な人影と赤い月光が、一瞬一つの線で繋がった。多分錯覚だろうけど。
修平が、なんだか本当に、特別なものに選ばれたみたいに、見えた。
激しい羨望が胸をかきむしる。今自分は凄く嫌な顔をしているんだろうなと、ぼんやり思った。修平はカメラを降ろし、遠くを見つめた。まだ録りたいと思える風景を、探しているのだろうか。
「なー、拓」
修平が地平線に視線を向けたまま、声を掛けてきた。
「ん?」
ポケットに手を突っ込んだまま答える。修平は振り返らずに言葉を続けた。
「雪上マラソンとか、流行ってんのかな」
「あ? そんなん聞いたこと無いわ」
さっきも誰かが走っているとか言ってた。こんな真冬に、しかも真夜中に走る奴なんかいない。ふざけて言ってるのかな、だったら面白くないんだけどなと若干いらつく。
修平はゆっくりと手を上げ、彼方を指さした。
「だってほら、そこ。走ってる人、いるだろ?」
俺は修平の横に立ち、指の示す方を見た。
そこにはただ、雪原が広がっている。真っ白な田んぼを月が照らしているだけだ。
「誰もいねーじゃん」
「いるだろ? ふざけんなよ」
修平の声が毛羽立つ。その声音に違和感を感じながら、ポケットからスマホを取り出してそこを写した。
「ほれ、誰も写ってないだろ」
画像を見せる。指で拡大しても、闇が写っているだけだ。修平の顔が青ざめていく。スマホの画面と、その上に広がる場所を見比べた修平が、喉元で「ひっ」と悲鳴を上げた。
俺の手を掴む。
「帰ろう。今すぐ」
逃げるように車に駆け込む。狐につままれたような気持ちで運転席に座ると、助手席で修平は頭を抱え、身体を震わせていた。
「だって、俺、走れないから……」
修平が、呟いた。
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