第3話 走る人

 たくは、めっちゃくちゃ良い奴だ。


 出会ったのは小学一年生。背が低くてぽっちゃりとしていて、ぬいぐるみみたいに愛嬌があった。友達思いで、優しくて、そのせいでいつも少し損をする。その人柄も体型も、ずっとそのまま変わらない。拓は故郷みたいな奴だ。


 交通事故でサッカー選手になるって夢を奪われた時は、一緒に泣いてくれた。サッカーが出来ないならサッカーものの漫画でも描こうかなと冗談を言ったら、本気で絵の描き方を教えてくれた。お陰で「漫画家になる」という夢がほんの少し現実味を帯びた。


 その夢をつっかえ棒にして、今は生きている。


 美術学科の課題は、反吐が出そうな程大変だ。元々絵の描き方がよく分かっていないので、要領が悪い。拓のアドバイスがなければ、こなせない。


 課題が絵だけじゃないのも驚きだ。好きな曲を選んで、そのPVを作れってのには驚いた。


 CVLTEって無名のバンドの「gerden」という曲を、アニメーションで描こうと思った。透明で疾走感あるメロディに反して、絶望的な言葉が並ぶサビを、闇に向かって走るように表現したかった。


 イメージはどんどん膨らんで、ノリノリで制作していった。CLIP STUDIO PAINTを使えばアニメーションは意外と簡単に作ることが出来る。一瞬を切り取るはずの絵に動きが生まれる。それが楽しくて、寝る間を惜しんで制作に取り組んでいた。


 多分、それがいけなかった。


 どこからともなくコロナウイルスが身体に入り込んで来た。世界を震撼させたウイルスは、俺にも差別無く猛威をふるった。三十九度近い高熱が、二週間も俺を蝕んだ。若者は軽症で済むはずだったろうと、死にそうな頭で呪いの言葉を呟いていた。


 札幌の大学に通うため、俺は一人暮らしをしていた。実家は、電車もバスも碌にない田舎だ。札幌の大学に通うとするならば、拓みたいに車を買ってもらうか、親に最寄り駅まで送り迎えして貰うか、大学近くに住むかの選択を迫られる。親に送り迎えして貰うのは、気を遣うから却下だ。大学生となれば自由に行動したい。バイトで金を貯めて、好きに遊んで。でも、交通事故のトラウマで、車の免許を取るのは気が進まなかった。


 結果、大学近くの安アパートで一人暮らしをする事になった。


 夢破れ、障害者になった息子の新たな夢を、親は応援してくれた。でも、その目が凄く冷めたものだと気付いている。サッカーの時とは、明らかに違う。


『絵なんて、飯の種にはならない』

 そう、顔に書いてある。


 だから、コロナで寝込んでも、助けを求めることが出来なかった。医療体制が逼迫しているから、持病がないし若いし「軽症」の俺は、自宅療養するしかなかった。支援物資を頼んだが、一向に届かない。


 大学に来ない俺のことを拓が心配して、アパートに来てくれた。


「なんでHELPださねーんだ」


 開口一番叱られた。それから毎日、部屋のドアに食べ物をお供えしに来てくれて、LINEで安否確認してくれた。二週間、毎日。


 支援物資が届いたのは、熱が下がった一週間後だった。お礼にあげると拓に言ったら、「太るから要らない」と言われた。ポテチ食うよりお粥の方が、低カロリーだと思うけど。


 拓にこれ以上迷惑は掛けられないな。

 そう思ったけど、結局また迷惑を掛けることになった。


 コロナのせいでアニメ制作は間に合いそうにない。仕方なく所々映像で補うことにした。でも、手持ちの動画にイメージに合うものが見当たらない。録りに行くには、足がない。


 どうしようか迷って、『課題できたか』というLINEに『出来てない。助けてくだちい』と返してしまった。


『いいよー。てかふりーなwww』


 すぐに拓から返事が来た。

 拓は本当に、良い奴だ。


 月が綺麗だと、拓が言った。見上げると、赤みを帯びたでっかい満月が空にぽっかり浮んでいた。凍ったアスファルトが月光を跳ね返している。


 なんだか、赤い。月光を跳ね返すアスファルトが、淡く、赤く、光って見える。

 月が赤く見えるからって、光まで赤くなるんだっけか。


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、目に飛び込んできた光景に、思わず口を開けた。


 誰かが、走っている。


 真っ直ぐに背を伸ばし、規則正しいストロークで。まるで、月を目指しているみたいに。

 

「冬なのに、ランニングしてる人がいる」

 思わず呟く。


「どこ?」

 拓が問う。俺は、前方を指さした。見えないのは、おかしいだろう。同じ道の、少し前方を、あんなに綺麗なフォームで走っているじゃないか。


「午前一時だぜ。しかも、こんなツルツルの地面だぜ。走ってる奴なんか、いるはずないだろ」


 車を運転していたら、歩行者って見えないんだな。そりゃあ、轢かれるはずだよな。そう思いながら、追い抜かされていく人影を見つめた。


 走っているのは、男だった。すれ違い様、目が合った。真っ黒な穴みたいな目だった。彼は「あ」と口を開け、こちらに手を伸ばしてきた。


 男は笑った。口を大きく開けて、子供のように、無邪気に笑った。


 月光は彩度を増し、今やまるで血のように真っ赤だ。その光を浴びて、アスファルトも鮮血を流したように光っている。

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