第2話 夜のパチンコ店
昼間に解けた雪が凍り、道路の摩擦係数は悪魔的に低い。道の両脇は除雪車が作り出した雪壁で景色が隠されている。時折現われる青い標識がなければ、今自分がどこにいるのか見失いそうになる。気が滅入りそうになり、信号待ちの時間を利用してスマホの音楽アプリを開き、派手な音楽ばかり入っているプレイリストを選択する。
バイト先のパチンコ屋は灯りが既に落ちていた。六百台分の駐車場を持つ巨大なパチンコ店が光を失っていると、その地域全体が停電になったのかと勘違いしそうだ。それくらい巨大な闇に、店舗の白い壁がぼんやりと浮んでいる。光源は多分月だ。淡くて、青い。
そこにぽつりと黒い人影が現われた。高い背を寒そうに丸め、不自然に左右に大きく身体を揺らしながら近付いてくる。黒いダウンジャケットに黒のスキニーパンツ。修平は鮮やかな絵を描く癖に、着る服はみんな黒い。
「ごめんなー」
躊躇無く助手席のドアを開け、上背のある身体を滑り込ませてくる。
背が高くて、目鼻立ちのはっきりした男前。ちょっと陰のある感じがまた女心をくすぐるらしい。数々の誘惑に心を動かさないクールさまで持ち合わせている。神様は不公平だ。
高校時代はサッカー一筋で、名門校のレギュラー選手。守備範囲が広く、タフで、フィールドを全速力で駆け回っても、最後までスピードを失わない。いずれはJリーガーになるだろうと言われていた。
しかし不運なことに、交通事故で骨盤を骨折し、サッカーの夢を諦めなくてはならなかった。修平の骨盤は元の形には戻らず、右足が三㎝短くなった。お陰で歩く時は左右に大きく身体が揺れる。
これではサッカーどころではない。
小学校時代からの親友にこんな不幸が降って湧くなんて。信じられない気持ちで、一杯だった。絶望する修平に、なんて言葉を掛けていいのか分からなかった。でも一人にしていたら、生きていくのを放棄してしまいそうで、怖くてとにかく傍にいた。
でも、どこかで。
ほんの、ほんの少しだけ、何もかも持ち合わせていた男の不幸を喜んだ。
――天才少年修平は、普通の人になりました。
心の中に、そんな言葉が降って湧いた。ほんの、ほんの一瞬だけ。
暫くして修平は、驚くくらい呆気なく次の夢を見付けた。
『漫画家になろうかな、俺』
そんな簡単になれるわけ無いだろ。そう、思った。しかし、修平はあっという間に絵を習得した。小学校時代から油絵を習っている俺が舌を巻くほどの、優れたデッサン力。そして、表現力。
神様は、不公平だ。
修平は、俺と同じ美術学科のある大学に通うことになった。俺は絵で身を立てたい。それが、小さい頃からの夢だ。
課題に追われているはずの修平は、カーステレオから流れる音楽に合わせて鼻歌を歌い始めた。暢気な奴だ。
「で、どこ行く」
問いかけると、修平は尖った顎先を傾けて唸る。
「真ーーーっ暗な中に、オレンジ色の光があるとこ」
「オレンジの光?」
「お前ん家のテラスから外を見ると、オレンジ色の外灯が国道を照らしてるだろ? あんな感じの所」
「んじゃ、俺ん家でよくね?」
「
住宅地っていっても、隣の家まで徒歩二分だぜ。そう思いながら贅沢な要望を叶えられそうな場所に思いを巡らせる。
「とりあえず、田舎方面」
「りょっ」
俺らの行動は大抵の場合、見切り発車なのである。俺はアクセルとクラッチを踏み、シビックを発進させる。黒い車体が、夜の闇に重厚なエンジン音を響かせた。
大学生の俺がスポーツカーに乗っているのは、何もボンボンだからと言うわけではない。公共交通機関が整っていない田舎で自由に動き回るには、車か親の送り迎えが必要だ。親は自分の手を煩わす代わりに、中古車を買い与えた。その車種がスポーツカーなのは父親の趣味だ。母親はいい顔はしていない。
「大変申し訳ない」
珍しく修平が頭を下げる。
「どしたぁ。腹下したか」
戯けた声を返しておく。実際そこまで迷惑だとは思っていない。友達のピンチに手を貸すのは当然の事だし、夜のドライブは嫌いではないし。
国道275号線はどこまでも真っ直ぐだ。
その道の先に、真っ赤な満月が掛かっている。
「綺麗な月だな」
思わず呟いた。
「ほんとだー」
修平が暢気な声で応じる。しばらく口をぽかんと開けて、大きくて赤い月を眺めていた。
「水彩で描きたい月だな」
「水彩か……」
修平の言葉に、俺は少し眉を寄せた。
水彩画は、苦手だ。透明な画面を作りたいと思っても、色が濁って上手く行かない。水彩絵の具は修正がきかない。混ざって濁った色は二度と透明感を取り戻すことはないし、気に入らないからと言って、違う色を重ねて消すことも出来ない。
苦手な画材だけど、自分に似ていると、どこかで思う。
手軽に手に入る安っぽい画材なのに扱いが難しい。でも殆どの人が、その難しさに気付かないで雑に扱う。もっと絵を追求したい人はアクリル絵の具や油絵の具に乗り換える。今の時代はタブレットが主流かも知れない。絵を描こうと思わない、世の中の大多数の人は、絵を描く必要が無くなると捨ててしまう。
修平は、アクリル絵の具のような人間だ。
水彩絵の具のように透明にもなれて、油絵の具のように重厚にもなれて、いくらでも上書きして新しくやり直すことが出来る。
やっぱり神様は、不公平だ。
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