後編
放課後の教室は、とても静かだった。
先週までは当たり前だったのに、今は緊張でいっぱいだった。それは、ここ一週間一切話さなかった二人が、二人きりになっているのも原因の一つだと思う。
授業が終わるなり桐島さんに「今日の放課後暇だよね? 授業が終わったらいつもの所に来て」と言い逃げされて、今に至る。一方河井さんにはどうやって説明したのかは聞いていないから、もしかしたら桐島さんのおせっかいに困惑している可能性もあった。
「桐島さんが気を使ってくれたのかもしれないけれど、無理しなくてもいいからね」
河井さんの顔色はどこか強張っていて、とても望んで来たといった様子では無かった。
「全然無理していないから……」
本人がそう言うのだから、内心は違うのかもしれない。だけど、俺にはどうしても強がっているようにしか見えなかった。
外からは運動部の掛け声だったり、バットの金属音であったり、トランペットの穏やかな音であったり、色々な音が聞こえる。それでも、ただひたすら放課後のBGMを聞いているわけにもいかず、話を先に進める。
「今日はどういうシチュエーションで行こうか?」
じっと固まっていた彼女は、大きく深呼吸をすると、俺の目を見る。その視線はあまりにもまっすぐで、俺は思わず目を逸らす。
「今日はアドリブでお願い」
彼女はボソリと呟いた。これまで熱心に希望を言っていたことを考えるとずいぶそっけない対応だった。本当に桐島さんは大きなお世話をしたのかもしれない。
そして、再び静かになった教室では、BGMがやけに大きく聞こえる。それぞれ別の目的で奏でる音たちは適当な周期で演奏を繰り返している。
だけど、あるとき。その周期が綺麗に揃い、この教室から音が消えた瞬間があった。
「私はあなたの優しいところが大好きです! 付き合ってください」
彼女はなんの前触れもなく練習を始めた。そのセリフを一言も噛むこと無く言い切って、下を向く。次は自分の番だった。
突然のことで、少し焦りもあったけれど、アドリブと言われた瞬間から何を伝えるかは決めていた。
「俺も……」
どうせ練習。言葉の全てが何事もなかったように、彼女の本番の糧と消えるのであれば、思いっきり自分の思いを伝えることにした。練習を終えたら桐島さんもお願いを聞いてくれるはず。そうしたら、この想いも綺麗に精算できる気がしたから。
「河井さんの頑張り屋さんなところ。つらいとき手を差し伸べてくれること。小さくて可愛いところ。俺も好きだったよ!」
「ありがとう!」
彼女の表情は明るかった。さっきまで不貞腐れていたような彼女であったから、不安だったけれど、どうやら最後の告白練習はやってよかったらしい。俺がホッと心をなでおろしていると————
突然、ぬくもりが体を包んだ。
俺の目はありえないほど近くに河井さんを映し、長い髪から香る、シャンプーの匂いが鼻をくすぐる。彼女の細い腕が俺を抱きしめていた。
いつの間にか教室には音が戻っていたけれど、たしかに河井さんはゼロミリの距離にいる。
「ちょっ! 河井さん!? どうしたの?」
彼女の吐息は聞こえるのに、返事はいつまで経っても聞こえてこない。俺は慌てて引き剥がそうとしてみても、むしろ細い腕に力がこもる。
「河井さん? 本当どうしたの? 大丈夫??」
「だいじょうぶじゃない……」
やっと聞こえた声は、くぐもった涙声だった。俺も、全く大丈夫じゃなかった。
この様子からすると、どうやら俺は河井さんを泣かせてしまったらしい。これまで告白練習をしてきて、泣いたこともなければ、抱きつかれたこともない。原因が全く思い当たらず、ただひたすら立ち尽くすだけ。
「困っているようだね、小林くん」
足音もなく、突然聞こえたのはもちろん桐島さんの声。
その瞬間河井さんがビクッと体を震わせたかと思えば、より強く抱きついてくる。
「桐島さん、これはどういうこと? 何か知ってるの?」
「どうもこうもないでしょ? 私、廊下で聞いてたんだけれど、なんの疑問もないんだけど?」
近くで「裕香のバカ!」なんて、桐島さんの下の名前が聞こえたけれど、俺には状況が掴めない。
「いや、疑問しかないんだけれど?」
「ほんっと、鈍いね! じゃあ、藤花はなんつったの?」
「え〜と、けん……いや、私はあなたの優しいところが……」
俺はそこで言葉を止める。思い返せば確かに彼女のセリフはいつもと違った。だけど、だとすると……。
「そう、その告白相手は健人さんじゃない……ってことは?」
「えっ!? でもこれって、練習じゃあ?」
「私は告白練習って言った。だけれど、藤花はそう言った?」
俺は言葉を失った。だって、と言うことは。
もし、もしもの話。その練習だと思っていた行為が、ちゃんとした意味を持つのであれば……。
頬のあたり燃え上がるように熱くなった。たぶん、頬は真っ赤に染まっている。
その様子を見て、桐島さんはあきれたようにため息をついた。
「ほんっと、勇気が出なかったって告白しない藤花も藤花だけど、小林くんも大概鈍すぎない?」
また近くで「裕香のバカ!」と聞こえたけれど俺の頭はもうそれどころではなかった。
河井さんに抱きつかれている状況だって、意味を持ってくると途端に恥ずかしくなってくる。それでも、離したくない気持ちも強い。
「小林くん、遠回りしてごめんね……でも、ありがとう」
河井さんは顔をあげた。泣き腫らしていたけど、眩しい笑顔ではっきりと口にする。そんな彼女に対し、「こちらこそ」のたった一言さえ恥ずかしくて、ゆっくりと首を縦に振ることしかできなかった。
実際のところ、練習が必要なのは、俺だったのかもしれない。
「あの〜お取り込み中のところ悪いんだけれど、私は小林くんのお願いを叶えたほうがいいの?」
「お願い?」
俺よりも先に河井さんが首をかしげる。すると、桐島さんは何かを思いついたよう、にやりと笑う。
「そう、告白練習をするために、私小林くんになんでもしてあげるって言ったの! 藤花には秘密だよ〜」
桐島さんはいじわるたっぷりな口調。だけど、河井さんは桐島さんではなく、俺の方を睨んできた。超至近距離の視線をなんとか
「やっぱり無しで……もう必要ないからね」
「あっ、もしまた必要になったらいつでも言ってくれていいからね!」
桐島さんはニヤニヤしながら、絶対にあり得ないことを言い放った。
もちろん、河井さんは余計に俺を睨んでくる。だから、言ってやった。
「桐島さんのバカ!」
だって、『河井さんの好きな人を教えて欲しい』という願いがもう必要になることはないのだから。
クラスメイトの告白練習に付き合っていたけれど、告白相手は俺じゃなかった さーしゅー @sasyu34
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