中編

 あれから一週間が経った。


 日課であった告白練習は無くなって、本当の日常が返ってきた。だけど、その日常はいつの間にか、味気ないものになってしまっている。

 

 そして、河井さん本人とも会話しなくなった。告白練習をするまでは、クラスメイトの中でも、そんなにたくさん話す仲でも無かったから、もとに戻ったとも言える。俺が避けていることを除いては。

 

 そんな、いつも通りに見えて、つまらない日常から目を逸らすため、朝休みから全力で読書をしていると、ある女子生徒の声を聞く。


「ねえ、小林くん、今暇?」

 

 その声の主は、河井さん……ではなく、クラスメイトの桐島さんだった。普段あまり関わることのない女子だったけど、要件はすぐに想像がついた。

 

「ごめん、今忙しいんだ」 

 

「そう? 私には机で読書をしているように見えるんだけど?」

 

「うん、読書に忙しい」

 

「じゃあ暇じゃん。ちょっと来て。すぐ終わるからさ」


 彼女は俺が読書をしていることお構いなく、俺の腕を掴み強引に引っ張ってきた。少し粘ってみるもどうやら拒否権はないらしい。

 

「そんな顔しないでよ。大丈夫、藤花は呼んでないから」

 

 俺はしぶしぶ立ち上がると、引っ張られるまま教室を後にした。

 その時、河井さんからの猛烈な視線を感じながら。

 

 桐島さんは自販機の前まで行くと、「何がいい?」と聞くので、目についたコーラを指差した。そして、彼女はがたんがたんと二つジュースを買うと、片方を手渡してくる。

 

「あっ、お金はいらないよ? その代わりにお願いを聞いて欲しいの」

 

 桐島さんは出しかけた財布を見るなり、そう言った。

 

「お願いを聞きたくないから、お金払わせて」

 

「お願いを聞く前に、そんなこと言っちゃうんだ〜」

 

「どうせ、河井さんのことでしょ?」

 

 桐島さんといえば、河井さんだった。おとなしい河井さんとは対照的に、活発で短髪の明るいイメージだけど、その凸凹が噛み合ってるのか、桐島さんと河井さんはいつも一緒にいる。


「正解! だからジュースを受け取ってよ〜」


「はい、百五十円。お金を払ったほうが安そうだったからね」

 

 彼女は埒が開かないと思ったのか、「え〜」と不貞腐れつつ、小銭を手のひらに受け取る。

 

「それで、要件は?」

 

「あっ、えーとね…………藤花をさ、許してやってくれない?」

 

「河井さんを許す? …………河井さんに何もされてないけど?」

 

「あー、まーそうなるよね……いや、ほら、小林くんここ最近藤花を避けてんじゃん。それって、怒ってるのかなぁ〜と思って」

 

 彼女は『ですよね〜』と言わんばかりに苦笑いをする。それでもなお、彼女は事情を察してくれないらしい。

 

「別に怒ってはいないよ。他の人から見たらわからないかもしれないけど、あれが俺らのいつも通りだから」

 

「怒ってないなら、じゃあ、なんで避けてるの?」

 

「いや、避けてない。いつも通りにしてるだけだから」

 

「避けてるよ! だって、告白の日までは一日、二、三回はしゃべってたんだよ?」

 

 彼女はムッとした表情で俺を睨んでくる。確かに、告白の日まではよく喋っていたかもしれない。だけど、今となっては無かったことにしたい事実だった。

 

「告白練習をしてたからだよ。その内容について話していただけで、告白練習をしなくなった今、話すことなんてないよ」

 

「じゃあ、なんで告白練習やめちゃったの?」

 

「桐島さんは知らないかもしれないけれど、河井さんは告白がすごく上達したからね。もうこれ以上練習をやっても意味ないと思うよ」

 

「でも、告白は失敗したんなら、まだ必要なんじゃない?」

 

 桐島さんは、これでも引き下がるつもりがないらしい

 

「別に完璧な告白をしたところで、必ずいい結果になるとは限らないよ。それに、彼女は少し失敗したくらいの方が成功率は高いかもしれないよ?」

 

「確かに、そうなんだけどさぁ……」

 

 桐島さんはずいぶん反抗的に肯定してくる。まるで、認めたくないものを認めざるを得ないような反応だった。


「だったら、いいじゃん」

 

「……このニブチンが!」

 

「なんか言った?」

 

「言ってない!」

 

 ぼそっと何かを言い捨てたり、逆ギレしてみたり、どうやら俺は怒られているらしい。

 人の苦しい気持ちも知らず、理不尽な話だと思った。

 

「もういいでしょ? 読書に忙しいから帰るよ」

 

「待って!」

 

 俺が回れ右をして、歩きかけたところ、右腕が引っかかった。

 いい加減しつこくて、俺は思わず「何?」と強い口調になっていた。

 

「小林くん、私なんでもするから! あと一回だけ藤花の告白練習に付き合ってあげて!」

 

「なんでも?」と言った彼女の表情に冗談は一切なく、真剣な表情をしている。

 一途に友達を想ったお願いで、笑い飛ばせるような雰囲気ではなかった。俺は大きくため息をつく。

 

「……わかった。じゃああと一回だけ河井さんと告白練習するから。もうこれっきりにしてほ欲しい」

 

「ホント!?」

 

「ああ、だけどちゃんとお願い聞いてもらうから?」

 

「うん、私のできるのことならなんでもするから」

 

 桐島さんのなんでも。それは随分魅力的な提案だった。だから、俺は桐島さんにしかできないであろう、して欲しいことを伝えた。すると……。

 

「あははっ! 小林くん面白いね!」

 

 彼女は途端に腹を抱え笑い出した。いたって真剣なお願いだったため、俺は少しイラッとする。

 

「ごめん、ごめんそんな怖い顔しないでよ! 大丈夫、ちゃんとするから。その代わり、告白練習を先にしてもらうからね?」

 

 俺はムッとしながらも、彼女の言葉にゆっくりと頷いた。そして、もう一度だけ彼女と向き合う覚悟を決めた。

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