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「最悪・・・。」
人事部の部屋の中、デスクに座り両手で頭を抱えていると・・・
「“お母さん”、大丈夫か?」
悪ガキがニヤニヤとした顔で話し掛けてきた。
それを・・・レイラや希奈含む人事部のメンバー全員がマジマジと見てくる。
そんなみんなのことも気になるけれど、私は小声で光一に喋る。
「どういうつもりなの?
最初の頃、おじいちゃんのことは絶対に言わないって言ってたでしょ?」
「最初の頃はな。
今はそうも言ってられなくなった。」
「・・・天野さんがそう言ってるの?」
「俺がナイトメディカルに出向されてるのは12月末までだからな、1年間だけの契約。
天野さんとしては、12月までに俺を使い物にして加賀製薬に返す必要がある。
そのうえ、マツイ化粧品の集中プロジェクトも成功させないといけない。
桃子しかいねーよな、キーパーソンは。」
そんなことを平然と言う悪ガキ。
そんな悪ガキを睨み付けながら、今年の1月から絞め始めたネクタイを眺め・・・
センスの良いそのネクタイを思いっきり引っ張り、光一の顔を私の元に引きずり落とす。
「妙子みたいな嫁を連れておいでって言ったでしょうが・・・。
どこの世界に“お母さん”を嫁にしようとする息子がいるの・・・!」
光一の耳元でそう叱りつけた。
妙子とは、光一の小学校からの女友達で。
ああいう女の子が光一の嫁に来て欲しいなと思っていた。
「何度も気持ち悪いこと言うなよ・・・。
妙子、そもそも人間じゃねーから。
それに妙子よりも良い女だろ、熟成度がちげーからな。」
そんなことを私の顔の目の前で、満足そうに笑いながら言ってくる。
そして・・・
「天野さんの“お母さん”も、血の繋がらない息子と結婚してるからな。
世界に1人は既にいるから桃子も気にするなよ。」
そんなことを言い出した・・・。
*
その日の定時・・・。
企画部にいた頃ではあり得ない、定時に荷物を片付けるという作業をしていると・・・。
「母ちゃん、俺この後ナイトメディカルに行くから帰り遅くなる!
もしかしたら、今日も帰れないかも!!」
「・・・あっそ。」
散々隠していたのに、今日のうちに社内中に私達のことが知れ渡ったからか、隠すことなく光一がそう言ってきた。
「冷てーなー。」
「あんたの高校時代の反抗期の方が冷たかったからね。
お母さんと目も合わせなかったでしょうが。」
「確かにな!!」
光一が笑いながらそう言ってきて・・・
「すげー楽しいよ、今。
俺、今すげー楽しい。
マジで死にたいくらいに苦しかったからさ。
天野さんと出会ってから、すげー楽しくなった。」
そんなことを言われたら、私は何もいえなくなる・・・。
何も言えなくなってしまう・・・。
「行ってきます!!」
「行ってらっしゃい・・・。」
満面の笑みの息子を見送る。
大きな背中を、見送る・・・。
光一は、今まで生きていて楽しくなかったのだと知った・・・。
死にたいくらいに苦しかったのだと知った・・・。
鮫島家と岩渕家、2つの家族で暮らしてきた・・・。
私1人ではとてもじゃないけど“お母さん”として家族を守れなかったから・・・。
“おじいちゃん”からの勧めで、奥さんを亡くしていた渡と協力して暮らしてきた・・・。
それぞれのきょうだいが上手く噛み合ったこともあり、上手く暮らしていけていると思っていた・・・。
でも、理子も真理も豊も・・・。
“普通”とは言えないような子達で・・・。
光一は頑張っていた・・・。
頑張ってくれていたのは知っている・・・。
“お母さん”をやると決めた私に協力をしてくれていたのは知っている・・・。
それが、まさか・・・
死にたいくらいに苦しかったのだとは、知らなかった・・・。
全然、何も、全く、知らなかった・・・。
会社のビルの出入口へ呆然としながら歩いていると・・・
「黒住さん、お疲れ様です。」
男性社員から声を掛けられ、私も返事をした。
よく見てみると、今日食堂でレイラと希奈と向かい合って喋ってくれた男性社員だった。
「凄く疲れてますね。
今日は色々とあったでしょうしね。」
「そうですね・・・。
色々と・・・色々と、あって・・・。」
「じゃあ・・・飲みに行きますか?
月曜日ですけど。」
男性社員が照れたような顔でそう言ってきた。
いつものようなギラギラした顔ではなく、どこか優しい顔をしていて。
その顔を見て・・・
その顔を見て、頷こうとした・・・。
頷こうとした、その時・・・
私の腕が、少しだけ引かれた・・・。
「桃子さん!か~えろ!!」
若い男の子のそんな声が聞こえて、そっちを見てみると・・・
ナイトメディカルケア・コンサルティングの集中プロジェクトチーム、天野さん・光一・日下部さんでもないもう1人。
もう1人の天野君・・・天野弟二(ていに)君という子だった・・・。
天野君の登場に驚いていると、天野君は優しい顔をして笑った。
首を傾げて笑った。
「駅まで一緒に帰ろ?」
「駅・・・?
でも、ナイトメディカルの会社に行く駅と違うよね・・・。
さっき光一は会社に行ったよ?」
「俺、ナイトメディカルの社員じゃないから!
調査会社の社員!!
ナイトメディカルとの契約で、今回俺もチームに加わってる!!」
そんなことを言ってきて、それは知らなかったので驚く。
「天野さんとご兄弟なんだよね?」
男性社員と別れた後、天野君と歩きながら天野君に聞いた。
「うん、戸籍上は俺のお兄ちゃん。」
「戸籍上は・・・。」
「俺の家も複雑でさ!!
腹違いのきょうだい含めて全部で9人、血の繋がらないお兄ちゃんが1人!!
父親はいなくて、母親が2人!!
その1人がお兄ちゃんのお母さんで・・・」
天野君が言葉を切った後、さっきまでの可愛い顔ではなく鋭い目付きで私を見た。
「その1人がお兄ちゃんのお母さんで、俺の腹違いの1番上の兄貴と結婚した。」
「そう・・・なんだ・・・。」
「兄貴が小学校3年生、お兄ちゃんの母親は25歳だってよ、出会った時。」
「そうなんだ・・・。」
「で、俺達の父親がガチの犯罪者で色々とあって!!
お兄ちゃんの母親と兄貴が結婚した後、俺の兄弟5人を養子縁組してくれた!!
だから、雷とは戸籍上の兄弟!!」
色んな意味で我が家とは違う苦労があるであろう天野君を見上げる。
そんな私を、天野君が優しい笑顔で見下ろしてくる。
「良い“お母さん”だったんだろうね、桃子さんは。」
「え・・・?」
「光一を見たら分かるよ。
ちゃんと愛されてる顔をしてるもん、“お母さん”に。」
そう言ってくれて・・・
そんなことを言ってくれて・・・
泣いた・・・。
涙を流して、泣いた・・・。
「良い“お母さん”じゃなかったんだと思う・・・。
少しでもそうでありたいと思ってたけど、そうじゃなかったんだと思う・・・。
光一は苦しかったって・・・。
生きてて、苦しかったって・・・。」
こんなに若い男の子の目の前で、我慢出来ずに泣いてしまう。
泣いて、こんな弱いことを言ってしまう・・・。
「それでも、光一は生きてた。
苦しみながらも前をしっかり向いて、色んなことと向き合おうとして、生きてた。
男らしくて格好良い男に育てたね、桃子さん。
俺の兄貴達以外で初めて、俺はあそこまで極上になれる良い男を見たよ。」
「極上になれる、良い男・・・?」
「そう、極上になれる良い男。
愛して愛して仕方がない相手がいて、権力も兼ね備えた極上に良い男。
光一はこれから権力も兼ね備えられるだろうから、極上になれる良い男。」
「光一、愛して愛して仕方がない相手は・・・いるの?」
年下の可愛い彼女がいる光一・・・。
それを思い浮かべながら聞くと、天野君は面白そうな顔をして笑ってきた。
「聞いてみなよ、本人に。」
「聞いていいのかな・・・。
男の子って、お母さんに恋愛の話とかされたくないだろうなって・・・。」
「それはまあ、そうだろうけど!!
でも、光一にとって桃子さんは・・・うん、ね!!!
とりあえず、聞いてみな!!」
天野君がそう言って笑いながら、私にティッシュを渡してくれた。
「他の男の誘いになんて乗っちゃダメだよ!!
真っ直ぐ帰ってね!!」
そう可愛く言ってきて、大きな背中を向けながら私に手を振った。
「今時の男の子なのに・・・光一みたいに筋肉凄い・・・。」
ティッシュで涙を拭きながら、そんなどうでも良い感想を口にした。
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