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mog

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 よーいどん!


 横一列に並んだ子供達が掛け声と共に走り出す。


 幼稚園の運動会。


 過去の記憶が徐々に鮮明になる。


 私の隣に並ぶ女の子はクラスでも勝気で駆けっこが得意だった。


 私は走り出す子供達の後ろ姿を見送る事しかできない。足が動かない。


      『行かなきゃ』


 そう思うのに、動けない。

 力なくだらりと伸びた両手。

 その指先は氷のように冷えて固まり、体を支える2本の足はブルブルと細かく震えている。


「〇〇ちゃん!走って!」


 先生達が励ますように私に声をかける。

 何故か呼ばれた名前だけが聞き取れない。


 担任の先生が私に駆け寄る。

「大丈夫、怖くないから」


 そうだろうか?

 私は行くべきコースを恐る恐る見る。


 幼稚園のさほど広くないグラウンドには、運動会用に白線が引かれている。土の上に引かれた白線がくっきりと見える。


 だが、その白線以上に目につく、あるものが私の目を奪っていた。


 他の子供達の背中はとうに見えなくなっていた。


 見えるのは土と白線と、煮えたぎるマグマが交互に並んでいる異様な光景。


 ぐつぐつと溶岩がうごめき、

 時々パチンとはじけて泡立っている。


 ……とても怖い。足を踏み外せば即死だ。


 それなのに、他の子供達はまるで気にする風でもなくそれぞれのコースを懸命に駆けている。


 誰かがゴール間近なのか子供達の歓声が一際大きくなる。


 あと少し。その気の緩みが原因だったのか、

先頭を走る女児の足が何もないところで引っかかり足がもつれた。


 危ない!と思った時には彼女の体は前方に大きく傾いていた。


 コースの広さは小さな子供がギリギリ1人走れるほどしかない。その割にコースとコースの間にあるマグマは意地悪く広い。


 そのまま前のめりに倒れたら怪我はするかもしれないが、きっと助かる。


 私はそれまで力の入らなかった両の手を胸の前に掲げ、きつく握り合わせた。


  『あの子がどうか落ちませんように』


 祈りは届かなかった。


 前のめりに傾いていた小さな体は、もつれた左足を軸にバランスを崩して真横にぐらりと傾く。


 彼女の顔が、その時初めてマグマを認識した表情に変わった。勝気で愛らしい顔が恐怖に大きく歪む。


 ジュッ。


 一瞬だった。そのまま赤くトグロを巻く溶岩に飲まれ、彼女は悲鳴を上げる暇もなく消えた。


 他の子供達はそんな彼女に一切関心を持たず、2位から1位に繰り上げでゴールした男児を歓声と共に迎えていた。


 皆、異様な程興奮していて視点が定まっていない。歓声だと思っていた声もほぼ奇声に近い動物のような雄叫びに変化し、口からよだれを垂らしている者も少なくなかった。


 私は恐怖に顔を引き攣らせながらすぐ傍で私を鼓舞していた先生を見上げる。


 先生は『彼女』が消えた場所に向けていた視線を静かに私に戻した。


 まるで機械の様な無表情な顔をしていたが、

再び私にニッコリと笑いかけ、


「おめでとう、H3236645。合格よ。」


 私は呆然として彼女が落ちた場所を見る。


 相変わらずぐつぐつと煮えたマグマがパチンと弾ける。


 まるで「こっちへおいで」と手招きしているようだった。



「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 薄い毛布を跳ね上げて起き上がる。

 全身汗だくだった。


 汗で顔に張り付いた髪の毛を震える指で払う。


 暗闇と静寂に包まれた部屋に、小さな灯り取りの小窓から差す月明かり。


 畳二畳ほどの空間。

 いつもの、見慣れた私の部屋。


 暗闇に目が慣れると、部屋の角に飲料用の小さな冷蔵庫がポツンと置かれているのが見える。


 大丈夫。


 ベッドサイドで充電中の学習用電子パッドが淡く光っている。


 パッドをスライドさせてロックを解除する。

 時間を確認したかった。


 時計を見ると少し早すぎるがギリギリ朝と言っても差し支えない時間だった。


 もう眠れそうにもない。セットしていたアラームをついでに解除する。


 早鐘を打つ心臓は今にも破裂しそうなほど跳ねている。私は深く深呼吸しながら呪文の様に現状を俯瞰する。


 私の識別番号はH3236645。

 名前はない。


 この世界では日々試練が用意されており

 勝ち残らねば死が待っている。


 毎日がまごう事なき生存競争だ。


 私は先月やっと15歳になった。


「あと、1年…」


 落ち着きを取り戻し始めた心臓を宥める様に胸に手を当てる。指先に熱がもどっていると思ったが、あれは夢の中だったと思い出して苦笑する。現実に起こった記憶の再生だが、夢は夢だ。今は今でしかない。


 この世界では16歳になれば日々命をかけた試練という名の戦線から離脱できる。

 そして名前を与えられる。


 バグや劣等種に変異する可能性がある不安定な成長期に子供達はにかけられるのだ。


 今、この世界には自然妊娠は存在しない。


 私達は皆、遺伝子操作された人工受精卵から生まれた試験管ベイビーだ。当然、個体としての親は存在しない。


 あえて言うならば、この世界そのものが親だろうか?


 16歳を無事迎えた優秀で健康な遺伝子だけが生き残る世界。


 劣等種は容赦なく処分される。


 かつては「残酷」「非人道的」「差別」などと言われたそうだ。


 今は誰もがこの世界を受容している。


 何故なら人類史上、今が最も平和で幸福度が高いからだ。


 ふるいにかけられている間ですら、子供達は衣食住に困ることはない。


 選定者であり管理者である大人達は皆平等に子供達に接する。それが当たり前だからだ。


 個体としての親もいないため、望まれない子供など存在しない。皆、必要とされ生まれる。

 勿論、虐待もありえない。


 ただ、いくら科学が発達しようとも個体の成長には自然な時間経過を必要とし、適切な教育と選定が必要だった。


 そしてどんなに研究を重ねても遺伝子は成長過程の中で計算外の変異を起こし、時にはバグが発生する。生物は技術力を超えて進化する。それは机上の計算では決して読み切れないのだ。


 無事16歳を迎えた者は、すべからく豊かに暮らし社会に優秀な能力を還元する。


 おぞましい偏見、戦争、殺人、いじめ、

 そんな物はこの世から消えた。


 あれほど「差別だ」と批判を受けた社会制度は、皮肉にも世界から差別も争いも環境破壊さえも消し去った。


 人類は遺伝子レベルで管理、教育、選定される事によってあらゆるエゴから解放された。


 その昔はでも『人権』に守られていたそうだ。そしてどんなに劣悪な環境であろうと、不自由であろうと、異常であろうと、。どんな理由があろうとも、自ら命を断ちたいと願う事は悪とされたし、困難であった。

 人は自由を叫びながら、1番必要な自由を奪われていた。


 それは幸せだと、自由だと、呼べるのだろうか?


 私は小窓を開け、夜明けの澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 優秀な人々の再生技術により死にかけた星は蘇り、科学と自然は共生し、美しく繁栄し続けている。


 今日、私はによって死ぬかもしれない。


 それでも私はこの世界を残酷だとは思わない。


 私は毎日小さな小窓から見える、この美しい世界を見て心から願う。


 明日も生きたい。この素晴らしい世界の為に生きたい。


 この世界にふさわしい人として。

 その為に全力を尽くす。


 それはとても幸せなことだ。



 fin.

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utopia mog @pink_rabbit1189

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