第17話 別れは言わずに

 熊の爪で破けた着物を頭巾代わりにして被った。


 村は大騒ぎだった。

 牛鬼除けに力がないとわかり、高値で何枚も買った人間が怒鳴り、まだ力を信じている人間と取っ組み合いをしていた。

 他にも長者の横暴に耐えてきた人間が一揆のごとく屋敷に押し寄せた。長者は姿をくらましたらしい。大勢が家探しをしながらそんなことを言っていた。

 


          ◆


 

 誰とも顔をあわせたくなかった。おれは人のいなさそうな、家屋の裏手を選んだ。そこにあの人がいた。


「待て、そこな少年。声をあげて人を呼ぶ気なら考え直せ」


 奇山きやま先生も追われる身だった。

 牛鬼除けに力がないと看破したはいいものの、信じて買った一部の連中から逆恨みされて石を投げられたという。


 しかし、おれが追ってでないとわかるなり、奇山先生は興味をなくしたような顔になる。


「どうしたんだ、瓜助。着物が破けているぞ」


 今になってようやく気づいたのか。


「ここにもいなかった」

 言って柄にもなく溜め息を吐く。


 牛鬼の噂は虚無僧こむそうにそそのかされた長者が、意味もない札紙を売ってもうけるための嘘だった。

 牛鬼が山から降りてくると言われ、座敷でじっと待ったがなにも起きず、ただ待ち惚けを食らわされたそうだ。出ていった虚無僧が帰ってくることもなかった。


「そういうきみこそ、どこへ行っていたんだ」


「おれは……」

 言おうとして、言葉に詰まる。


「ははん。さては子どもたちに群がられて遊んでいたな」

 奇山先生はしたり顔になる。


 なにも言わず奇山先生に歩み寄った。胸をあわせて腰に手を回す。


「ん? 私と離れて寂しかったのか」


 普段なら首を振っていたが、今ので堪忍袋かんにんぶくろが切れた。奇山先生の腕がおれを抱きかかえ、相撲でいえばちょうど四つに組んだ状態。腰の帯を握った。


 そして下手投げにする。

 どさっ、と路地裏で音がした。


「……すいません。ずっと子どもたちと相撲とってました」


 本当にそうだったら、よかったのに。


「そ、そうか。だったら構わないが、受け身の取り方も知らない男にこんなことをしてはいけないぞ」



          ◆



 おれと奇山先生は日が落ちてから村を発つことにした。

 長者と虚無僧が姿を消したせいで、村の出入口に見張りが立てられたのだ。先生は騒動の渦中にいるし、おれも下手をすれば捕まりかねない。騒動がひと段落してから隠れていた小屋をでた。


 土を踏む音だけがする。

 空に昇った月だけがおれを見ていた。


 奇山先生は旅慣れしていて月明かりで道を歩く術を知っていた。それに倣っておれもあとに続く。


 村の出口は無人だった。代わりにあぜに木の棒が立っている。


「罠が仕掛けられているわけではないようだ」


 夜風が吹いて、棒の先に結ばれた布がなびいた。


「きみのじゃないか。誰かが拾っておいてくれたのか」


 目を凝らしてみれば、それは昼間おれが落とした青頭巾だった。

 手にとった頭巾はまだ湿っていた。あの滝は用水路に繋がっていたし、畑作業していた人間が拾って、目立つようここに結んでおいたのか。


「これもきみのか」


 棒の根元に四角い風呂敷包みがあった。見覚えのない柄だ。

 奇山先生は手で持って重さをみたり、揺すって音が鳴るか試したりした。それでも正体はわからず、風呂敷を解いて中を検めた。


 包まれていたのは小さな木箱だった。草を結った紐を外して蓋を開ける。


 これ……


 箱にはきゅうりの漬物が詰まっていた。

 なぜだか目尻が熱くなる。


 しかし、あまり長居しているひまもない。おれは風呂敷包みを旅の荷に加えた。


「……行きましょう、先生」


 街道を進むと山が近づいてきて、木々が月を隠した。後ろにあった田畑が遠のき、やがて山道へ入るとそれも見えなくなった。


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