第14話 牛鬼の真相

 長者の屋敷には人だかりができていた。


 あの家は牛鬼にやられたと噂が広まり、皆あわてて牛鬼除けを買い求めにきたのだ。金子を用意できなかったのか、荷車に米俵や樽を積んだ人間もいる。屋敷から下男が数人でてきて行列からはみ出た者を叩いた。


 おれと奇山先生も行列の後ろへ回されるところだった。


札紙ふだがみならもう持っている」


 奇山先生は手にした牛鬼除けをなびかせる。


「ここにいる虚無僧こむそうに用があるんだ。会わせてくれないか」


「しかし……」


 行列がどよめいた。下男もおれもそっちに目をやる。人だかりを割って歩いてきたのは深編笠を被った虚無僧だった。


「随分と騒がしいですね。なにごとですか」


 わざとらしく深編笠が辺りをうかがう。笠を脱ぐ。柔らかな髪をたたえた女の素顔に詰めかけた人間がまた騒めいた。


「わざわざ、そちらから引き合わせてくださるとは。律儀なんですね。札紙をもう二、三枚付けておきましょうか」


「いいや、結構だ」


 割って入った奇山先生は昨日の不在をびた。


「では、あなたが雇い主の。確かお名前は」


安倍晴信あべのはるのぶ、通りすがりの陰陽師だ」


 ……え?


「ここな少年は私の打った式神の瓜助だ。旅の道中、荷物持ちを任せている」


 ぽん、と肩に手を置かれた。


 ……いや、あんた陰陽遣い《おんみょうつかい》だなんて今の今までこれっぽっちも。


 そもそもおれは河童であって式神ではない。なにをどう勘違いしたらそうなるんだ。


『陰陽師』という言葉には覚えがあった。

 烏帽子えぼしを被った、まじない遣いの人間だ。やつらは三度の飯より妖怪をあやめるのが好きらしく、里では滅法気をつけろと言われてきた。


「ほほう。今、姓は安倍とおっしゃられましたか」


「耳慣れない家名だったかな」


「滅相もございません。ええ、よくよく存じ上げております。まさかあの安倍晴明の血族だったとは」


 女の額に青筋が浮かぶ。

 陰陽遣いというからには、その安倍晴明も相当な悪党だったのだろうか。女の顔はまるで親の仇を前にして、それを悟られまいとしているようだった。


「しかし、そちらの式神からは怪異譚をあつめることを生業なりわいにしていると伺いましたが」


 女が顔をおれに向けた。奇山先生も尋ねるような表情をする。


「言いましたけど」


「そうか。嘘ではないが口の軽い式神というのも考えものだな」


 奇山先生の二本指が宙で五芒星ごぼうせいを描く。口が固くなるまじないでもかけているのか。


「なぜ素性を隠されているのです」


「行く先々で占いたくもない吉凶を占わされるのには飽き飽きしているんだ。陰陽師と明かすと、なにかと不都合も多い。この前の村は群を抜いて酷かった。きみなんて、危うく魔除けの像にされるところだったしな」


「はいはい、そうでしたね」


 息をするように法螺ほらを吹く。こうも堂々としていると、おれまで馬鹿にされている気がする。


「それはまた随分と苦労の多い旅道中ですね。して、高名な陰陽師様が私になんのご用で?」

 しかも素性を明かしてまで、と女は付け加えた。


「ここの山には牛鬼がでるそうだな」


「はい。それはまっこと恐ろしい妖怪にございます」


「にしては妙だ」


「……はい?」

 女が怪訝な顔をする。


「旅の道中、各地の口碑こうひ蒐集しゅうしゅうするのが私の趣味なのだが、ここの牛鬼伝説はどうにも新しすぎる。口伝くちづたえの巷説こうせつは歳を重ねた住人ほどよく知っているのが常だ。しかし、この村では誰に訊こうと同じだった」


「妙なことをおっしゃる。暇を余した老人が子や孫に語って聞かせれば、いずれはそうなります。でしょう?」


「だとしたら、なぜ今になって牛鬼除けなのか。そこが腑に落ちない」


「私の牛鬼除けに、なにかご不満でも」

 女は苛立たしげに言った。


「古くから伝わる怪異には、それを退ける風習が付きものだ。牛鬼が山にいたなら、今までその対策が講じられていなかったのは不自然だ。この牛鬼除けがそうだと言いたいのなら、陰陽師としてひとつ言わせてもらおう。魔を払うまじないは急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう。如律急急令では意味が通らない」


 それはつまるところ——


「この札紙になんら力はない」


 衆目のただなかで、奇山先生は牛鬼除けを破り捨てる。

 人だかりが騒めいた。中には道端に散った札紙の切れ端を拾おうとする人間もいる。


「まるで私がいもしない妖怪をでっちあげ、村を騙しているような言い草ですね」


「いもしない、とは言っていない」


 だけど、あんた……


「山になにもいないのなら、こうも噂は広がらない。しかも私が訊いた限り牛鬼の目撃談は一貫していた。形あるなにかが山にいなければ——」


 興がのったらしく、奇山先生はまた訊いてもいないことまでつらつらと話だす。だが、おれは一言たりとも聞こえなかった。


 ——山に入るときと川辺を歩くときは必ず持ってろ。


 小さな手に、あの札紙を握らせた。


 おれは唇を噛んだ。頭より先に体が動く。集まった人間を掻き分け、おれは山の麓にある家に向かって走った。


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