第11話 瓜助、再びお春の家へ
長者とあの女は不在にしていた。金子と引き換えに油紙に包まれた札紙二枚を手渡される。身構えていただけに拍子抜けした気分だ。
「本当に、これがあれば牛鬼に襲われないんだな」
「もちろんでございます」
街道を外れて田畑にでる。ごうごうと耳元で風が鳴った。農作業をする人間を横目に歩いていると、昨日と同じ道にでた。
麓に建つ民家が近づいてくる。なぜか足が重くなった。
竈の煙は昇っていない。なら留守かもしれないし、出直そうか。家のすぐ前まで来たのに、どうしてか気が引けてしまう。手をこまねいていると、がたがたと戸が音をたてた。
「あ、昨日の」
お春は着物の入った竹籠を背負っていた。
脚の悪い母親に代わって洗濯にいくところのようだ。母親は板間で破けた着物に針糸を通している。姿の見えない父親は村に漬け物を売りにいっているのだろう。
「なにか、ご用でしたか」
お春は顔をあげておれを見る。
面と向かって言おうとして、なぜだか言葉に詰まる。
遠くから滝の水音だけが細々と聞こえてきた。村の子どもとさして変わらないはずなのに、どうしてこうも息苦しい。
黙っているおれが怖かったのか、お春は怯えた顔になる。あわててなにか言おうとして、やっぱり声が喉につっかかる。これなら無邪気に寄ってきた、あの子どもたちの方がまだやりやすい。
見兼ねた母親がやってきて入れ替わった。
「なにかご無礼があったなら謝りますので、どうか」
母親は深々と頭を下げる。さっきから胸がざわついて落ち着かない。
「……そうじゃない。今日はこいつを」
前置きなんて器用なことはできず、おれは着物から牛鬼除けを引っ張りだした。包みを解いて札紙を一枚差しだす。
また静かになった。
走ってもないのに、胸の鼓動がうるさく聞こえる。耳中で心臓が動いているみたいだった。
「こ、こんな高価なもの、いただけません」
母親はあわてて断る。この家の戸口に牛鬼除けはなかった。それなのになんでだ。おれには人間の考えていることがわからなかった。
「だったら、これはお春にやる」
「……え」
お春はきょとんとしていた。屈んで小さな手に札紙を握らせる。
「山に入るときと川辺を歩くときは必ず持ってろ」
そうすれば襲われない。人に見せるなよ、とおれは言い添える。力づくで札紙を奪いにくる人間がいないとは言い切れない。
お春は手元とおれの顔を交互に見た。やがて状況に理解が及んだらしい。
「い、いいんですか。これ、すごく高いからうちは……」
「いいんだよ、別に」
人間はすぐ金勘定でものを言い始める。
「でも、見ず知らずの私たちにどうしてそこまで」
「……」
どうしてなのだろう。おれもそこはよくわからない。ただ、他の人間にも同じことをするかと訊かれたら首を横に振っていた。あとはそう。
「……昨日の漬物が、うまかったから」
言うなり母娘は揃って目を丸くした。
おれは背中がむず痒くなった。そこに立っているのさえ我慢できず、背を向けて、なにも言わずに畦道を駆け戻る。
ぐう、と腹の虫が鳴いた。思えば朝餉もまだだった。
◆
空が暗くなってから、ようやく奇山先生は宿屋に戻ってきた。
一日中歩いても疲れを知らないらしく、戻るなり今度は牛鬼除けの札紙を手にとって検分し始めた。まるできゅうりの品定めをする河童みたいだった。
「村で噂になっていたんだが、例の
言われて、おれも思い出した。
「尼僧なら、朝っぱらに訪ねてきましたよ」
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