第10話 瓜助、牛鬼除けを買う

 後をつけようと宿屋をでたが、あの二人はもうどこかへ行ってしまっていた。


「あっ、たびびとのおにいちゃん」


 探し回っていると、男の子がおれを指さした。村に着いたときにいた子どもだ。

 その声が届いたらしく、他の子どもも遊び道具にしていた棒切れを捨てて群がってくる。逃げようしたが背中から別の子どもに抱きつかれた。


「おにいちゃん、あそぼ、あそぼ」


「え? あそんでくれるの?」


「なにしてあそぶ? かくれおに?」


「い、いや、おれはまだなにも……」


 人間の子どもは耳から入ったことしか考えられないのか。袖や帯を引っ張って、おれを取り合っている。


「よ、よし、わかった。虚無僧こむそうを見つけてきたら遊んでやるぞ」


 追い払うついでに思いつきを言ってみた。これで子どもたちは散らばってあの女の居場所を突き止めにいくはず。


「こむ、そ?」


「なぁに、それぇ」


「あそび?」


 だが、あてが外れた。どうやら子どもたちは虚無僧という言葉自体を知らないらしい。このままではさっきの二の舞だ。


「遊びじゃなくて……かごみたいなかさ被った僧侶だよ。変な女の」


 目の前にいた子どもが首を傾げる。他の子どもに視線を投げても同じように首を傾げるばかりだ。


「かさって、これ?」


 後ろから声がした。振り向くと、子どものひとりが、どこから持ってきたのか腕に傘を抱いていた。その傘ではなく頭に被る笠だと説明しようとして、いつかのように怒鳴り声が飛んできた。


「こらっ、なにしてるんだ! 返しやがれ!」


 前掛けをした男が傘を引ったくる。あまりの形相に子どもたちは驚いて逃げていった。


 男は飯屋をしていた。おれに気づくなり笑みを貼り付けて飯を勧めてきた。もし外の料理でも申し付けてくれれば作ると言う。今度はその珍しい飯で客を釣る気なのだろう。腹は減っていない、とおれは断った。代わりに虚無僧について尋ねた。


「やはり牛鬼除ぎゅうきよけをご所望なんですか。あれなしで峠を越えるのは危ないですから。前にも猟師を案内役に付けた旅人様が襲われましてね。以来、峠越えには必ずあれを持つよう勧めておるんです」

 


                 ◆


 

 あの虚無僧は長者の屋敷で寝泊まりしているそうだ。

 女だったと話すと飯屋の主人は驚いて、もっと聞かせてほしいと食い下がってきた。また面倒なことになりそうな気がして、おれは走って逃げた。


 長者の屋敷は街道を外れた山裾に建っていた。立派な家構えで裏には土蔵もある。ちょうどそのとき、下男に見送られて男が二人でてきた。へこへこと頭を下げ、紙包みを後生大事に持っている。


「きみもほしいのか」


「わっ」


 驚いて体が跳ねる。すぐ後ろに奇山先生がいた。今朝履いたばかりの草履はすっかり土まみれだった。


「どこをほっつき歩いてたんですか。先生がいなくなったせいで、おれは」


「ああ、旅籠屋の主人にしつこく付き纏われたのか。それはすまなかった。きみには手出ししないよう言い付けておいたんだが、馬の耳に念仏だったか」


 奇山先生は他人ごとのように言った。


「山を散歩していたんだ。きみもするといい。朝霧が涼しいぞ」


 草履の土汚れはそれが理由らしい。あまりに呑気な態度に、おれは思わずむっとしてしまう。


「……食われても知りませんよ」


「牛鬼にか」


 他になにがいる、とおれは内心で思った。その口で牛鬼が人を食うと語っただろうに。


「なら角の一本でも見せてくれないものか。出没した場所を歩いてみたが足跡すら残っていない。——あれも、持っていなかったのに」


「なにをです?」


 尋ねると奇山先生は顎をしゃくった。


 その先で男ふたりが悲鳴をあげる。山から降りてきたのか、猿が紙包みを奪ろうとしていた。返せ、返せと怒声が飛ぶ。ひとりは紙包みを離さず、もうひとりが棒切れで猿を追い払う。

 あの人間たちはなにを必死になっているのだ。不思議を通り越して滑稽にすら見えた。


牛鬼除ぎゅうきよけだよ。そこな家は金子を用意できなかったから米俵と交換したそうだ」


 奇山先生は別の家を指さす。戸口には札紙が貼ってあった。人間には家前に魔除けを飾る風習があると聞いた覚えがある。それに似ていた。


「戸口にあの札を貼ってあると、牛鬼はその家を襲えないそうだ。山に入るときや峠を越えるときも持っていれば寄ってこない。この家は表玄関と裏口の二枚で済んだようだが、山仕事をする家だと三枚は要る勘定だな」


 軒下から札紙を見上げた。崩した字に朱印が捺してあるだけで、おれでもこしらえられそうだ。


 あんな紙切れと米俵を交換するのか。


 おれには村の人間が軒並み阿呆に思えた。試しに真似てやろうか。と思ったが書かれた字はどれも知らないものばかりだった。


「……如律急急令にょりつきゅうきゅうりょう


 ぼそりと奇山先生が呟く。そして手の平で金子を数えて、おれに手渡してきた。ちゃりんと音がする。


「ふたつ買ってきてくれ」


 ここにも阿呆がひとりいた。


 金勘定はまだわからない。だが米屋に行けば俵で米が買える大金なことぐらいはわかる。きゅうりだったら樽で買えるだろうに。


「字の書き方さえ教えてくれれば、おれが作って……あれ」


 さっきまで隣にいたはずの奇山先生がいなかった。角を折れたのか。目についた曲がり角を片っ端から覗いたが着物の背中はどこにもない。


 まったく、あの人は。


 拳を握ると、手の中に固い感触があった。


「……」


 牛鬼除けを売っているのはあの女だ。すき好んで顔をあわせたい相手ではないし、あいつの書いた札の世話になるのは、なんだか癪な気がした。


 牛鬼除けを貼っていない家もある。理由はおれみたいに意地ではないだろうが。


 街道沿いから外れると長屋や貧相な家がある。そこの戸口にはなにもなかった。あとで知ったのだが、半分以上の家はあの札紙を買えていなかったらしい。


 おれも一軒、そういう家を知っていた。


 ……ふたつ買うなら、先生に渡すのはひとつでいいはず。


 おれも大概阿呆かもしれない。


 しばらく佇んで、青頭巾を目深に被り直した。屋敷の戸を叩く。でてきた下男におれは用件を伝えた。


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