第9話 瓜助、虚無僧に会う

 日が昇って宿屋の人間が起きてくる。その足音で目が覚めた。奇山先生の布団は空だった。


荷物から予備の草鞋がなくなっている。どうやら夜明け前の村に繰り出していったらしい。おかげで宿屋の主人からは「是非とも昨日の珍道中の続きをお聞かせください」としつこく迫られた。よっぽど先の気になるところで話を切られたのだろう。


 おれはこの旅が初めてだし、珍道中とやらがなにかまったく知らない。

 そう説明しても主人は食い下がるばかりだった。あの人が逃げ出すのも頷ける。もっとも、身代わりにされたことを許す気は毛頭ないが。


 下男が来客を知らせにきて、ようやく主人は引き下がった。


「なんと、長者様がいらしたのか」


「はい。旅人様がいらしたことを隠しだてしているとお怒りで、すぐに引き合わせよと」

 下男は震えていた。


「そんな。今朝から姿が見えないのに、どうしろと」


「で、ですから、その」


 下男と主人が物言いたげな目でおれを見た。嫌な気がして、おれは二、三歩後退りする。また適当な理由をでっちあげて逃げよう。


 そう思ったが、客人はすでに玄関をあがっていた。

 ひげを生やした小太りな男ともうひとり、深編笠ふかあみがさを被った虚無僧こむそうだった。

 


                 ◆


 

 下男と主人に捕まって、おれは座敷に連れてこられた。向かいの座布団はふたつとも埋まっている。


「そう畏まられるな。せっかく旅の方が立ち寄られたのに長が顔を見せんのは村の恥だ」

 先に口を開いたのは小太りな男だった。


「見たところ随分とお若い。峠を越えるのもひと苦労であったろう。だが、ここへきたからには存分にくつろいでいってくれ。よければ——」


「長者様」


 ぴしゃりと虚無僧が話を遮る。脱いだ深編笠は座布団の横に置かれていた。


「私からもひとつよろしくて」


「おお、そうだった。すまぬ、すまぬ」


 おれに向き直った虚無僧は、柔らかな髪をたたえた女だった。人間としては相当な美人だ。横の長者も締まりのない顔をしている。

 だが、おれはどうにも気を許す気になれない。


「どうかしましたか。まるで蛇に睨まれた蛙のような面持ちですよ」


「別に、なんともない」


 胸の内を悟られないよう気丈を装う。


「あんたこそ、なにか用か」


「ええ。実は昨日から山にでる牛鬼ぎゅうきについて尋ね回っている殿方とのがたがいらっしゃると小耳に挟みまして。聞けばなんでも旅のお方で、今はこちらの旅籠屋はたごやに寝泊まりされているとか」


 この女は奇山先生を訪ねてきたのか。だとしたら生憎だ。おれは違う、と首を振った。


「おれは雇われの荷物持ちだ」


「あら、ふたり旅をされている方でしたか。ほほほ、これは失敬」

 女は口許を隠して、わざとらしく笑った。


「して、あなたの雇い主はいずこに」


「さあ。今朝早くに出かけたっきり姿を見ていない」


「それはまた随分と軽快な雇い主ですこと。では、行き先に心当たりなどは」


「ない」


「まったく?」


「……ああ、これっぽっちもない」


「そうでございますか。これは弱りましたね」


 わざとらしく言い、色白の手が着物の下から覗いた尺八を撫でる。


「……」


 この女はどこか歪だった。

 顔立ちは整っているし、座り姿や言葉遣いにも品がある。


 だというのにどうも信用ならない。目を見ていて、おれは幼い頃に里の近くにいた狐を思い出した。すらっとした肢体は見目麗しいが、あの赤々とした口内はぞっとするほど怖かった。


「あんた、あの人になにか用だったのか」


「ええ、少々興味がありまして」


 ちろりと赤い舌が唇をなめた。


「私は常々思いますの。人間は誰しも妖怪化生ようかいへんげを恐れ、それゆえに忌み嫌い、あるいはあがたてまつります。しかし、すき好んで寄り付こうとする人間はおりますまい。そうでございましょ」


 女の目が笑った。ぞくりと悪寒がする。


「あら、顔色が悪うございますよ」


「……ちょっと、足が痺れただけだ」


 まさか正体を見破られたのか。青頭巾あおずきんに伸ばしたかけた手をぐっと堪える。

 そうでございますか、と女は話を再開した。


「ですから、なにゆえあなたの雇い主はそのような真似をするのか。いささか気になりましたもので、こうして足を運んだ次第でございます。まさか旅の道すがら妖怪退治に勤しんでおられるわけではありますまい」


 その問いかけをきっちり否定できるほど、おれはあの人と同じ時を過ごしていない。知っていることと言えば——


「あの人は怪異の言い伝えをあつめるのを生業なりわいにしている。牛鬼の噂を訊いて回っているのも、そのためだ」


「ほう、言い伝えをあつめに」


 こくりと女は頷く。


 ……この女、本当に尼なのか。


 格好は確かに尼僧のそれだ。里の仲間は線香臭い、いるだけで息苦しくなる、と丸めた頭を嫌っていた。

 けれどもこの女は違う。虚無僧の真似をした、得体の知れないない相手に思えた。


 こんこん、と窓の外で音がする。障子に映った影がしゃっと飛び下りるのが見えた。


「なんだ、また山から猿でも降りてきおったか。猟師どもはなにをしておるのだ」


「そうかっかなさらないでください」

 言いつつ女は横に置いた深編笠を取って席を立った。


「もうよいのか」


「はい。用件はあらかた済みましたので」


「そうか。なら、儂も失礼つかまつるとしよう。お若いの、主人にもよろしく伝えてくれ。それではな」


 長者は早口に別れの挨拶を済ませ、女のあとを追った。下男は長者が腹を立てていると震えていたが、おれには長者が単にあの女の付き添いで来たように見えた。


 座敷の障子窓を細く開ける。見覚えのある背中はすでに遠かった。すると、物陰からなにかが飛び出し、あの虚無僧に駆け寄っていく。


 足下でくるくると回るそれは細身の白狐だった。


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