第6話 瓜助、山で少女と会う
風に吹かれた着物が背中に張り付く。子どもたちに囲まれて変な汗をかいてしまい、体はべとべとだった。頭から水を浴びたら、さぞ気持ちいいだろうに。
田んぼ脇に用水路がある。手桶さえあればすぐにでも着物を脱ぎたいが、おれは周囲を確かめる。田畑にはぽつらぽつらと人の姿があった。この村の人間が河童の水浴びなんて見ようものなら、どう反応するかわかったものじゃない。
用水路は山手から水を引いている。遡っていけば水辺に着けるはず、とおれは畦道を進んだ。用水路は山裾の滝壺に繋がっていた。水は澄んでいるが、そう遠くない所に民家がある。竈の煙がもくもくと空へ昇るのが見えた。
……山を登れば、なんとかなるか。
足下に水場があるのにわざわざ山に登って水を汲みはしないだろう。おれは諦めてもうひと汗かくことにした。
細い山道を歩きながら水音を辿ると、木の根が露出した斜面の下に渓流があった。さっきの滝壺とは違い、苔むした石がごろごろしている。人間なら容易に足を滑らせるだろうが、河童にとっては平地を歩くのとそう大して変わらない。
ここらで水浴びしよう、と着物を脱ごうとしたとき。
——ずるりと足でも滑らせるような音がした。
こんな所にまで人間が。そう思った直後、なにかが水に落ちた。苔だ。岩から剥がれ落ちたらしい。
頭上を見ると、斜面から突き出た大岩の縁に子どもがしがみ付いている。幼い人間の少女だ。しかも足は宙をぶらついている。水面まではかなりの高さだ。川底には石がいくつも顔を覗かせている。
苔の剥がれる音がした。岩肌と間違って掴んでしまったのか。少女の体が滑り落ちる。
また、ずるりと音がして——
「……っ」
おれは石を蹴って川中に飛び込んだ。後ろ足を踏ん張って落ちてきた少女を抱き止める。里にいた頃、相撲で鍛えられた足腰が役にたった。人間だったら二人とも川底の石に頭をかち割られていたに違いない。
深く息を吐く。また汗をかいてしまった。
息がかかったのか、腕の中で丸まっていた少女がゆっくりと目を開ける。
歳は村にいた子どもとそう変わらない。また着物や帯を引っ張られると警戒したが、少女はなにもせず、ただじっとおれの顔を見つめてくる。
「……あ、あぶないだろ。あんな所に……いたら」
もの珍しさから群がってくる子どもとはまた違う、うまく言い表せない気まずさがあった。言葉が続かず、おれは少女を川辺まで運んで下ろしてやった。
他に水浴びできそうな場所を探さないと。
足下が濡れたまま、おれはその場から離れようとした。
「あの」
子どもらしい声色だった。その一方で、どこか大人びた雰囲気を感じさせる。
「さ、さっきはありがとうございました。あぶないところを助けていただいて」
川辺に立った少女が深々と頭を下げる。
「……い、いや」
なぜか、おれは焦った。口を開いたのに言葉がでてこない。
その間も少女は頭を下げたままだった。していることは宿屋の主人と同じなのに、どうしてこうも胸のうちを掻き乱されるのか。
堪えきれずに、おれはそっぽを向いた。
「は、早く帰れよ。子どもが来るような場所じゃないだろ」
ちらりと川面に青頭巾を被った顔が映る。思えばおれも元服はまだだった。
「でも、わさびを採って帰らないと今日はなにも」
「わさび……?」
薄緑色をしたあれか。里にいた頃、仲間たちがすり下ろしたのを魚に付けて食べていたのを覚えている。おれも試したが、鼻に強烈な臭いがきて、ひと口で吐き出してしまった。
「もしかして、あれか」
少女のぶら下がっていた大岩の付け根に艶のある葉が生えている。すり下ろしていたのは土に埋まっている部分だった。人間もあれを食べるのか。
少女が小さく頷く。採ったものを入れるらしい腰の袋は空だった。
「……ちょっと待ってろ」
言っておれは腰に巻いていた帯をほどいた。斜面に生えた葉を手繰るなら命綱があるに越したことはない。
しかし、どうにもおれはわさびと相性が悪いらしい。手繰っている途中でぽきりと折れる感覚がして、引き抜いてみると案の定、薄緑色の断面が露わになっていた。土の中に残った部分は諦めるしかない。
ばつが悪かった。折れたわさびを大事そうに腰の袋に入れる少女も、その口紐を結ぶ動作も、見ているだけで胸がざわつく。
早く水浴びを済ませて山を降りたかった。適当に理由をつけて立ち去るつもりでいたが。
「あの、お礼をさせてください」
口を開いたのに、また言葉がでてこなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます