第5話 瓜助、宿屋で一服

 山道を下った先に村があった。大きな鶏が足を着いたような山間の盆地で、田畑はどれも変な形をしていた。その真ん中を街道が通っている。


 村の入り口に着くと、軒下で遊んでいた子どもが急ぎ足で駆け寄ってきた。もの珍しそうな目で奇山先生を見上げている。見飽きたのか、今度はおれに顔を向けてきた。


 ……妙に居心地が悪い。踵を引いて一歩退いたとき腰に誰かがぶつかる。振り返ると別の子どもがけろっとした顔でおれを見ていた。


「おにいちゃん、たびしてるひと?」

「あ、ああ。そうだが」


 ひっついてくる子どもに、おれはまた後退りする。すると、また腰に誰かがぶつかった。見下ろすと初めの子どもが背負った荷物を引っ張っている。


「これ、なぁにぃ?」

「旅の荷だよ。ひ、引っ張るな」


 風呂敷き包みを背負い直して小さな手をどかす。あんまりぺたぺた触られて、背中の甲羅でも探り当てられたら大変だ。


「このおにいちゃん、たびしてるんだって」


 初めの子どもが大声をあげる。ぎょっとして振り返った。遊び仲間らしい子どもが三人わらわらと群がってくる。

 あっという間におれは取り囲まれてしまった。


「お、おい、離れろ」


 力づくで振り払うのは容易い。

 だが産毛の残る細い腕は下手に手出しするとぽっきり折れそうで躊躇ってしまう。だというのに子どもたちは口々に「これなぁにぃ」と訊いてきて、そっちを向かないと手当たり次第に着物や帯を引っ張ってくる。


「せ、先生、助けてください」


 はだけた着物の前を閉めて叫ぶ。このままだと身ぐるみを剥がれて河童だと叫ばれかねない。


「きみは子どもに好かれるタチのようだな。私は宿を探しているから、そこらで遊んできてやれ。ほら少年、そこな瓜助うりすけが遊び相手になってくれるぞ」


 足下にいた子どもをおれに押し付けてきた。

 その歳でもう耳が遠いのか。あるいは阿呆なだけでなく天邪鬼なのか。


 ……あとで下手投げにしてやる。


 立ち去ろうとする背中を睨む。と、そこへ男が怒鳴り込んできた。


「こらっ、お前ら旅人様になにしてるんだ! あっち行きなさい」


 野良猫でも追い払うように「しっしっ」と男は手を振る。大人を見るなり、子どもたちは一目散に逃げていった。


「どうかご無礼をお許しください。あとで叱っておきますので」


 男は繰り返し頭を下げるが、おれはどうにも嫌な気がした。

 口では謝りつつ顔は媚びへつらっている。さっきまでとは違う、ねっとりとした居心地の悪さがあった。


「旅の方とお見受けしました。どうです、宿屋をお探しなら是非うちへお泊まりになりませんか。夕餉ゆうげには山の幸をお出ししますので」


 宿屋の男はおれと、立ち止まった奇山先生を交互に見やる。


「それはいい。ちょうど旅籠屋の場所を訊こうと思っていたところだったので」

 答えると男は笑ったまま顔を、にんまりとさせた。

 


                 ◆


 

 男は宿屋の主人だった。

 村を横切る街道の左右には物売りの店や飯屋が建っている。すれ違う人間が足を止めて奇山先生とおれに振り返った。


 男も女も大人も子どもも嬉しそうな声をあげたり、誰かにそのことを伝えるべく走っていったり。よそ者扱いされるよりはいいが、なにをそう喜んでいるのだ。


「ささ、お上がりください。一番よい部屋をご用意させましたので」


 宿屋は立派な表構えだった。敷居を跨ぐなり下男が荷物を預かりにきて、二階の部屋へ通された。


「随分と手厚いもてなしようだ。なにか歓迎されるようなことをしたかな」


 おれは首を振る。


 荷物持ちとして旅に同行するのは初めてだ。これが『人情』というものなのか。だとしてもここまでされると、ありがた味を通り越して裏があるのではと勘繰かんぐってしまう。窓から階下を見ると人だかりができていた。


「失礼します」


 荷を下ろして脚を休めていると、主人がやってきた。傍らに小机を持った下男を連れている。


「宿代の徴収かな。生憎まだ何泊するか決めかねているんだ」

「滅相もございません。実は、折り入ってお頼みしたいことがありまして」


 媚びへつらうような顔の主人の隣で、下男は小机に帳面を開いて書き物の準備を始めた。


「山に囲まれた村ですゆえ、よそへ行こうにも旅支度に苦労し、山越えに苦労し、道中で獣に襲われぬよう用心もせねばなりません。もの珍しさに釣られて軒下に集まる連中がいるような所ですので、なにとぞご容赦ください」


「なるほど。私はてっきりご主人の人望に惹かれてきたのかと」


 滅相もない、と主人は首を振った。


「そのような村ですから、皆、旅の道中で見聞された話をなによりの楽しみにしているのでございます」


 そこまで聞いてようやく理解できた。


「つまり、私どもに何か面白い話をしろと」

「ええ、もしくは道中で仕入れられました気品珍品でもよいのです。そちらをしばしお貸しいただければと」


 やたらと手厚いもてなしは、それが狙いか。にんまりとした笑みで主人がおれに目配りする。無視しておれは立ち上がった。


「どこに行くんだ、瓜助」

「ちょっと……かわやに」


 案内を付けようと主人は申し出たが、おれは断って部屋をでる。

 階段を下りると厠はすぐそこだった。その暖簾の前を素通りして、やっと見つけた裏口から宿屋を抜け出した。


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