[4] 再生

 なんだか時間が空いてしまった。特に何かはっきりとした理由があるわけでもない

 言ってしまえば作業感が強くなってきて嫌になってきたということになる。慣れればまた違ってくるのかもしれない。

 日記を探れば[3]を書いたのがだいたい1か月前のことだった。おおよそ忘れてしまっているが気にしたものでもないだろう。


 半助は山を歩いていた。目的は特にない。ただ暇なので散歩をしているだけだった。

 狐面の少女に「何を求めている?」と聞かれて半助は答えることができなかった。そのために彼は彼女の支配域に留め置かれることになった。

 といっても閉所に押し込められるわけではなくて、彼女が支配している山の中は自由に歩き回ってよいとのことだった。

 ただしそこから一歩でも足を踏み出してしまえば、たちまち妖怪たちに見つかって襲われてしまうので注意するように言われた。


 妖怪にはルールがある。それを破ってしまった者は制裁を受けなければならない。

 それは不明瞭なものではあるが長年妖怪をやっているものの間では共有されている。

 半助は山の頂上へと登っていった。そこにある小屋が気になったのだ。

 妖怪になったせいかどうなのかそこのところはわからないが、さほど苦労せずに頂上までたどりつくことができた。

 見下ろす。自分の住んでいた村は見えない。けれども自分がよく入っていた山はすぐそこに見えた。


 この山を支配している妖怪は『お稲荷様』と呼ばれる存在だった。

 彼女はケモノガミや枝の老人と同様に半助に説明を与えてはくれなかった。かわりに自分でその何かを考えさせようとしているようだった。

 しかし半助にとってはそれが難しい。考えてみても思い当たるようなものは何もない。

 日が暮れて半助は考えることを止めて山を下っていくことにした。

 だいたいにおいてそうしたことを繰り返すのが最近の半助の日課になっていた。


 妖怪になってからというもの、空腹を感じることがない。喉の渇きもない。

 身体は軽いし疲れることもない。眠る必要もなかった。

 ただ退屈だった。

 山を下りている途中、半助は何かの気配を感じた。

 妖怪がいるのかもしれない。警戒しつつ慎重に進んでいく。

 やがて半助の視界に映ったのは狐だった。一匹の狐が地面に横たわって死んでいる。


 近寄ってみるとまだ死んで間もないことがわかる。

 狐の死体の近くには血痕があった。その先を辿っていくと木にぶつかる。木の幹にも血がついている。

 半助はその木に近づいた。息を呑んだ。

 そこには妖怪が倒れていた。狐面に巫女装束の女だった。

 女は目を閉じている。顔色が悪い。傷だらけだった。

 半助はすぐに駆け寄る。

「大丈夫か」


 声をかけるが反応はない。

 女は全身がぼろぼろだった。服は破れていて、露出した肌からは出血も見られる。

 このまま放っておくことはできない。そう思った半助は女を抱きかかえた。

「何をする」

 女が目を開いて言った。意識を失っていたわけではなかったようだ。

「怪我をしているだろう」

「放せ」

 女は半助の腕の中で暴れる。

「おとなしくしろ」


 そんな状況で女は半助をにらみつけて言った。

「お前は誰だ」

「お前と同じ妖怪だ」

「違う。お前は人間だ」

「妖怪だ」

「嘘をつくな」

 あるいは彼女は錯乱しているのかもしれなかった。


「何者だ。答えろ。何の目的があってここにいる。言え」

 そんなようなことを彼女はうわごとのように繰り返した。

 半助は議論は無用と考え女の言葉を徹底的に無視することにした。

 そして彼女を背中に乗せると山を下り始めた。

「下ろせ!」

「黙れ」

「うるさい! 下ろしてくれ」

「黙れと言っている」


 女の住処を半助は知っていた。

 山を下りて少し行ったところに家がある。そこで女を下ろす。

「早く手当てをしろ」

「余計なお世話だ」

 女は拒絶した。半助は呆れた。

「馬鹿か。死にたいのか」

「別にいい」

「死ぬぞ」

「かまわない」

「どうしてそこまで意固地になる」


 半助には理解できなかった。それこそが妖怪であることなのかもしれないとふと彼は気づいた。

 そうしてその思考に陥ったとき、彼にはふたつの選択肢があることがわかった。

 ひとつは無理やりにでも彼女に手当をすること、もうひとつはこのまま彼女を放っておくこと。

 それは多分どちらかが妖怪的でどちらかが人間的な行為だった。

 結局のところ自分は妖怪なのか、それとも人間なのか。半助は自問した。その問いに対しての明確な解答は得られなかった。


 半助は彼女に言った。

「お前を喰っても構わないか?」

 それは半助にとってひとつの賭けのようなものだった。

 まったく考えてもいなかった第三の選択肢で、けれどもその言葉は流れの中にぴったりあてはまっているように感じられた。

 すべてのこれまでの言葉はここにつながるように配列されていたような、そんな感覚があった。


 半助の言葉に彼女は固まった。

 その言葉の意味を理解しようと努めているようにも見えたし、単に驚いて何も言えないだけのようにも見えた。

 数秒後、ようやく口を開いた彼女は言った。

「いいだろう。私を喰ってお前は本当の妖怪になるがいい」

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