[2] 妖怪
半助とケモノガミと枝の老人は囲炉裏を中心にしてちょうど正三角形の位置に座った。
「お茶でも入れましょうかね」
と、枝の老人が言う。
「ありがとうございます」
と、ケモノガミが礼を言う。半助も
「すみません、いただきます」
と言った。
老人は立ち上がって土間に下りると、土瓶を持って戻ってきた。
「急須がないもんだからこれで勘弁してくださいな」
と言いつつ三人の前に湯呑みを置く。
茶が注がれていく。湯気が立ちのぼる。
一通り注ぎ終わったあと、枝の老人はまた元の場所に腰を下ろした。
半助は茶を飲んだ。何の変哲もないただの茶だった。妖怪になっても変わらず茶はうまかった。
しばらく沈黙が流れた。半助はケモノガミを見やった。彼もまた半助を見つめていた。
湯呑みを置いて膝の上で拳を握った。自分は妖怪になったばかりの新参者だ。
だからといって妖怪の先輩である彼に遠慮をする必要はない。質問をしたいのならすればいい。
半助は言った。
「ここはどこだ?」
「私の家です」
答えたのはケモノガミではなく、枝の老人であった。
「なぜここにつれて来た?」
「あなたがここに来たのはあなたの意志によるものです」
「意志?」
「足を動かしたのは他ならぬあなたでしょう。強制されたわけではない」
「それは――」
確かにそうだ。半助とケモノガミの間に服従・被服従といった関係性は存在しない。
にもかかわらず彼の指示に従ったということはそれはほとんど半助の意志であるといって差し支えないだろう。
改めてケモノガミを見た。彼は目を細めて笑っていた。
「どうやら私が思っている以上に君は妖怪として出来上がっているようだね」
「妖怪としては未熟だと思うのだが」
「まあ、そうなんだけどね。そういう意味じゃなくてさ」
半助の反論をケモノガミは笑って受けつつ言葉をつづけた。
「人間という生き物は妖怪になるにあたってどうしても自分の理想や願望を混ぜてしまうものなんだよ。妖怪は人間が作り上げた幻想だからさ」
「俺もそのひとりだというわけか」
「そういうこと」
「だが俺は死んだぞ」
「うん。だから妖怪になったのだよ」
「妖怪というのは死者のなれの果てか?」
「半分正解。半分外れだ」
「……どういうことだ?」
「妖怪とは人間の思い描くイメージが凝り固まって生まれたものだ。つまり妖怪というものは人間のイメージによって左右される」
半助は正直なところなんだかよくわからなくなっていった。
だいたいここまで引っ張ってきておいて、なんでケモノガミとばかり話をしているのかそれが一番わからなかった。
枝の老人は2人の話を聞いてにこにこと笑っているばかりだった。
ふと気づいた。質問を変えるべきだ。
半助は枝の老人の方に向き直って問いかけた。
「……あんたが妖怪というのは本当なのか?」
「そうですよ」
「では、俺が今妖怪になっているというのは本当のことなのか?」
「ええ、もちろん。あなたは今、この世界における妖怪のひとりとなったのです。あなたは妖怪となってここにいる。それは紛れもなく事実であり、あなたの望みでもあったはずです」
「俺の……望み……」
半助は自分の手を見つめる。指先までしっかりとした感覚がある。しかしそれは半助が望んで得たものではない――はずだ。
「俺はどうして妖怪になった?」
「それではあなたはこのまま死にたかったのですか?」
半助の質問に対して枝の老人は質問を返した。
「死ぬのは嫌だった。多分そうだろう」
「ならばそれでいいではありませんか」
「しかし俺は妖怪になってしまった」
「妖怪は死人と同じです。生きている者とは違う。だからといって妖怪になったところでたいした変わりはしないのですよ」
枝の老人は諭すように言った。
結局のところ何かがわかったような何もわからなかったような、どちらとも判別がつかなかった。
半助は立ち上がると2人に一応、礼の形をとる。それが妖怪の間でも通用するか知らなかったけれど。
そして小屋を出た。
外はすっかり暗くなっていた。月が空高くに昇っていて、山を青白く照らしている。
ケモノガミは小屋の入り口で半助のことを見送ってくれていた。
半助は歩き出す。山を下っていく。
ケモノガミは黙ったままその後ろ姿を見送った。
やがてその姿が見えなくなった頃、枝の老人は言った。
「あれでよかったのでしょうか」
「彼はまだ若い。これからゆっくり考えていけばいい」
「彼が望むのであれば、いずれはあなたを超える存在になりますよ」
「かもしれないね」
ケモノガミは愉快げに笑う。
「あなたが彼を選んだのは、やはり縁があったからなのでしょう」
「そうだねぇ、偶然の出会いだったけど、面白いことになったなぁ」
「彼はどんなふうになると思いますか」
「うーん……、わからない。でも期待はできると思う」
「楽しみですね」
「ああ、とてもね」
それだけの言葉を交わすとケモノガミもまた山の中へと消えていった。
枝の老人は小屋へと入るとその扉を閉めた。
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