第10話
(もしラースディアン様がわたしに手を貸してくれていなかったら、きっと今頃、もっと大変だったわ)
慣れない旅に右往左往して、巨鳥を倒すための行動どころではなかったに違いない。
コーデリアは再び、ちらりとだけ後ろを振り返った。声を掛けてきた青年の姿はもうない。
(今の人が、国から命令されてわたしを殺すために近付いてきたとは思わないけど)
いくらなんでも情報が早すぎる。
(これから先は、注意しないとね)
せっかくラースディアンが忠告してくれたのだ。無駄にはしたくない。
(それはそれとして、何の用だったのかしら)
危ないものに近寄りたいとは思わないが、少しばかり気にはなった。青年が立ち去った以上、もう知る術はないのだが。
「予期せぬ遭遇もありましたが、まずは宿を取って休憩しましょう」
「はい」
まだ体力の限界とまでは言わないが、大分疲れているのは間違いない。
ラースディアンにうなずいて、彼の後に付いて行った。
この宿場町には宿が二軒あり、どちらも空室があるようだ。やはり旅をする者はそう多くないのだろう。
宿としてのランクはどちらも同程度。石の土台に木で作られた、一般的な建物だ。一階が食堂で、二階が宿泊施設。
マジュの町にも宿はあるが、造りは同じだ。
(初めて知るものだらけの所に見知ったものがあると、ほっとするわね)
ラースディアンが泊まる手続きをするのを隣で見ながら、そんなことを考える。
(次に機会が来たら、わたしにやらせてもらおう)
頼りきりというのは楽だが、危ない気がする。
あまり考えたくはないが、いつどこで何が起きても分からない旅なのだから。
日常生活でも同じかもしれないが、可能性は格段に増す。
「コーデリア殿」
「はい!」
「二階に二部屋取りましたので、先に食事を済ませてしまいましょう」
食事の後は丸ごとプライベートな時間ということだ。休んだ後にまだ余計に気を張らなくてはならない他人との接触を差し挟まないようにという配慮だろう。
「分かりました。……あれ? 二部屋、ですか?」
「もちろんです。なぜ?」
コーデリアが呟いた疑問の方が、ラースディアンには不可解であるようだった。
知人にも満たない男女が、一つの部屋で夜を明かすべきではない。お互いのために。
コーデリアとてその点に関して異論はない。たとえラースディアンが一部屋しか取らなかったとしても、もう一部屋取る。絶対に。
気になったのはそちらではなく。
「お金って、いくらぐらいかかりましたか?」
同行しているとはいえ、財布を同じにするつもりはない。金銭の話が出なかったのが不思議だったのだ。
(これは、最初にはっきりさせておくべきでしょう)
コーデリアが気にした部分に得心が言った様子で、ラースディアンは『ああ』と呟いたあと受付の奥の壁に掛けられている料金表を示した。
「代金はそちらに張り出されている通りですが」
部屋にランク差があるわけではないらしく、全室一律で銀貨十枚からとなっている。
「旅費についてはご心配なく。禍刻の主討伐のための費用は、国が負担します。当事者は個人ですが、言ってみれば国難ですから」
「な、なるほど。そういう部分含めて、討伐できなさそうな人だと殺されるんですね」
無駄金になりそうでもったいない、と考える者もいそうだ。
「いえ、そこまでは……。それはそれで業腹だとは思いますが、個人の旅費ぐらい、国庫に集まる金額からすれば使ったか使っていないかも忘れられかねない金額ですよ」
「本当に業腹ですね!」
コーデリアの感覚で行けば、銀貨十枚は決して安くない。
実家で売っている焼き菓子の多くが、大体一つ銅貨百枚前後。銅貨千枚で銀貨一枚に換算される。
単純な売り上げでも百個ぐらいが必要で、原価を差しい引いた純利益で計算すればもっと多い。
「もちろん、だからといって無用に使い込んではいけませんが」
「しません。絶対しません。国庫のお金とは、つまり国民の血税! 汗水垂らして必死に稼いだお金を無意義に浪費したら、それこそ殺されても文句言えません」
コーデリア自身、そういった仄暗い感情が芽生える自信があった。
「はい。その気持ちを忘れないようにしましょう。ですから、奇妙だと感じたら貴女も私を止めてください」
「え? ラースディアン様は神官でしょう? 神に仕える方がそんな、お金なんて俗な物に振り回されたりしないのでは?」
「純粋な敬意が眩しいですね……」
本気できょとんとして首を傾げるコーデリアに、ラースディアンは苦笑する。
「無論、自らを清貧に律するつもりではありますが、神に仕えているとはいっても所詮は人です。欲に負けることもあります。しかし、許されてはならないこともある。ゆえに誰かが誰かを止めることも、ときには必要なのです」
「なるほど。そうですよね。一人で間違っちゃいけないのって大変ですし」
待て、と引き留めてくれる人がいるというのは、きっととてもありがたいことなのだ。
そこまで大層に考えなくても、保険ぐらいの気持ちでいればいいだろう。
「ええ。ですので、お願いします」
「分かりました。お引き受けします」
そんな機会は訪れない方がいいが、心には留めておくことにする。
「では、食事にしましょうか。食べられない物などはありますか?」
「大丈夫です。好き嫌いも特にありません!」
実はちょっとした自慢でもある守備範囲の広い味覚を、堂々と申告する。
「それは、良いことですね」
言われたラースディアンは実に微笑ましそうに、コーデリアの自慢を素直に誉めたのだった。
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