第11話
食事の後に部屋に案内されて、今日の所は解散となる。
だが長く休むでもなく、コーデリアは部屋を出て再び階下に下りてきていた。
ラースディアンに部屋の料金表を示されたときに一緒に気が付いたのだが、この宿では調理場の一部を客に貸してくれるらしい。
サービスの一環なので料金が別にかかるが、店にある材料などもほぼ仕入れ値のままで使わせてくれると言う。
そのサービスを使って、コーデリアはお菓子を作ろうと考えたのだ。
自分が食べたいのもそうだが、一番の目的はラースディアンへの贈り物である。感謝の証として。
(迷うところではあるんだけど、ね)
手作りの食べ物を贈るのなら、それなりの関係性というものが必要だ。
現在のコーデリアとラースディアンの間に充分な信頼があるかと言えば、否と言うしかない。
それでもコーデリアは、自分の感謝の気持ちを伝えるのには手作りお菓子が一番適していると信じていた。
実家で売り物となる商品をメインで作っているのは両親だが、コーデリアとて作り手の一人だ。簡単な物なら然程品質の差もなく作ることができる。
(ためらわれたら止めればいいわよね。ラースディアン様の性格上、実際の気持ちはどうでも受け取ってくれると思うから、よく見ておかないとだけど)
渡す寸前になって焦げを見付けたとでも言って手を引けば、きっと寄越せとも言ってこない。
宿の店主に料金を支払い、早速調理を開始する。
作るのはジャムタルト。タルト生地にジャムを乗せて焼き上げる、定番の焼き菓子だ。時間がないのでジャムは店が作っているものを使わせてもらう。
(まずは生地作りね)
タルトに使うのは、ショートクラスト・ペイストリーと呼ばれるタイプの練り込み生地だ。
用意するのは小麦粉、塩、砂糖。そして柔らかくしたバター。
小麦粉と塩を混ぜ合わせたら、ふるいにかける。出来上がった粉類にバターを投入。そぼろ状になるまで混ぜ合わせる。
それからボウルに移し、少しずつ冷水を加えながら生地をまとめていく。出来上がった生地は、三十分以上冷所で寝かせて待つ。
充分な時間が経過した後で、コーデリアは生地を取り出した。
作った生地を二ミリほどの厚さに引き伸ばし、好みの型で抜く。今回は花形だ。
バターを塗った型に生地を乗せ、中心にジャムを置く。トレイに並べたら熱したオーブンに投入して、焼き上がりを待つ。
およそ二十分で完成だ。
馨しくも香ばしい香りで誘う完成品を口に放り込み、咀嚼する。
(うん、いい出来)
さくりとした歯ざわり。ほろりと崩れる食感。コーデリアが求めた通りの出来栄えだ。
油脂を弾く紙を敷いて紙袋に入れて、リボンで口を閉める。余りは――というか始めから自分用にと作った分は、その場で食べてしまう。
(ううーん、美味しーい。ジャムの甘みと酸味、タルト生地の塩味のハーモニーが最高ー)
人に作ってもらったものも美味しいが、自分の手作りにも掛けた労力と達成感という調味料が加味されて、また一味違った美味しさがある。
(心なしか、疲れも取れた気がするわね。お菓子は、というか、食べ物は偉大! 素材を作ってくれている人、流通させてくれている人、調理法を編み出してくれた人、調理器具を作ってくれた人、みんなに感謝を!)
そしてもちろん、命を刈り取っている素材そのものにも。
このような素敵なものを生み出してくれた世界には、きちんと感謝をささげるべきかもしれない。
(ちょっと現金かな?)
つい数時間前、神に対して不満を零していた人間が考えるには都合が良すぎるだろうか。
先を考えてうつうつしがちだった気分も、今だけはお菓子の美味しさに洗い流されている。
宿の従業員に調理場を使い終わったことを告げ、コーデリアは二階へと戻っていった。
あくまでも金銭を払って使用したサービスなので、後片付けは店の仕事だ。勝手の分からない他人がやるのは、むしろ迷惑だと言える。
(本当なら、出来立てを持っていきたいところだけど)
知り合ったばかりの他人と行動していて、気疲れを感じているのはラースディアンも同じだろう。気を抜ける時間をわざわざ邪魔することはあるまい。
(いきなり腐って痛むわけじゃないし。明日にしようっと)
部屋に戻ったコーデリアは、ジャムタルトを入れた包みをリュックの中に仕舞った。
そして服を眠りやすい薄着に替えて、ベッドの中へと潜り込む。
(明日は服、洗濯しなきゃ……。でも今日は疲れてやる気出ない。勘弁して)
旅初日にしては頑張ったと自分を一褒めしてから、コーデリアは目を閉じた。
睡魔はすぐにやってきて、コーデリアは眠りに落ちる。
今は、健やかに。
翌朝、陽の光をカーテン越しに受け取って、コーデリアは意識を浮上させた。
「あー、よく寝たぁー」
夢の記憶がないぐらい、ぐっすりだ。
ベッドの上で半身を起こして、コーデリアは伸びをする。気持ちがいい。意外なぐらい、体に疲れも残っていない。
「わたしって、結構頑健だったのね」
先々のことを考えれば幸いである。
(今日は、洗濯サボれないわね)
できれば夕方前には次の宿泊施設に辿り着きたいところだ。
(ラースディアン様に相談してみよう)
唯一の替えの服に着替えつつ、そんなことを考える。
部屋から出て、まず真っ先に井戸へと向かった。人と会う前に洗顔ぐらいは済ませたい。
マジュの町にはポンプ式の井戸があったが、こちらは直接桶を投げ入れて水を汲む方式のままだ。
金属の加工ができる錬金術士という存在が希少なので、利用者が少ない場所にはなかなか行き届かない。
地下の冷たい水で顔を洗うと、気持ちもさっぱりした。
(じゃ、ラースディアン様の部屋を伺うとしましょう)
食事をして、少し休憩を取ったら出発することになるだろう。
建物に戻って二階に上がる。と、部屋の扉を叩くまでもなく、ラースディアンがコーデリアの部屋をノックしようとしているところだった。
「おはようございます」
「おはようございます。良い朝ですね」
「はい」
必要がなくなった手を下ろし、穏やかな微笑と共に返された挨拶にコーデリアも元気よく答える。
これから歩いて移動することを思えば、天気がいいのは実にありがたい。
(雨の日には移動したくないわね。よっぽどじゃない限り……)
余計な体力を使うのが分かり切っているので、非効率的だ。
「では、食事に行きましょうか」
「はい」
つい先ほど上ってきた階段を、取って返して下りていく。
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