第9話
当然のことながら、整えられた街の道を歩き慣れたコーデリアに、踏み固められただけの土の道は辛かった。
陽に朱色が加わり始めた頃、視界の先に人工物が見えたことに心からほっとする。
「あそこで休憩しましょう」
「はい、ぜひ……!」
遠目からでもいくつか建物があるのは分かるが、コーデリアの知る町とは雰囲気が違う。
まず、建物を囲うように先を尖らせた木の柵が張り巡らされている。高く組み上げられた物見台に立つ人物が、常に四方を警戒していた。
「ずいぶん物々しいですね……? 入れるんでしょうか」
「人間は大丈夫ですよ。彼らが見張っているのは魔物ですから。ここには結界がありませんので、人が自らの力で自衛しなくてはならないのです」
「結界がない……!?」
人がいる場所なのに、結界がない。その事実はコーデリアに強い衝撃を与えた。
なぜそんな危険な場所に人が集まっているのか。答えは宿場に入ればすぐに分かった。
「交易商の人の、休憩地点なんですね」
人が歩ける距離はある程度決まっている。町から町へ向かうのに、一日では足りないのだ。
「ええ。より正しく言うのなら、旅をする人々全員の、ですが」
流通を安定させるには、安全な道程の確保が必要だ。
魔物がいるせいで完全な安全は難しいが、可能な限りを考えた結果、出来上がったのがこのような宿場なのだろう。
「神様はどうして、こういう旅の拠点に結界を施してはくださらないんでしょう」
言ってからはっとして、コーデリアはラースディアンを窺う。
(神に対して不平を訴えるなど、不敬だって怒られるかしら)
うろたえたコーデリアに、ラースディアンは困ったように苦笑する。
「実は私も同感です」
「ええ!?」
いかにも敬虔そうな神官であるラースディアンに、肯定されるのは意外だった。
「努力を放棄してすべてを神に縋るのは、さすがに違うと思いますが。もう少し手を貸してくださってもよいのではと、頭に過らずにはいられませんね」
「そ、そうですよね。それぐらいは考えてもいいですよね。だって、人に比べて魔物は強いし、繁殖力も高いって言いますし……」
コーデリアたちが信仰するレフェルトカパス神は、決して人に無関心ではない。奇跡によって救われた人々の話や逸話も、数多く残っている。
だがそれでも思ってしまうのだ。まだ足りない、と。
「もしかしてレフェルトカパス神って、魔神より弱いんでしょうか」
魔物たちを守護している魔神の存在も、様々な書物で散見される。禍刻の主などは、魔神から直接遣わされた使徒だという説もあった。
不敬ついでに、話の流れで考え付いたことをコーデリアはそのまま口に出してしまう。幸い、ラースディアンはそれにも怒りの類の感情は見せなかった。
「そのようなことはありません。……と言いたいところですが、ではなぜ世界が魔物のものであり続けているのか、という話になってしまいますね」
その疑問の答えはラースディアンも持っていないのだろう。だから、不敬とも言えるコーデリアの言葉を否定しきれない。
彼自身の考えの上で、するつもりもないのかもしれないが。
ラースディアンの口調は穏やかなまま。それが証だ。
「いやいやいや。それは言い過ぎってもんだぜ、神官様」
「!」
二人でしていたつもりの会話に第三者の声が割って入ってきて、コーデリアはびくりと肩を跳ね上げた。
言った通りの気持ちに嘘はないが、だからこそ後ろめたいのだ。
(往来でする話じゃなかったかも……)
少しばかり後悔する。
「や。どーもどーも。横から失礼」
片手を挙げて近付いてきて軽く詫びの言葉を口にしたのは、二十歳前後と思しき青年だった。
灰緑の珍しい髪色に、空色の瞳をしている。人好きのする優し気な容貌で、癖が強めの髪質も愛嬌に感じる絶妙のバランス。
浮かんでいる笑みも人懐っこく柔らかいはずなのに、コーデリアはなぜか瞬間的に仮面のような印象を受けた。
恰好は一般的な旅人といった風だから、この場にいても然程不自然ではない。
「レフェルトカパス神だって歯がゆく思ってるさ、きっと。ただほら、世界は魔力で満ち満ちてるからさ。劣勢から覆すのは色々難しいんだよ、うん」
「……ええ。そうかもしれませんね」
つらつらとレフェルトカパス神の擁護を口にする青年に、穏やかに微笑みつつラースディアンは同意する。
「だろう? だから――」
「失礼。急いでいますので、お話はこの辺りで。行きましょう」
「は、はい」
強引に青年の言葉を遮って、ラースディアンはコーデリアの手を引いてさっさと歩き出した。相手の返事を待たない所業だ。
「いいんでしょうか」
「構わないでしょう。むしろ、相手にするのは危険かと」
「危険、ですか?」
確かにコーデリアも、青年の表情は仮面のように感じて不審だった。しかしそれがすぐに危険へと直結はしない。
「企みがあって近付いてきたように思いました。少なくとも、口にしていた話は本題ではない」
「それは感じました。話している内容も、本心ではあるように思いましたけど」
彼はきっとコーデリアよりも敬虔なレフェルトカパス神の信徒だろう。
「話自体は嘘ではなかったかもしれません。どちらにしろ好意的であるとは言えませんでしたが。あえて近しい表現を探すのなら――……そう、彼は我々を下に見ていた」
悪意ではない。しかし快い見られ方ではない。
「コーデリア殿。見慣れない者の接近には気を付けてください。禍刻の主が現れた話は、すぐに万人の知るところとなります。神官長がした話を覚えていますね」
「……はい」
付けられた呪紋印に力が満ちればコーデリアは魔物の生贄となり、彼らの力をより強くしてしまう。
「討伐という最善を求めずに、貴女を殺して時を稼ごうという者が必ず出ます。そしてそのような暴挙に及ぶ輩は、屈強な者が選ばれるまで同じことを繰り返すでしょう」
討伐の期待が持てない禍刻紋の持ち主は殺して、英雄と呼ぶに相応しい者が選ばれるのを待つ。
恐怖ゆえとはいえ、あまりに人道に背く行いだ。コーデリアは胸の内に怒りが湧くのを感じた。
「分からなくないですけど、冗談じゃありません」
その判断を下せるような者にとって、見知らぬ命は己と同じ『命』ではないのだろう。でなければそのような非道を平然と実行できるはずがない。
「ええ、許されません。許されてはならないと私も思います」
「……ありがとうございます」
禍刻の主討伐をコーデリアが果たせると考えるものはほぼいないだろう。コーデリア自身とてあまり想像がつかない。
つまりコーデリアは『殺した方がいい生贄』と判断される可能性が高い。
だがラースディアンははっきりと、その非道で合理的な方法を否定した。コーデリアは改めて感謝の念を抱く。
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