法隆寺 2

「さて一平とやら、先ずは腹ごしらえをされよ」


 法鸞は花蓮が運んだ茶と盆を改めて一平の方にずいと押す。


 一平は法鸞のそれを悪びれる風でも無く素直に受け菓子をひとつ口に入れる。それは多分、京都の老舗から取り寄せた様な高級な和菓子なのだろう。充分な甘味がありながら安物の和菓子にありがちなソリッドで残る甘さではない。丸くふくよかな、それでいて口に残らない、まるで新雪がたなごで消えていく様な優しい甘さ。こんな美味い和菓子を一平は今まで食べた事が無かった。


「う・・・旨い・・・美味い!・・・そして・・・う、巧い・・・」


「一平よ、お主その菓子が何故にその様に美味いか、解かるかの」


「そりゃ厳選された素材の良さと、それを生かす匠の技ってやつじゃねーのか」


 一平は次の菓子に手を伸ばしそれを口に頬張りながら、カッコいい風に何処かでコピペした様なそんな台詞で法鸞に答える。

 

「では訊くが、厳選された良い素材のその良さとはなんじゃ」


「それは・・・うーん、俺は調理のプロじゃねーから、判らねぇよ」


「ほっほっほっ、お主、素直で良いわい。一平、良い素材、良い技とはの、それら全てが人間が感じる味覚に於いて真っ当なのじゃ」


「真っ当・・・」


 その言葉は一平の琴線を揺らした。


「良い素材には良い味覚を感ずるのに必要なものが必要なだけ含まれ、不必要なものは余り含まれない。その素材を使う匠の技もそうじゃ。甘味の加減も塩の加減も温度管理も、そして余分を取り払う技量に於いても、全て適切で真っ当。故にお主が今口にしているその菓子は最大限の美味さを有しておる」


「・・・」


 一平は次に手に取った菓子を無言で凝視みつめた。


「一平、この世の事も彼の世の事もな、それが適切である為には、全ての関係性が真っ当でなければならん。どうじゃ、お前は今、悪霊に取り憑かれておるが、この状態を真っ当だと思うかの」


「悪霊って言うな!おい、爺さんにもハゲが視えるのか?」


「勿論、視える、そして今の状態がどれほど危険であるかもまた、儂には視えておる」


「危険って、どう危険なんだ?ハゲは蛇口を勝手に捻って水を浪費するぐらいだぜ?」


「蛇口を捻って水を出す?そのような事が起こって良いのか?この現実世界で?」


「悪いよな。俺は水道代が勿体ないから止めろって言うんだがな、こいつ、どうも感情が昂るとやるんだよ」


「そうではない。一平、その様な現象を巷ではポルターガイストと言うがな、本来、物理学的にそんな事は有り得んし、有ってはならん恐ろしく危険な事なのじゃ」


「恐ろしく危険って、そんな、大袈裟だぜ爺さん」


「大袈裟ではないぞ一平。考えてみよ。物質世界での事は全て電磁気力の反発で運動が伝わる。お主のその指先とお主が持っておるその菓子を分けているのはお互いの電磁気力が反発し合うからじゃ。質量の無い霊にはむろん電磁気力は生み出せん。つまりお前の言う蛇口を捻って水が出ると云うその現象を説明するには、お前に憑りついているその悪霊が何らかの方法で大きなエネルギーを得てそのエネルギーを圧縮し電磁気力を発生させていると云う事じゃ、それがどれほど危険で恐ろしい事か、一平、理解できんかな?」


「悪霊って言うな爺!うーん、でもイメージ出来ねぇ、蛇口を捻って水を出すってだけだし・・・」


「ならば蛇口を捻るその力を人間の体内で使えばどうなる?お前の脳や心臓の血管を蛇口を捻るように捻ったとしたら、何が起こる?」


「えっ!」


「更に言うなれば、その力を使って、例えば核ミサイルの発射ボタンを押すことも出来るのではないかの?」


「そ、そんな・・・でも・・・不可能じゃねぇ・・・やばいな・・・」


「儂の言う危険とはそういう事じゃ。一平、少し想像力を働かせてみよ。東京ドームをひっくり返して大きなプールを造りそこに水をいっぱいに張ったとする。その水を沸騰させるのに必要なエネルギーを圧縮し物質に換算するといかほどの質量だと思う?」


「そんなもん分かんねぇよ」


「一円玉が四枚じゃ」


「えぇ!たったのそれだけ?」


「そうじゃ。物質とはの、そもそもエネルギーの塊なのじゃ。しかし一円玉四枚で湯が沸かんのは、それがこの現実世界の理であり、その理は何が有っても変えられない故、霊的非物質の世界とこの世界は完璧に分離され現実世界の安寧が保たれておる。それが我らの世界の真っ当。そうは思わんか一平」


「確かに、爺さんの言うとおりだ。その物理法則を簡単に変えられたらとてもじゃねーけどこの世界は保たれねぇ、何でも有りになっちまう。でも、そしたらなんでハゲはそんな事が出来るんだ爺さん?」


「そんな事が出来るのはその悪霊ではない、お前なんじゃよ一平」


「悪霊って言うなってば!えっ?つか俺?俺なの?」


「そうお前じゃ。お前を使えばそいつに出来る事はこの儂にも出来るぞ、見よ」


 法鸞はそう言うと両の腕を一平の眼前に突き出し密教の印を結んだ。


「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン・不空遍照尊よ、大印を有する尊よ、摩尼と蓮華の光明をさし伸べたまえ、フーン」


 法鸞が結んだ印から閃光が迸る。次の瞬間、一平は漆黒の闇に包まれた。


「なっ!何をしやがった爺!」


 ズドォォォーン


 突然、水中に高圧で何かを破裂させたような鈍い爆発音が聴こえる。


「結界じゃよ。客殿を破壊するのは忍びないでの」


 その爆発音と共に一平は大きな気泡にその身を包まれる。


「見よ一平」


 法鸞がそう言うと暗闇の中、一平の目の前に小さな気泡が浮き上がって来た。そしてその中には綺羅裡や法鸞が視たあの小っちゃいおっさんが包まれている。


「こ、これが、ハゲ、ハゲなのか・・・」


 ハゲはとても小さく太っていて、そして文字通り禿ている。禿てはいるのだが・・・


「お前、な、何なんだ、何か、思ってたのと・・・」


 ハゲは禿ているが、頭頂部に残る僅かな毛の下は全身がつるっつるなのだ。これ程に張りのある肌がこの世にあるのかと云うほどにピカピカのツルツル。そしてその瞳は大きく円らで口角の上がったプルンとした唇はその可憐さをこの上なく強調している。


「こ、こいつ、何処かで、見た記憶が・・・」


 愛らしく短い手足、ぷっくりと張り出した腹、それは紛れも無くあのセンセーショナルな音楽と共に三分間のお手軽クッキングを売りとしたお馴染みの番組、その番組を提供している有名スポンサー企業のマスコットキャラクターと余りにも酷似しているのである。


「か、可愛い、めっっちゃ可愛いやんかい!・・・そうか・・・ど、道理で綺羅裡が欲しがる訳だ・・・っておい!ハゲ!てめぇ!騙したな!俺がお前の外見にどれだけ気を使ってたか分かってんのか!」


 ハゲの余りの可愛らしさと自分の想像のギャップに勝手に怒り心頭になっている一平の背後で法鸞がまた次の印を結んだ。


「ほっほっほっ、一平、真実が視えておらんのぉ。あながちお前の見立ては間違ってはおらぬ。オン・ビロバクシャ・ノウギャ・ヂハタエイ・ソワ!カあまねき諸仏に帰命したてまつる。広目天に帰命したてまつる。スヴァーハー!」


 法鸞の眼球がその呪文と共に光り輝くと、その光は次に一瞬にして辺りの暗闇を一変させる。しかし一平が目にしたのは先程の客殿の様子ではなく、なんと一平の自宅、それも建築途中、即ちあの事故物件の過去の姿だった。


「餓鬼憑き・・・憐れなり、伺嬰児便しえいべんに憑かれたか・・・」


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