第3話       捨て子

まるで三千里の旅をする様な言いぐさで忍とハゲにそう言うと、僅か2ブロック程の道程を、俺たちは手荷物だけで歩き始めた。


すると、前に赤子を抱いた若い女が歩いている。


最初、俺たちはそれを気に留める事も無かった。


しかし、新居に程近い小川の桟橋に差し掛かり、女が抱いていた子供を、突然、地面に置き走り出した時、俺と忍は顔を見合わせた。


「ええ!、おい!ちょっと!」


忍は咄嗟に赤子の元へ、俺は女の背中を追い走り出した。


「おい、ちょっとあんた!待てよ!」


「いやぁぁ!誰かぁぁ!助けてぇぇ!」


追い着いた俺が女の腕を掴んだ瞬間、女はいきなりそう叫んだ。


道行く人が立ち止まり、携帯電話のカメラを俺に向ける。


「おいおい!違うって、おい、赤ちゃん、赤ちゃん」


俺の手を振り解こうと暴れる女に、俺が赤ちゃんを連呼していると、すぐさま、誰が呼んだものか、警察官が二名、バイクに乗って現れた。


「ちょっと、あんた達、どうしました」


警官が来ると、女は一転して一切なにも喋らなくなった。


「ど、どうしたって、私たちにも分りません、この子が赤ちゃんを」


しゃべらない女と、説明の出来ない俺たちと、そんな修羅場でスヤスヤ眠る赤ん坊が、さきがけて来た警官が呼んだ応援のパトカーに乗せられたのは言うまでもない。


警察署に連行されると、俺、忍、赤ん坊と女は、それぞれ別の取り調べ室に入れられた。


しばらく一人にされた後、不意に取り調べ室の扉が開くと、劇画から飛び出して来た様な眉をした目つきの鋭い刑事が無言で俺の前に座る。


「俺の名は北斗、北斗健だ、お前、あんないたいけな少女に何をした!吐け!」


(北斗かーい!ゴルゴか思たわ!)


「・・・」


「なんだ、黙秘権か、お前、そんなものが通用すると思っているのか、あぁ、関西の警察はなぁ、そんなに甘くねぇんだよ」


(関西って、あんためっちゃ関東弁ですやん)


「お前、名前は?」


「折島一平だ」


「なんだ、ちゃんと喋れるじゃねーか、最初から素直にそうすりゃいいんだよ」


(いや、あの、だから、今がその最初ですやん)


「国はどこだ」


「神戸だ」


「親は」


「居ない」


「はぁ、テメェ舐めてんのか!親が居ないのになんでお前がここに居る!もっとマシな嘘をつけ!」


「居ないって言ったら居ないんだよ!俺は孤児だ馬鹿野郎、おい!北斗!テメェさっきから聞いてりゃ言いたい放題言いやがって!」


俺が思わずこの劇画刑事を3発しばこうと手を挙げたその時だった。


ププー、ププー、ププー


机に置かれていた電話に内線が入る。


「もしもし、ふむ、ふむ、そうか、分かった」


北斗は、にんまりとひとつ笑うと内線を切った。


「お前、大変な事をしでかしたな。あのお嬢様、山本参議院議員のお嬢様だ」


「大変な事ってなんだ!俺はなにもしてねぇ」


「おいおいおい、嘘はイケないなぁ」


「嘘じゃねーし」


「裕子ちゃんは、子供は、お前の子供だと供述している」


「裕子?」


「しらばっくれるのもいい加減にしろ!山本議員の娘さんだよ!お前は裕子ちゃんに結婚しようと言い弄んだ、子供が出来た事を知ったお前は彼女の前から姿を消した、そうだな」


「・・・」


「なんだ、都合が悪くなったらまた黙るのか、いいだろう、そろそろ山本議員がこちらに着くはずだ。彼女と父親の前で事情を説明してもらおう」


北斗はそう言うと、一平を促し、別室へと移動した。


別室に入った途端、北斗の厳つい眉毛は、眉尻がひょっとこの如く足らりと下がり、蠅のように手をスリスリとする。


「これはこれは議員、お待たせいたしました」


しかし、そんな北斗には目もくれず、山本は一平の前に歩み寄る。


「貴様、なんて事をしてくれた」


「違います、一平君は、無実です、無関係なんです」


咄嗟に一平を庇おうと山本の前に飛び出した忍を、山本は力一杯に押し退け、一平の胸倉を掴んだ。


「俺は今、議員として瀬戸際に居る。新聞の捏造報道にまんまと騙され政権を追及したが何も出て来なかった。このままでは、俺の議員生命は終わりだ、こんな時に、こんなスキャンダルが起きたら、次の選挙で勝てないだろうが!どうしてくれるんだ!」


パシッ!


パシッ!


バチコォォォォーーーン!


俺は山本の頭を三発しばいた。


「な、何をする!俺は、こ、国会議員の、や、山本だぞ!」


「やかましいわ!、この腐れ議員が!おい!テメェ!自分の心配より、先ずは娘と孫の心配だろうが!この子をどうする積りだ!」


「み、認めないぞ!こんなスキャンダル、揉み消してやる!子供は施設に任せる、む、娘は暫く、家から一歩も外に出さん!」


一平は裕子に歩み寄り、何も言わず、少し乱暴に裕子が抱く赤ちゃんに手を掛ける。


裕子は一瞬だけ、一平のそれに抗う仕草をしたが、脱力する様に赤ちゃんを抱く手を緩めた。


一平は暫く裕子を見おろすと、赤ちゃんを裕子の手から抱き取る。


「裕子、この子は本当に俺の子なんだな」


一平の呼びかけに、裕子は何も言わず俯いた。


「そうか、分かった。お前がそう言うなら、この子は俺の子だ」


「ちょっ、ちょっと、一平君!」


驚愕して立ち上がろうとする忍を視線で抑え、一平は、今度は北斗に目を向ける。


「おい北斗!裕子はこの子が俺の子だと供述したんだな」


「あ、あの、はい、そ、その様に、内線で別の刑事から聞いております」


「ならいい、問題ないな、おい、忍」


「は、はい」


「帰るぞ」


「え、ええーーーー!」


世界には沢山の国が在り、宗教が有り、思想がある。


言葉の違う、肌の色の違う人が、それぞれに、それぞれの国の中で、それぞれの思想と宗教観の中で生きている。


国益の利害関係で、人は対立し、時として無残な戦争をする。


しかし、元を正せば皆、守るものがあるから、自分が守りたいものを迫害しようとする相手と戦うのだ。


人が命に代えて守りたいものとは、


人が命を賭しても大切にしたい何かとは、


どんな国の、どんな肌の色の、どんな思想の、どんな宗教の人も変わりなく、


自分の家族であり、自分の子供達だ。


それは、世界共通の人間の、否、生物全部の価値観だ。


自分と同じように、例えば敵対する国の人々も、自分の家族を守りたい。


ならば、その敵対する人々の家族をこちら側が思い遣ってあげられたら、どんな国の人とだって、分かりあい、助け合えるのではないだろうか。


どこの国の、誰の子供でも関係ない。


世界中の子供を、自分の子供だと思えばいい。


それが真っ当だと、俺は思う。


「忍」


「は、はい」


「何を用意すればいい」


「と、取り敢えず、オムツとか、粉ミルクとか、かな、一平君、本当にこれでいいの?幽霊の次に今度は赤ちゃんまで」


「ま、待て!忍!ヤバいぞ!」


「な、なんですか!」


「赤ちゃんって、母乳を飲ませないと、免疫力がどうとか、病気になるとかネットに書いてある!おい!忍!」


「は、はい?」


「お前、母乳、だ、出せるか?」


パシッ!


パシッ!


バチコォォォォーーーン!


忍が俺を三発しばいた。


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