第2話       お引越し

「では、ほ、本当に、お買い上げで、よろしいんですね」


「はい」


「本当に?」


「ええ」


「嫌じゃないの?」


「はい」


「幽霊いるんだよ」


「あんた、売る気あんのかよ!」


「いいの、ねぇ、本当にいいの、ここ、幽霊いるんだよ」


「だからいいんだって!」


「もう少し、じっくりお考えになった方が良いですよ・・・霊障って、お客様が思うほど単純なものじゃないから。私、契約書を取りに社に戻りますので、死にたくなければ、もう少し、お一人になって、よぉーーーく熟考なさってくださいな」


 そう言い、姉ちゃんは俺を残し、契約書を取りに戻った。

 独りになり、ガランとした部屋の真ん中に立ち、天上を見上げる。俺にはどうしても、想像が出来なかった。こんな家を建ててすぐ、何故、どうして死んじまうんだ・・・


「おい、あんた、歳は幾つだ、三十代ぐらいか」


「・・・」


「四十代?」


「ピシッ」


「で、家の外観からして、女性なのか」


「・・・」


「え・・・男なのか?」


「ピシッ」


{おいおいおい、幽霊のくせに、めっちゃ対話のレスポンスええやんけ}


「四十代、男・・・もしや、肥満体質・・なのか?」


「ピシッ」


「ゲッ!じゃあ、まさか、その、頭髪は、薄めとか?」


「ピシッ」


「もしかして、身長は、低いのか?」


「ピシッ」


 うーん、四十代、男、ハゲ、デブ、チビ・・・訊くまい、もうこれ以上、訊いてやるまい・・・


「そうか、まぁ、なんだ、人間、貧富や外見は、生まれる前に選べないから、受け入れるしかないよな、俺は受け入れたよ、だから、自分が孤児だって事を憐れまれるのが嫌だった」


「・・・」


「俺がどうして、マイホームを建てたかったか、教えてやろうか」


「・・・」


「興味ねーか」


「パシッ」


「え、聞きたいってか?」


「ピシッ」


「あはは、なら聴け。俺は最初、施設を飛び出して、建築現場のタコ部屋で暮らしてたんだ」


「パシッ?」


「え、あぁ、タコ部屋ってのはな、現場に建てられた掘っ立て小屋でよ、畳三枚が敷いてあるだけで、他には何もない、壁は薄いベニヤ板一枚だけ、本当に寝るだけの部屋の事だよ。」


「・・・」


「そのタコ部屋の近くに小さなパン屋が有って、俺は仕事の帰り、そのパン屋に、よくパンを買いに行ってたんだ」


「・・・」


「そのパン屋でバイトしている、多分、大学生ぐらいかなぁ、すげー美人でさ、俺なんかより随分と年上に見えたけど名札に紺野って書いてあるお姉さんが居て、その子が、貧しかった俺に良くサービス品のパンの耳や、売れ残りで廃棄するパンを無料でくれたりしたんだ」


「・・・」


「あの頃の俺には、とにかく金しかなかった。信用できるのは金だけでさ、目的も無く、ひたすらに、切り詰めて、切り詰めて、ただ、貯金をしていた・・・っておい、聞いてる?」


シーン・・・


「おーい」


シーン・・・


「おい!あんた!」


「ピッ!ピシッ」


「なんだよ、寝たのかと思ったぜ、つか、幽霊って、寝るもんなのかな?、まぁいいや。でよ、ある日、俺、インフルエンザだと思うんだけど、高熱を出して一週間ぐらい寝込んだんだ」


「・・・」


「そしたらさ、俺の居たタコ部屋の他の奴が紺野さんにそれを話したらしくて、夜、なんと、紺野さんが、パンと薬を持って、汚い現場のタコ部屋までわざわざ訪ねてくれたんだ」


「・・・」


「紺野さんは俺に薬を飲ませてくれたり、熱ピタシートを張ってくれたり、介抱してくれて、俺は孤児だからそんなの初めてでさ、すげー嬉しくて、すげー感動して、だから俺、その時、思ったんだ」


「・・・」


「俺、ずっと一人だったから、気付かなかったんだ。人には居場所ってものが必要で、そこに、自分以外の誰か、そう、自分が大切に思える誰かが居て、その人と色々な事、嬉しい事、悲しい事、面白い事、辛い事、そんなさ、色々を分かち合って助け合って生きて行く、その、なんだ、つまり、俺、そんな家庭を作りたい、家族を作りたいんだ。自分の家族を作る。それが俺の夢だ」


「・・・」


「聞いてる?」


「ピシッ」


「変かな?」


「パシッ!」


「そっか、へへへ、照れくせぇから誰にも内緒だぞ、ばらしたらぶっ殺すからな」


「ドンガラガッシャン!」


「ひょぇぇ?なんじゃそれ?もしかして動揺してる?」


「・・・」


「うーん、やっぱ難解だな・・・幽霊と話すのって・・・」


 ーーーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー


「もしもし、社長」


「おお、どうだった、チラシ見たって客」


「う、う、売れましたよ」


「おおー!本当か!」


「はい、今、契約書を取りに、戻ります」


「おい、で、幾らで売った」


「幾らって、チラシに書いてある通り1800万ですけど」


「待て待て、いいか、社に戻ったら、他にも買いたいって人から引き合いが有ったって言え、相手は2500万までなら出すと言っている、そう言うんだ」


「そ、そんな、今更そんな事言えませんよ社長」


「馬鹿かお前!そんな事だからお前は万年ノルマ達成できない社員なんだよ!客を人間だと思うな!」


ーーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


「本当に社長がそう言ったのか姉ちゃん」


「はい、この土地と建物の評価額は本来なら3500万円、社長は元々、1800万円で売るつもりはなかったみたいです」


「姉ちゃん」


「はい」


「あんた、そんな恰好している割には真っ当な人間だな」


「あ、この恰好、やっぱり、変ですよね」


「まぁ変と言えば変だけど、俺としては喜ばしいが」


「この制服はですね、社長に強制されて、身に着けているものなんです、お前はドジでノロマな亀だからせめてその恰好で客の興味を引けって」


「ドジでノロマな亀、何処かで聞いたようなフレーズだが・・・まぁいい、そうか、それでそんな恰好をしているのか」


「はい、本当は、とても、恥ずかしいんです」


「姉ちゃん」


「はい」


「名前は、なんと言うんだ」


「忍です、風間忍」


「そうか、俺は、折島一平だ。おい忍」


「しゅ、主役と準主役の名前を考えるの忘れていて、なんか長引きそうだから名前が必要になって、思いつきで名前を考えた上に、更に、い、いきなり下の名前で呼び捨てなんですね。はい、何でしょう」


「些末な事はいい、俺、500万ローンを組んで、2500万でこの家、買うわ」


「ええーー!ローンは絶対に組まない主義だって」


「いいよ、でも、その代り、忍、お前、そんな会社辞めちまえ。お前さ、せっかく真っ当な人間なんだから、ちゃんと真っ当に生きろよ」


「真っ当に・・・でも、私、少し事情があって田舎から出て来て、社宅に住んでるし、会社辞めたら、行くところが」


「どんな事情かは知らねぇけど、行くところが無ければ、ここに来ればいい、俺、一人だし、デブハゲチビ親父に部屋は必要ないし」


「ええーー!いきなり同棲!いくら文字数を稼ぐ為とはいえ展開が速すぎませんかーって、あの、は、ハゲ親父って、誰ですか?」


「あぁ、幽霊だよ」


「なんで幽霊がデブだとか、ハゲだとか分かるんですか!!」


「あぁ、何となく、話せるんだよ、このハゲ。なぁハゲ親父?」


「ピシッ」


「うぎゃぁ!!」


「それに」


「うぎぎぎ・・・そ、それに?」


「あぁ、それに、今更、この家、買わないって言ったら、このハゲが可哀想だ」


「な、なーんで、ハゲが可哀想って発想になるんですか」←(もはやハゲだけになっている)


「死んでも家に憑りついて、この家が売られる事を阻むってことは、この家を他人に渡したくない何か、理由があるからだろ」


「ま、まぁ、それは、そうかも知れないけど」


「忍は霊媒師を呼んで、ハゲを除霊をしようとした、まぁ、普通ならそれが順当だ。でも、俺は、ハゲが納得いくまでここに居ればいいと思う」


「ええーー!相手、幽霊ぇぇぇーなんですよ!」


「分かってるよ、でも、どんな辛い事が有ったのか俺には判らねぇけど、死ぬほど辛い事が有って、そんな辛い思いをして、死んでもここから離れられないってんなら、気が済むまでここに居りゃいいじゃねぇか、だから、俺がここを買おうと思う」


「お、折島さん・・・」


「俺は、なんか、それが真っ当なんじゃねぇかと思う、変か?」


「ううん、変じゃない、折島さん、カッコいいと思う」


「おいハゲ!忍も同意してくれた、気が済むまでここに居ろ」


「・・・」

       ブッシャァァァァーーーーー!

   ブッシャァァァァーーーーー!

 ブッシャァァァァーーーーー!

      ブッシャァァァァーーーーー!


「キャアァァァーーー」


「こらぁぁーー!それはやめろーー!水道代がもったえねーーだろうがーーー!」


                 2

 コンコン


「社長、風間です」


 忍はそう言うと、社長室の扉を開き中に入る。


「おお、風間、どうだ、2500万、引き出せたか」


 忍は鞄から契約書を取り出し、社長に手渡した。


「こ、これは、お前!いったいどう云う積りだ」


「やかましーわ!チラシに1800万と書いてある物件を、1800万で売って何が悪い」


 忍はそう言いながら、着用を強制されていたコスプレ紛いの制服を引き千切り社長の首に手を回し抱きついた。


 カシャカシャカシャカシャ!

 その途端、忍の鞄からカメラのシャッター音が連続で鳴る。


「ちょ、ちょっと待て、か、風間、い、いったいなんの積りだ!か、解雇するぞ!」


「うっせー!わい!おいっ!おっさん」


「ひっ・・・ひゃい・・・」


「テメェ、異存を唱えるならこの写真、家族にも世間様にもばら撒いてやる!分かったかぁぁ!ちったぁー真っ当に生きろやぁぁ!このボケェェ!」


 ーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーー


 住み慣れた部屋の荷物を片付けてみた。家具なんて呼べる代物は一つも無く、全部がリサイクル店、若しくは荒ゴミで拾って来たガラクタばかりで、そんな物に愛着も有る筈は無く、捨てる事に何の躊躇いも覚えない。写真だって一枚も持ってやしない。施設に住んでいた頃を思い出してみる。記憶と云うなら、それは在る。しかし、その記憶の中に出て来るあらゆる登場人物の顔は、曖昧模糊で、誰の顔も思い出せなかった。その時、俺は思う。


 ・・・あぁ、ひとりぼっちで、生きて来たんだな・・・


 そんな中、たった一人だけ、しっかりと顔を思い出せる人が居た。パン屋の店員さんだった紺野さんだ。


 ・・・俺、紺野さんが・・・好きだったのかな・・・


 そう呟いて、染みだらけの低く古い天井を見上げた瞬間だった。明らかに窓から西日が差している筈の壁に、俺は今まで見た事がない黒い染みが視界の端を横切るのを感じた。


 茫とし、散乱していた意識がその黒い染みに集まる。


「ピシッ」


「え・・・?」


       ブッシャァァァァーーーーー!

   ブッシャァァァァーーーーー!

 ブッシャァァァァーーーーー!

      ブッシャァァァァーーーーー!


 部屋に有る三か所の蛇口が狂ったように水を噴き出した。


「おわぁぁぁぁーーーー!おい!ハゲぇぇぇぇ!」


「ピシッ」


「お前、何でここに居る」


「・・・」


「お前は、あーのーいーえーにー、憑りついてるんだよな?」


「・・・」


「じゃあ、何故、ここに居る」


「・・・」


「何故、ここに居ると聞いている」


「・・・」


「てめぇ、ま、まさか」


「・・・」


「俺に憑りつきやがったのかぁぁぁぁ」


「ピシッ」


 何か怪訝おかしいと思ったのだ。俺は自慢じゃないが、前向きにしか物事を考えない。常に、その時の自分にとって何が最善か、それしか考えない人間だ。それが、今朝は違った。感傷的になり、芽生えることの無かった恋心などを夢想してしまった。憑依されるというのはこんなにも人の精神に影響を与えるものなのか。確かに俺は、紺野さんの事が好きだったのかもしれない。しかし、人間にとって一番大切なのは、今、この瞬間なのだ。終わった事など、単なる記録に過ぎない。昔に撮影した写真に写り込んだテーブルの料理は、もう永遠に味わう事など出来ないように、終わった事は、誰がなんと言おうとも終わりなのである。


「おい、ハゲ」


「ピシッ」


「お前、随分と長い時間、あの家で独りぼっちで居たんだな」


「・・・」


「独りぼっちの寂しさは、俺も独りぼっちだったから分かる積りでいる」


「・・・」


「でも、そろそろ、前向きになれ、否、俺と暮らすなら、嫌でも前向きにしてやるから、その積りで居ろ」


「・・・」


「返事が無いか、まぁいいや、でも、俺はお前が死人だろうが生きた人間だろうが関係ねぇ。大切なのは今だし、物事は前に向けて考えるのが真っ当だからな」


「・・・」


「さぁ、引っ越すぞ、ハゲ、お前は今日から、俺の家族だ」


「・・・」


 俺はガランとした誰も居ない部屋の壁に向けてそう言うと、手荷物だけを持って部屋の扉を開ける、すると、玄関先の駐輪場に女がひとりで立っていた。


「き、来ちゃった」(往年の明石家さんまフレーズWWW )


「忍、会社は?」


「辞めて来たよ、真っ当に生きろって、社長に言ってやったの」


 辺境の地で育った純朴な村娘の様な綺麗な目で、忍は俺の目を見てそう言った。


「良かったな忍」


「うん、あの、これ」


 忍が伏し目がちに、厚みのある茶封筒を俺に手渡す。


「なんだ、これ」


「あの家、1800万で社長からブン獲って来たの。だからローンは無し、それは預かった2000万から1800万を差し引いた200万、それとこれ」


 忍は更にもうひとつ、俺に茶封筒を手渡そうとする。


「これは」


「少ないけど、私の貯金、タダで部屋を借りるのもなんだし、あの、だから、これ」


「それはいいよ、1800万で買えたんなら、それで充分だ」


「でも・・・」


「いいって、ハゲは逆立ちしても家賃なんて俺に払えねぇんだからさ、忍からだけ家賃を受け取ったら、不公平じゃねぇか、なぁ、ハゲ」


「ピシッ」


「さてと、んじゃ、愛しの事故物件に三人で帰ろうぜ。今日からあの家が、俺たちの住処だ」



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