第6話 花蓮
「バス代高ぇ!」
人生の殆の移動をリッター64キロ低燃費バイクで過ごして来た一平にとって、公共の交通費はぼったくりキャバクラの様に高額に思えた。しかし、子供を連れて移動するのにバイクは危険であり不都合この上ない。更に将暉はまだ首も座らない生後数か月の赤ちゃんなのだ。
・・・車が・・・必要かぁ・・・
一平はそれを頭でシュミレーションしてみる。
車の購入費用を仮に100万円以内としても、税金、ガソリン代、メンテナンス代、車を維持するには他にも多くの費用を必要とする。
つまり子供を育てると云う事はそう言う事なのだ。全てに於いて膨大な費用を負担せねばならないと云う事なのである。これまでの様に独り、気の身、気のまま生きる生活では決してこの小さな命に対しての責任は果たせない。一平はスヤスヤと眠る将暉の顔に視線を下げコクりとうなずく。
「心配するな将暉、俺が絶対に育ててやるからな」
降りるバス停は直ぐに訪れた。
乗った距離をバイクのガソリン代に換算するとなんと10倍以上、正に一平の金銭感覚からするとぼったくりである。
しかし徹頭徹尾ドケチな自分が不思議と惜しいとは思わないその心境の変化に彼自身が驚いていた。
将暉を快適且つ安全に運べるなら別に構わないと思うのだ。
更にここ何日かで色々と必要に迫られ購入する将暉に関する物の購入に対しても惜しいとは思わない、寧ろ楽しいとさえ思えるのである。
「親って、親になるって、こんな感じ、なのかなぁ」
駅のターミナルでバスを降り、東にガード沿いを歩く事10分。一平は職安に到着する。建屋の前に在る駐車場は混雑していて、そこから溢れた車が遥か後方まで列を成していた。
「随分と繁盛してやがるなぁ」
正確に言うならそれは繁盛ではなく混雑で、ここに人が溢れると云う事は、日本経済が悪いと云う事なのだから繁盛してはいけない場所ではあるのだが・・・
「おっと、オムツを替えてやらねば」
一平は事を始める前に将暉のオムツを交換しようとトイレに入るが、最近の施設であれば男性トイレにでも有る筈の子供用設備が何もない。何も無いどころか、便器自体が今時、和式しかないのである。
「おいおいおい、自治体、つか市議!、お前らこういう事をちゃんとするのが仕事だろうが」
一平は唐突に、あの民自党の山本議員を思いだし不快を感じながら胸に抱いた将暉に視線を降ろす。
「将暉、大丈夫か?」
「ばぁいびょうぶばぶ」
「そうか、だいじょぅぶって言ってんのか、将暉はお利口さんでちゅね・・・いやいやいやぁぁ!なんでやねん!おいおいおい!将暉君、君は生後三か月やないですかぁぁぁ!なに俺の言葉を理解して返事してんねん!おかしいやろうがそれ!」
「そうでちゅか?」
「めっちゃそうですね!それあかんやつですね!」
「そうでちゅか、では、もう暫くぴぎゃーとほぎゃーだけで」
「あほか!もうしゃべってもとるやないかい!」
一平はそういって将暉の頭を三回しばいた。
「将暉!お前!どういうことやねんそれ!」
スヤスヤ・・ばぶぅ・・・
しかし将暉は一平の顔を見上げるとニコリとひとつ笑い、またひとつ伏線をふやしてやったぜざまぁみろという顔でとっとと眠りに落ちてしまった。
「むぎゅぅぅ、こいつ・・・なにものやねん・・・いかん、そうじゃねぇ、職探しだ、今はそれどころじゃねぇ」
驚きの余り標準語と関西弁が綯交ぜになったまま、一平は受付へと足を向けた。
「すいません、仕事を探しに来ました」
「はい、ではこの番号のパソコンで先ず希望する仕事を探していただけますか」
受付のおばさんはアンドロイドの様な口調で一平に番号表を手渡し、一平は言われた通りパソコンの前に座り画面の指示に従い求人票に目を通し始めるが、一平が希望する子供を連れて仕事が出来るかどうかの記載などどこにも無い。
一平は仕方なく、もう一度アンドロイドおばさんの所に足を運んだ。
「あの、子供を連れて出来る仕事を探しているんですけど」
アンドロイドおばさんはアンドロイド然とした態度でアンドロイド的に驚きを示し鸚鵡返しに一平に質問をする。(どんな状況やねん)
「子供を連れて仕事?」
「そう、正確には子供を抱いたまま出来る仕事です」
「その子ですか?」
「はい、まだ生後三か月です」
「生後三か月?」
「はい、生後三か月です」
「そんな仕事、有ると思います?」
「無いですか?」
「御座いません」←(アンドロイドらしくきっぱりと)
「こんな乳飲み子を抱えているというのに、ちょっと冷たすぎやしませんか!」
一平はこの余りにもアンドロイド然としたおばさんの対応に憤りを感じそう言った。
「そのお子さんのお母様はどうされたのですか?離婚?されたのでしょうか」
「そ、それは、あの、ウニョウニョ・・・・」
「健康保険はどうなっていますか?」
「いや、その、ウニョウニョ・・・」
「前の職場で雇用保険に入っていましたか」
「いや、あの、現場仕事、だったので、その・・・」
「じゃあ失業保険の給付も受けられません。最後の手段としては生活保護ですが、生活保護については色々とお話をお伺いしなければなりません。そもそも、貴男はそのお子さんの父親なのでしょうか」
・・・考えてみればそうだ・・・俺は曲がった事が嫌いなのに・・・将暉を手元に置く事が・・・真っ当ではないんだ・・・
・・・でも・・・ならばあいつらが真っ当だといえるのか・・・自分の血を分けた子供であり孫である将暉を簡単に捨てようとするあいつらが真っ当だと言えるのか・・・
「ちがぁぁう!断じて俺は間違ってねぇぇぇ!」
全く自分がした質問の回答からかけ離れた雄たけびをあげる一平のそれにさすがのアンドロイドおばさんもアンドロイド然とはしているがギョッとした。
「もういいです!」
一平はアンドロイドおばさんに背を向け建屋の出口へと走り去った。
本人たちの前で警察の立会いのもと将暉を連れて来た。しかし、事実は無根であり将暉は自分とは何の関係も無い血の繋がらない子供なのだ。勢いで連れて来たものの何の手続きも踏んでいない。
・・・弱ったなぁ、自分以外の命に責任を持つってのはこんなに大変な事なのか・・・
一平には珍しく少々弱気に俯きながら駅に向かおうと歩き始めたそんな一平の背中を呼び止める声がする。
「あの、もしもし、そこの貴男」
突然、もしもしそこの貴男、等というもはや死語とも思える様な言葉で一平を呼び止めたのは、ところがどっこい思いもよらぬ滅茶滅茶金髪の黒系ギャルママだった。
ギャルママの手を推定三歳と思しき年頃の可愛い女の子が手を握っている。
「あの、私、シングルマザーなんです」
「突然、藪から棒な告白っすね」
「貴男はシングルなのですか」
「え、ま、まぁ、独身ですが」
「お互い、大変ですよね」
「そ、そうですねぇ・・・」
「免許は持ってます?車の?」
「えぇ、まぁ・・・」
「ニコニコ笑顔で人にあいさつは出来ますか?」
「え、あの、はぁ、基本、前向きで明るい性格なので」
見た目はチャラいくせに言葉だけ丁寧なこの黒ギャルはいったい何が言いたいのだ。
「合格です」
「はぁ?」
「面接ですよ。誰にでも元気に明るく挨拶が出来れば大丈夫です」
「えぇぇーー!」
「今日は歩いて職安に?」
「いえ、クソ高額な公共交通機関で」
「あぁ、バスで来たんですね」←(公共交通機関の部分はスルー)
「あぁ、まぁ、はい、そうです」
「私、今日はもう終わりなんで、良かったら、会社、見に来ます?その後、お家まで送りますよ」
「えぇぇーー!いいんですか?助かります!バスの料金、クソ高くて」
「じゃ、乗って下さい」
「あざーーっす、良かったな将暉」
一平は高額なバス料金が浮いて、読んでそのまま浮き浮きとしてギャルママの車に乗り込んだ。
「あれ・・・」
ギャルママの車は軽四ワンボックスカー。
よく○○急便や、○○○○ヤマト、郵便局などが荷物の配達に使用する車で車内は広い。
「あぁ、荷物を積むのに後ろのシートは普段はたたんでるんです。そのレバーを引いてシートを起こしてから乗って下さい」
一平は言われた通りにレバーを引いて後部座席を起こし車に乗り込んだ。
車内には伝票や搬送用の資材が少し散見でき、そこから察するに、このギャルママはこの軽四で何かの荷物を運んでいる様だ。
一平が将暉を抱いて後部座席に乗り込むと、母の影響と云うか、趣味と云うのか、ワイルドなヒョウ柄の衣服で身を包んだ三歳児が一平の横に乗り込んで来た。
(お前・・・三歳児で茶髪・・・やるな・・・)
「もちもち、貴方」
三歳児は母を真似て拙いながら慇懃な口調で一平に質問する。
「赤ちゃん、見てもよろちぃ?」
「いいぞ、ほーら、可愛いだろ」
「わー、おててがちっちゃーい」
(お前の手もたいがいちっさいけどな)
三歳児の小さな手が、それより小さい将暉の手を不思議そうにいじくりまわしている。
「お前、名前は」
「キラリだぉ」
「キラリ?」
「うん、綺羅裡。難しい漢字なんだぉ、おっさん、書ける?」
「おっ!おっさん言うな!まだ二十三歳じゃボケ!おにーちゃん言え!丁寧なんは最初だけかい!」
「この子の名前はぁ?」←(人の話しを聞かないタイプ)
「こいつは、マサキだ」
「魔茶器?」
「いやいやいや、なんでやねん、将暉!そんな誤変換みたいな名前ちゃうからね」
「おっさんの名前は?」←(やっぱり人の話を聞かないタイプ)
「だからおっさん言うな!俺は一平だ」
「ねぇねぇ、いっぺーちゃん、魔茶器、抱っこちたい!」
「魔茶器ちがう!将暉!つか、それは駄目だ。車から降りたら、まぁ、いいけど、今は危ないからダーメ!」
「えぇー!いいやんかぁ!ちょっとだけ」
「あかん言うたらあかんのや!」
「ねぇねぇ、いいやんかぁ」
「あかん!」
「ケチッ!」
「ケチと違うわ!」
「あっ!おっさん!」
「おっさん言うな!」
「ちがう!ちっちゃいおっさん」
「小っちゃいおっさん?」
「うん」
「ほらぁ、魔茶器の耳のとこ」
「えぇぇーー!」
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