第5話  父になると決めたからには父になる

 一平が以前に住んでいたアパートはここから南に10キロほど降りたところで、港に面した工業地帯が西に延びており、それに伴い拓けた歓楽街も在って割と賑やかな場所だった。


 しかし、たった10キロ北上しただけであるにも拘らず、一平たちの事故物件は閑静な住宅街の中に在った。 


 そこでは高齢化が進み、軒並み古い木造住宅が目立つ。


 一平が購入した様な新しい住宅は皆無といってよく、人が歩いているのを見掛けるのも殆どが高齢者ばかりだった。


 立地はすこぶるよかった。 


 角地である敷地の目の前には広々とした公園があり、東奥三軒向こうには桜の並木道を携えた夢前川の優しいせせらぎが流れている。春には名所となりうるほどの風光明媚がここにはある・・・のだが・・・事故物件に入居して来た彼等に周りの視線は冷たかった。


 忍にしても、この家で自殺が有った事実は知っているが、いったい、どういった経緯で誰が自殺したのかは知るよしもない。自分たちがこれから生活をする家で何が起こっていたのか、それについて情報を得ようとしても、近所の住人は忍に挨拶は疎か視線を合わせようともしない。そんな得体の知れない澱んだ空気の中で三人と一体と一匹の生活が幕を開けたのである。


 こいつが男であると確認出来た俺は名前を知らないこいつに将暉と名付けた。


「ピッシヤァァァァァ!」


「う”ぎゃぁぁぁーーー!うるせー”」


 まるで落雷が生木を引き裂くようなラップ音に一平が飛び起きると、そのすぐさま一分後に、ピギャーホギャーホギャー、将暉が口の中に唐辛子をたんと放り込まれた人の様に泣き叫ぶ。


「はい”はい”、わかってま”すよぉぉぉ」


寝ぼけ眼で一平は将暉の哺乳瓶を手にミルクを作り始める。


「ピッシィィ!」


「わぁ!なんだハゲ!」


「パシッ」


「あぁ、そっか、悪ぃ、分量、間違えるとこだったわ」


 一平は自分の肌でミルクの温度を確かめた後、泣き叫ぶ将暉の口に哺乳瓶の乳房を咥えさせる。ちゅぱっ んぐっ ちゅぱっ んぐっ ぷっはぁーー・・ 将暉は元気にミルクを一気飲みするとあっという間も無く眠りに落ちる。 そして二時間半後・・・


「ピッシヤァァァァァ!」


「う”ぎゃぁぁぁーーー!うるせー”」


 ピギャーホギャーホギャー、


 現場を休み、これを三日間繰り返したある日の朝・・・


「だ、だ、駄目だ、これじゃ全く仕事に行けん・・・」


 一平はついに決心した。建築現場の仕事は大好きだったが背に腹は代えられない。まさか子供をおぶったまま危険な現場で作業をすることは出来ない。


 ・・・子供を連れて出来る仕事は・・・何かないのか・・・


 翌日の朝、一平はオムツや哺乳瓶などを鞄に詰め込んで出かける支度を始めた。


「一平くん、どこに行くの?」


「ハローワークに行って来る、このままじゃ仕事が出来ないからな」


「ごめんね一平くん、私が・・・」


「忍が謝る事じゃねぇ、これは俺が決めた事だ。それに忍も新しい仕事を探さなきゃだもんな」


「私は一応、色々と資格があるから大丈夫だけど・・・」


「心配するな忍、ハローワークならきっと赤子を連れていても出来る仕事を探してくれる。だって、天下の公共職業安定所なんだからさ」


「一平くん、今からでも遅くないよ、その子は一平くんには何の関係も無い子供なんだよ。なんで一平くんがそんなに無理をしてまで育てなきゃならないの」


「忍、俺は親に捨てられた子だ。どんな事情が有ったって子供を捨てるなんて俺には許せねぇ、捨てられた子供の気持ちを考えてみろよ」


「ごめん一平くん、私、そんなつもりで・・・」


「あぁ、わりぃ、忍に怒ってもしかえたねぇな、でもよ、俺はこいつを捨て子になんかしねぇ、誰も育てないんなら俺が育てる、そう決めたんだ」


 ・・・一平くん・・・あなたって人は・・・


「ところで忍・・・」


「なーに、一平くん」


「その、ゴキ、いや違った、エイリアン、いや違う、あの、ペンペンはなるべく、部屋に、その、置いて、いや、部屋で遊ばせるように、したら、いいんじゃないかな、あははは」


 一平はそう言うと、今日はピンクのリボンを触覚に施されたペンペンを抱く忍に背を向け、ハローワークへと向かった。


             

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