#06 キレイな手の男①

 大学を休学し新天地を求めて引っ越したのにもかかわらず、何もなく変わらないアタシは夜独りでボーっとラジオを聴いていた。

数年前に若くして亡くなったシンガー兼ギタリストの特集だった。今はもう解散してしまっているそのバンドの聞き覚えのある曲が流れた。

ただそれに聴き入った。

 急に淋しくなったアタシは“ストライカー”に電話をした。

だけど出ない。シーズン中の今は毎日練習があるだろうから、もう寝てしまっているのだろう、まもなく23時になるところだ。

アタシは用もないのにただ寂しいだけで衝動的に彼の電話に着信を残してしまったことに後悔しながら、睡眠導入剤を飲んでベッドに入った。寝てしまえば寂しさから解放されて、薬の効き目が切れる頃には新しい1日が始まる。

 2、30分たってから電話が鳴って、薬の効き始めて重くなった目を少し開けて枕元にある携帯電話を手探りで探し出し持ち上げて青く光る画面を見た。

<ごめん、風呂はいってた。

まだ起きてるなら電話するよ?>

と、“ストライカー”からのメールだった。

<話したかっただけ。遅いからまた今度で大丈夫。>

ただのメールの文章からも彼の暖かい人柄が感じられたが、今のアタシの脳には薬が回り始めていてこんなそっけないメールを返信するのが精一杯だった。

そして携帯電話を握りしめたままの手を胸に置いて目をつぶった。

そのまま寝てしまっていたアタシはまた携帯電話が鳴って目を覚ました。今度は着信だった、ディスプレイには“ストライカー”の名前が表示されている。何分くらい寝ていたかはわからない、また今度でいいと返信したはずだ。

「もしもし……」

と、電話に出たアタシに、かけてきたにもかかわらず動揺した彼の声だった。

『あの、ごめん、寝てた? あの……今、下にいるんだよね……』

「え?!」

寝ぼけていたアタシの頭はフル回転し、何が起きているのか理解しようとした。

『大丈夫ならいいんだ、帰るから、元気ならいいんだ』

アタシが驚いた声を上げたことと自分のとった行動がおかしいことに気が付きたのとで、おもしろさと恥ずかしさが混ざったような言い方で笑いながら彼は言った。

意味深な着信とメールを残したアタシのことが気になって深夜にもかかわらず20分くらい車を走らせてアタシの家まで来てくれたのだと理解したアタシは彼を引き留めた。

お風呂を上がってメールを確認してすぐ車に乗ったようで、玄関に現れた彼は洗いざらしでぼさぼさに乾いた黒い髪が顔にかかっていて、大きめのシャツにダボっとしたスウェット姿だった。玄関で出迎えたアタシは一瞬沈黙した。多分、彼の突然の行動に感動していて声が出なかったのだ。

「急にごめんね、こんな時間に……顔見れたから、帰るよ……」

目の下まで伸びてうっとおしそうな前髪をかき上げながら言った彼の鋭い目は優しかった。アタシは帰らないでと言おうとしたが言葉より先に手が動き、彼のシャツの裾を左手つかんだ。それに驚いた様子の彼はただアタシの顔を見ていて、ほんの数秒無言でアタシたちはそのまま見つめ合った。

「スキかも……」

アタシの気持ちはあふれ出してもう言わずにいられなかったが、間違った言い方だったようで

「かも?」

と、彼は笑ってずっと触れてほしいと思っていたキレイな手で彼は自分のシャツの裾をつかんでいるアタシの手を取った。アタシの万年ひんやりとしている手は彼の細長い指で大きくて暖かい手に包まれて、じわじわと暖かくなっていくのを感じた。2人の重なった手をアタシはただ見つめた。

「オレは好きだよ」

と、彼が発したのでアタシははっとして彼の顔を見ると、照れたような笑顔だった。“ストライカー”はただ見つめているアタシを抱き寄せてキスをした。

アタシは淋しかったはずだが、その言葉とキスで孤独感から抜け出し一気に体温が上昇し多幸感に包まれた。密かに見とれていた筋肉質な腕に抱かれて、アタシは自分が想像していた以上に彼を思っていたことに気がついた。そしてそのまま2人でベッドに行って一晩一緒に過ごした。


 翌朝、「やべぇ……」と言って飛び起きた彼が筋肉質な上半身を起こして、慌ただしく洋服を探す音でアタシは目覚めた。

「遅刻すると罰金なんだよ」

彼はそう言いながらベッドに裸でうつ伏せになったままのアタシを見ながら、いそいそと服を着ている。アタシのシャツも見つけた彼は

「着て、遅刻してもいいかって気分になっちゃうから」

と、言ってアタシに向かってシャツをほおった。

そして服を着た彼は起きてすぐだというのに玄関に向かって、アタシはシャツだけを着てついて行った。

「アタシの為にゴール決めてね」

この状況に少し恥ずかしかったアタシはジョークを言うと

「うん……っていうか……今日、練習日。だからシュートはめっちゃ打つと思う」

フォワードの彼は裾の右側が伸びてしまったシャツを着て苦笑いして髪もボサボサのアタシに軽くキスをして去って行った。

午前中から練習があるのにアタシの為に深夜にウチに来てくれたのだった。あまり寝られずにけだるさが後を引いたが、彼の愛を感じていた。

こんなふうに突然、アタシと“ストライカー”は人生を一緒に歩み始めた。


 それからアタシはほとんどを彼の家で過ごし、ヒップホップ3人組のアシスタントをしながら家事もやった。

それまで料理などしたことはなかったので、レシピ本を買ったりネットで調べながら料理を覚えた。

「毎日作らなくていいよ。外食したってどうなるわけでもないっしょ」

と、彼は言うが、アタシ達が交際を始めてまもなく“親友”達は結婚して、彼女は完璧にスポーツ選手の嫁という仕事をこなしているのを目の当たりにしていて、アタシもやらなくてはならない気になっていた。

 一緒にアタシの作ったバランスの取れた夕飯を食べている時に、スポーツ選手の嫁もしくは彼女についての話になった。

「オレは別に支えて欲しいとか思わないしなぁ……。独り暮らし長いし、自分でうまくやれるからさぁ」

彼はサッカー強豪高校に進学するために親元を離れ、その時から独り暮らしをしている。高校卒業してすぐにプロチームに入団して1年目には外国のチームに修行に出してもらったりしていて、海外での独り暮らしの経験まである。

普段から自分から進んで洗濯も掃除もするしゴミ出しもする。クリーニングにだって自分で持っていく。派手な夜遊びをするようなタイプでもなかったし、わりと真面目に自分で自分の体は管理している。未だに『スポーツ選手は早く嫁をもらってプラベートを安定させていいパフォーマンスをすべき』といった前時代的な考えに支配されている中で、進歩的な価値観の選手だった。

「アタシ別に苦じゃないよ? いがいと料理楽しいし」

「それならいいけど、オレは一緒にいられるだけで十分だからね」

彼は気を使ってくれているのか喜ぶような事を言ってくれる。だからアタシも逆に彼のために何かしたくなる。

 毎日一緒に起きてそれぞれの仕事をして、家事を分担しアタシの作った夕飯を一緒に食べる。たまに外食したり外でデートして、夜は愛し合って一緒のベッドで眠る。

こんなルーティンを過ごしていて、こうやって2人の日々を積み重ねていっていつか結婚したい気持ちになって結婚するのかと、アタシは客観的に思っていた。


 彼の仕事の大変さを実感したのは付き合い始めて4か月ほどたった頃だった。

高校卒業して入団したチームは毎年優勝争いしているような強豪で、スターティングメンバーはおろかベンチにすら入れなかった。海外留学もさせてもらい期待の若手ではあったもののサッカー選手としての地位を確立できなかった時のことを

「地元ではできるほうだったんだよ、でもプロ入るヤツはレベルちげぇなって思ったよ」

と、背が高く運動能力も高い彼は地元では秀でた存在だったがプロの世界の厳しさを知ったと回顧していた。結局そのチームでの居場所はなく、都心近くのだいぶ格下のチームへとレンタルという契約で移籍した。そのタイミングでアタシ達は出逢ったのだが、アタシから見た彼はまじめで優秀な選手に思えたがそれは素人考えで、レンタル移籍したチームででも安定的に出場機会を得られずにいた。

 付き合い始めて4か月ほどたった頃、彼は突然髪を金髪にして帰宅した。

「どうしたの?!」

キッチンで夕飯の支度をしていたアタシは彼のあまりの変わりように大きな声をあげた。

「なんとなく……気分転換?」

眩い黄金の自分の頭を右手でなでながら照れくさそうに、アタシの驚きに少したじろぎを見せながら彼は答えた。

艶やかな黒髪の前は目を覆うほど伸び、後ろ髪も肩にかかりそうなほどだったが、金色にしたのと同時に短く切られてウルフヘアに変わった。温和であまり大胆なことをするような性格ではない彼はきっと何か鬱屈としたものを抱えていたのだろう。レギュラーに定着できていないことも知っていたアタシは彼の輝く髪を見ながらそう思った。

「めっちゃ似合ってる! イイ男は何しても似合うんだね!」

と、言って抱きついて彼の新しいヘアスタイルを褒めることしか言えなかった。

アタシが想像する以上に彼の職業は過酷で、彼は毎日戦っているのだ。

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