#06 愛した男①
大学を休学し新天地を求めて引っ越したのにもかかわらず、何もなく変わらないアタシは夜独りでボーっとラジオを聴いていた。
数年前に若くして亡くなったシンガー兼ギタリストの特集だった。今はもう解散してしまっているそのバンドの聞き覚えのある曲が流れた。
ただそれに聴き入った。
急に淋しくなったアタシは“ストライカー”に電話をした。
『どうした?』
まもなく日付が変わる頃だったので彼はもう寝てたようで寝起きの声だった。でも優しい彼の声にほっとした。
「なんか、ちょっと……。何でもないんだけど……。ゴメン、遅くに」
『そっち行こっか?』
何とも言わないアタシに対して彼はそう言って車を走らせてウチまでやって来た。
彼は今は都内から少し離れたチームに所属していてその近くに住んでいるので、ウチまでは車で40分はかかる。深夜にもかかわらず玄関に現れた彼の姿に、アタシは我を忘れて思わず抱きついた。
「どうしたの」
急なアタシの行動に驚いた彼は笑っていた。アタシは彼から離れて
「好き……、かも」
と、彼の目を見て
「かも?」
やっぱり彼は笑って、またアタシを抱きしめて
「オレは好きだよ」
と言った後にキスをした。
アタシは淋しかったはずだが、その言葉とキスで孤独感から抜け出し一気に体温が上昇し多幸感に包まれた。密かに見とれていた筋肉質な腕に抱かれて、アタシは自分が想像していた以上に彼を思っていた事に気がついた。そしてそのまま2人でベッドに行って一晩一緒に過ごした。
翌朝、「やべぇ……」と言って飛び起きた彼が筋肉質な上半身を起こして、慌ただしく洋服を探す音でアタシは目覚めた。
「遅刻すると罰金なんだよ」
彼はそう言いながらベッドに裸でうつ伏せになったままのアタシを見ながら、いそいそと服を着ている。アタシのシャツも見つけた彼は
「着て、遅刻してもいいかって気分になっちゃうから」
と、言ってアタシに向かってシャツをほおった。
そして服を着た彼は起きてすぐだというのに玄関に向かって、アタシはシャツだけを着てついて行った。
「アタシの為にゴール決めてね」
この状況に少し恥ずかしかったアタシはジョークを言うと
「うん……っていうか……今日、練習日。だからシュートはめっちゃ打つと思う」
フォワードの彼は苦笑いして髪もボサボサのアタシに軽くキスをして去って行った。
午前中から練習があるのにアタシの為に深夜にウチに来てくれたのだった。あまり寝られずにけだるさが後を引いたが、彼の愛を感じていた。
こんなふうに突然、アタシと“ストライカー”は人生を一緒に歩み始めた。
ほとんどを彼の家で過ごしていたアタシは、ヒップホップ3人組のアシスタントをしながら家事もやった。
それまで料理などしたことはなかったので、レシピ本を買ったりネットで調べながら料理を覚えた。
「毎日作らなくていいよ。外食したってどうなるわけでもないっしょ」
と、彼は言うが、アタシ達が交際を始めてまもなく“親友”達は結婚して、彼女は完璧にスポーツ選手の嫁という仕事をこなしているのを目の当たりにしていて、アタシもやらなくてはならない気になっていた。
一緒にアタシの作ったバランスの取れた夕飯を食べている時に、スポーツ選手の嫁もしくは彼女についての話になった。
「オレは別に支えて欲しいとか思わないしなぁ……。独り暮らし長いし、自分でうまくやれるからさぁ」
彼はサッカー強豪高校に進学するために親元を離れ、その時から独り暮らしをしている。プロチームに入団して1年目には外国のチームに修行に出してもらったりしていて、海外での独り暮らしの経験まである。
普段から自分から進んで洗濯も掃除もするしゴミ出しもする。クリーニングにだって自分で持っていく。わりと真面目に自分で自分の体は管理しているし、派手な夜遊びをするようなタイプでもなかった。未だに『スポーツ選手は早く嫁をもらってプラベートを安定させていいパフォーマンスをすべき』といった前時代的な考えに支配されている中で、進歩的なスポーツ選手だと思っていた。
「アタシ別に苦じゃないよ? いがいと料理楽しいし」
「それならいいけど、オレは一緒にいられるだけで十分だからね」
彼は気を使ってくれているのか喜ぶような事を言ってくれる。だからアタシも逆に彼の為に何かしたくなる。
毎日一緒に起きてそれぞれの仕事をして、家事を分担しアタシの作った夕飯を一緒に食べる。たまに外食したり外でデートして、夜は愛し合って一緒のベッドで眠る。
こんなルーティンを過ごしていて、こうやって2人の日々を積み重ねていっていつか結婚したい気持ちになって結婚するのかと、アタシは客観的に思っていた。
シーズンの終盤に付き合いを始めて、オフシーズンのうちは一緒にいろんなことをした。半年ほど順調な付き合いが続いたが、突然次のシーズンから “ストライカー”が別のチームに移籍することになり、毎日楽しく過ごしていたアタシ達に急に現実が襲って来た。
移籍先は東北のチームでここからは新幹線を使う距離のため、彼は引っ越さなければならない。
アタシも一緒に引っ越すのか、もし引っ越したら一緒に住むのか、今借りている部屋はどうするのか、バイトは辞めるのか、一緒に住んだとしてアタシはそこで何をするのか。
一気に話し合わなくてはならない現実的な問題が押し寄せてきた。
「結婚して一緒に引っ越す?」
彼は唐突にアタシに質問した。ただアタシを連れて行くには心苦しくて、ちゃんとアタシへの責任を取るという意味での発言だったのだろう。
「なんか、それは違う気がする。結婚ってそうやって決めるもんじゃない気がする」
アタシが答えると
「うん、オレもそれは同感……」
と、彼は言った。
別に結婚を否定するつもりはない、いづれするかもしれないし、しないかもしれない。今はしたいとは思っていない。相手が誰であろうと。
彼との結婚を想像してみて、悪いところはない。彼とは気が合うし、問題はなかった。彼はアタシにとって最高のパートナーであるのは間違いない。
彼はスポーツ選手は早く落ち着くべきだというのも古臭いとバカにしてたし、家で旦那の健康を考えた夕飯を作って待ってるような“支える妻”も好きではなかった。タバコを1本わけてくれちゃうようなアタシが好きだった。
“親友”達はアタシ達に結婚するように言ったけど、結婚にはお互い興味がなかった。というより、今の関係で十分素晴らしいものだった。
彼はアタシのことをよくわかっていた。
彼だけが引っ越して今のまま流れに任せて続けていこうと決めて、アタシ達の遠距離恋愛が始まった。
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