#02 幼馴染の男
人が亡くなった後のいろいろな工程がつつがなく終了した。
彼との家にアタシ独りで帰すことを心配して、母が家政婦に頼んで実家にケータリングを用意して近しい人達と一緒に招待した。
都心の一等地のマンションで最上階の母が所有するペントハウス。広々として片隅に艶やかでくねったうすいベージュのオブジェクトと乾燥した草が刺さった大きな鉢が置いてある玄関で乱暴にヒールを脱いでひんやりとしたスリッパに履き替える。
すぐ目の前にはクロークがあって、そこに次々とコートをかけていく。艶やかな廊下を進むと開放的なリビングが広がる。メゾネット形式のため、手前には階段、右側は都内の景色が一望できる1面のガラス張りで、左側はバーカウンターになっている。バーの後ろに回り込むと本格的なキッチンとパテントリーになっているので、そこに向かう同線の途中にモーニングテーブルセットが置いてあり、ケータリング業者が持ってきた色とりどりの御馳走がビュッフエ形式で並んでいた。お客はそれらを手に取り思い思いの場所で会話をしながら食していた。
アタシはカウンターの中に入って母の趣味でそろえられた高級なアルコールの前は素通りして、キレイに磨かれたガラスのコップを手に取り冷蔵庫に常備されているはずのオレンジジュースを探した。飲みなれた100%のオレンジジュースを片手に、中央に堂々と設えてあるソファーとテーブルのリビングセットには腰を下ろさず、バーカウンターに置いてあるスツールに腰をかけた。
20人近い人たちが会話をしながら立ったり座ったりして、簡単な食事をしているのを見ながらオレンジジュースをゆっくり飲んでいると
「大丈夫? 疲れてるね」
と、アタシの様子を見た幼馴染が声をかけて隣のスツールに座った。
今の段階では悲しみよりも疲れのほうが勝っていたアタシは
「さすがに、疲れたわ……」
と、彼にわざと疲れた顔を作って返答した。
“幼馴染”と出会ったのは8歳だった。
彼の母親はピアニストで海外に住んだりしていた転校生で、すこしアクセントが違って、とてもおとなしくて色白でサラサラの髪の毛が少し茶色くてアタシよりも背は低かった。小さい頃から同じ学校だった子達が多いせいで転校生はなかなか馴染めずに、人見知りの彼には余計いごこちが悪そうだった。
クラスのいじわるな男子が彼のアクセントをからかい始めた。
それをやめさせたかったのもあるが、いろんな街に住んだことのある彼がうらやましくて話を聞いてみようと声かけた。
そんなきっかけで仲良くなって、アタシが行くところにはいつもついてきた。
基本的にはアタシの話を否定せずに聞いてくれる。たまにお説教もする。怒ったりなど絶対しない。しゃべりたくないときはしゃべらないでいる。アタシのレコードを出しても戻す場所を絶対間違えない。
当時のお気に入りは*“
彼も父親がいなくて、ウチの母と彼の母は意気投合して家族ぐるみの付き合いになり、ティーン時代を一緒に過ごした。
アタシが少し上を見て話すほど“幼馴染”の背は伸びた今でも親友でいてくれている。
「今日泊まるんでしょ?」
急に独りになったアタシを心配した“幼馴染”からの質問だった。アタシはみんなが思っているほど落ち込んでいない。それを言うのは不謹慎な気がしたアタシは『パートナーを失ったばかりのかわいそうな女性』を演じているようなヘンな気分になっている。
「そうしようかな」
と、返事をしたが、元々アタシが使っていた部屋に泊まれるように家政婦が支度してくれているというので、申し訳なくてそう決めたまでだ。いつものベットに使い慣れた枕で寝たほうが疲れはとれるのは承知だったが、皆の気遣いに屈した。
「じゃぁ、オレも久々に泊まろうかな、たまにはゆっくり話そうよ」
“幼馴染”は一時期この家に住んでいた。彼が使っていた部屋は今はだれもっていないが、今日はこの部屋も誰かが泊まれるように整えてあるらしい。
子供のころは毎日のように一緒にいたが、お互い仕事を始めてから頻度が減り、アタシが結婚してからはほとんど会わなくなっていた。
こんな機会でもないと昔のように語り合うこともしなくなっていたので、これはこれでいいタイミングなのかもしれない。
だいぶ夜も更けてお客も帰り始めたので2階の自室に行った。
兄弟の中で最後まで実家に残っていたのはアタシだったので、この部屋はアタシ以降使われずアタシがいたころのまま残っている。
用意周到に用意してある部屋着に着替えてベッドの上に寝転んだ。
少しすると心配して来てくれた友人たちをみんな見送って“幼馴染”が部屋にやってきた。
「なんか久しぶり、ここ」
今日の雰囲気には似つかわしくなく少しテンションの上がった口調でアタシの部屋をグルリと見回した後に、勢いよくアタシの横に寝転んだ。
「よく一緒にいたよね、いろんな話したよね」
なつかしさがこみ上げたアタシもそう言いながら彼のほうへ顔を向けると、彼はニッコリと微笑みながら緩めていた黒いネクタイを引き抜いた。
アタシは結婚するまでこの部屋にいたのだが、大学を中退して一時期、地元を離れて独り暮らしをしていた。“幼馴染”がこの家に住むようになったのはその頃だった。
アタシのいない間の“幼馴染”は芸術系の学校に進学して演劇をやっていた。人見知りで恥ずかしがりの彼が人前で演技なんてと信じがたかったが、女優志望の女の子と付き合っていたりと青春を謳歌していた。
その彼女というのは小さな劇団に所属し、彼は芸術系の学校に通いながら2人で夢に向かってつつましく暮らしていた。そばに川が流れていそうな光景が思い浮かぶ。
小柄でゆったり系のジーンズに袖眺めのロンTを着て、肩より少し長いつややかな黒髪を後ろで1つにまとめた ──そんなふうに勝手に想像した彼女は、女優の夢が叶ったからではない。
ただ新しい男ができたから、“幼馴染”の元を去ったのだった。2人で借りていた部屋に住み続けるのを気の毒に思い、当時まだ実家で暮らしていた“残念な弟”が“幼馴染”をうちに住まわせた。
アタシと“幼馴染”はベッドに横たわり天井を見上げたまま、そんな頃の懐かしい話で盛り上がっていた。
「そういえばさ、なんであん時、地元から出てったの?」
彼は唐突に聞いてきた。もう20年近く前の話だが、この件については誰にもまだ本当のことを話していなかった。
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