第12話 カレーの話

 6月も後半に入って、晴れている日はどんどん真夏の顔を覗かせてくる。蚊も飛んでくるわ、昼間の気温は30℃を超えるわ、夜も熱帯夜だわと、今からこの先の数ヶ月を考えると憂鬱にもなってきた。

 こんなしんどい季節を乗りきるのはあのメニューしかないだろう。そう言う気分でいたからか、俺はこの話題をしたくてたまらなくなってきた。他人があの料理の事をどう認識しているのか気になってきたのだ。


 そんな感じで意気込んでいると、いいタイミングで俺のアカウントに反応があった。それを見た瞬間、反射的に俺の指が動く。


『こんばんわやで』

『やあ、今日も暇?』

『暇やなあ』

『最近結構暑くなってきたよねー。困るー』

『もうバテとる?』

『バテてしまいそう』


 サワはすでにこの暑さに参っているようだ。これはいい前フリだと感じた俺は、早速話を振ってみた。


『そんな時はカレーで決まりや。ところでカレーは好きかい?』

『普通に好きだけど』

『どのくらい食べるん?』

『うーん、2週間に1回くらい?』

『何やて?』

『えっ?』


 俺は彼女の返事に目が点になった。好きな料理って二週間に一回程度で満足出来るものだろうか? それレベルの料理を好きと認識していいのだろうか。否! 断じて否だ。

 俺はサワの認識を修正しようと説得を試みる。


『それ普通や』

『普通だねえ』

『普通を好きと言うのはちょっとちゃうやん?』

『面倒な人だな』

『やっぱ好きなら週に3日は食べな』

『えっ?』


 今度は俺の返事にサワの方が唖然としている。まぁ俺もちょっとカレーを食べすぎているかなと言う自覚はある。ただ、この話に進む前に一応確認したい事があった。俺は少し話を戻す事にする。


『さっきの2週間に1回って、それどうせ外食で1食だけとかなんやろ?』

『や、レトルトで』

『む』

『簡単だし美味しいよ?』

『むむ』

『ちょ、何なん?』


 俺は外食カレーを想像していたので、彼女の答えがレトルトと言うのにちょっと面食らってしまった。この展開に対するリアクションを何も用意していなかったため、言葉に詰まってしまったのだ。

 戸惑う彼女を安心させるため、まずは無難な言葉を入力する。


『ま、まぁレトルトもうまいわな、うん』

『そっちはどうなんよ。まさかルーひと箱分を一気に作って1人で食べてるとかじゃないよね?』

『え? そうやけど?』

『えっ』

『鍋一杯分のカレーをなくなるまで毎回食べよるけど?』

『自分1人で?』

『せやで?』


 俺は毎週4日連続でカレーを食べている。具体的に言うと日曜から水曜までだ。それが珍しいと言うのは百も承知だ。ただ、普段その事は口外しないため、ここまで驚かれるとは想定外だった。

 俺の事情を飲み込んだサワは、ここで当然の反応を返す。


『カレーばっかで飽きない?』

『色々工夫して味変してるから無問題』

『タケルは毎日同じメニューでも大丈夫なやつかあ』

『でもカレーだから不健康やないよ』

『確かに、カレーの食べ過ぎで病気になったって話は聞かんね』

『これがラーメンやったらヤバかったわ』


 俺は苦笑い絵文字を使って、執着しているのがカレーだった幸運を喜ぶ。ラーメンが好きで毎食ラーメンを食べているような人が世の中にはいるみたいだけど、そう言う人は総じて健康を犠牲にしている。その点、カレーは味噌汁みたいに頻繁に食べたって健康に問題が出ると言う事はないのだ。少なくとも、そう言う話は聞かない。

 俺がカレーの素晴らしさを更に布教しようとしていると、先に彼女の方から質問が飛んできた。


『そんなカレー好きはどう言うカレー食べてんのさ。自作かい?』

『いや、市販のルー』

『つまり、材料煮込んでルーを混ぜるだけと』

『せやで』

『好きなルーとかあんの?』

『今一番好きなのはゴールデンカレーやね。熟カレーやとろけるカレーなんかも好きやな』

『やっぱ違う?』

『違う違う。好みに合わないやつは食べられへん』

『何が合わなかった?』

『こくまろとか、バーモントとか』

『えっ? 子供の頃にバーモント食べなかった?』


 彼女からストレートな疑問が飛んできた。そう、子供の頃の最初に食べるカレーの定番がバーモントカレー。ご多分に漏れず、俺もその洗礼を受けている。だから昔はバーモントカレーばかり食べていた。その頃はあの味が好きだったのは間違いない。

 ただし、人は成長するもの。そして子供は背伸びしたくなるものだ。違う味を知る事でそれまでの味の印象が変わるなんてよくある事。俺はその心理を説明する。


『子供の頃は美味しく食べてたけどさ、今は無理。好みが変わったんやろね』

『へー』

『ゴールデンカレーも昔は無理だったんだわ。気が付いたら好きになってた』

『面白いね』

『人体の神秘やね』

『て言うか、そこまでむっちゃ食べて飽きないのもすごいわ』

『週によってルーも変えとるからね』

『なるほど』


 ここで一旦話に区切りがついた。俺の方も最初の興奮は落ち着き、だいぶ冷静になってくる。とは言え、ここでカレー談義が終わった訳ではなかった。まだまだ語れるところはたくさんある。

 そして、次に追及の手を伸ばしたのは彼女の方だった。


『お供は福神漬け? らっきょう? それとも両方?』

『今はらっきょうが多いかな。花らっきょうが好きやね』

『花らっきょうって外食のカレーのやつでもよく見るやつだ。ちっちゃいらっきょう。逆にカレーでしか見ないかも』

『そんなまさか……ほんまや!』

『福神漬けも美味しいのに』

『別に嫌いやないよ。ただ、今はらっきょうのターンってだけ』


 カレーにはらっきょうか福神漬け。2つ同時に使う人も少なくない。俺は基本的にどちらかを添える感じだ。らっきょうの気分の時はらっきょうで、福神漬けの気分の時は福神漬け。多彩な料理のお供になる事の多い福神漬けに比べ、らっきょう、特に花らっきょうはカレー以外ではほぼ見ない。小さくて美味しいのに不思議っちゃあ不思議だ。他の家ではもっと頻繁に食べられているのかもだけど。

 供え物の話題が終わったら、次に語るテーマも自動的に決定される。


『カレーってさ、具もそれぞれじゃん』

『せやねえ』

『通はじゃがいも入れないとかさ。そう言うこだわりはある?』

『色々入れてはおるよ。じゃがいもやニンジン玉ねぎとか以外ではまいたけ入れたり、高野豆腐入れたり、今の時期ならししとうも入れるで』

『おお、野菜マシマシカレー』

『カレーじゃないとあんま食べへんからなあ』

『分かる』


 カレーの具は、通になるほどシンプルになる傾向があるらしい。俺は家庭のカレーが好きだから、そう言う味気ないカレーはあまり好みではない。基本のじゃがいも、人参、玉ねぎが入ってこそのカレーだと思うし。それ以外に入れる具も単なる好みだ。何を入れても美味しいのがカレーって料理の懐の深いところだよな。

 今俺が作っているカレーは俺の好みが100%反映されているので、野菜マシマシカレーになっている訳だ。


『肉の話が出てこなかったけど、当然牛のブロックよね?』

『いや、豚バラ』

『え?』

『こっちでは、いや、家ではいつもそーなんよ』

『地域差だねえ』


 カレーに何肉を使うか問題、これも関西と関東で違うと言う話を聞いた事がある。俺は関西エリアに相当するから豚肉なのだ。と、言う事はサワは関東エリアに住んでいるんだろうな。

 もうちょっと近くに住んでいるのかと思ってたけど、やっぱネットは世界を縮めてくれる。普通に暮らしていたら交流なんてなかっただろうから嬉しい話だ。


『後、具と言えば、後乗せでコロッケ乗せたりとかするで』

『カツカレーのコロッケ版だ。カツは乗せんの?』

『昔はやってた事もあるで』

『カツカレーも美味いじゃん。あ、今気付いたんだけど外食でカレーは食べないんだ?』

『今はなあ』

『何で?』

『お金がな……』

『ああ……』


 昨今の物価高は外食作業にも大きな影を落としている。だからこそ、出来るだけ控えなければいけない。俺はワンコインを基準にしているので外食でのカレーは縁遠くなってしまった。ただ、それでも別に構わない。家に帰れば美味しいカレーが待っているからだ。市販のルーで作った美味しいカレーが。

 俺は、自作カレーに満足している事をそれとなく訴えた。


『市販のルーでカレーを作ってるからマニアから言わせれば邪道やろけど、好きには違いないんやで』

『毎週10皿食べてりゃあ相当好きな人だって』

『スパイスから作る人もおるからなあ……』

『それはそれ、これはこれ』

『おおきにな』


 俺はサワの優しい言葉に慰められ、自分のカレー生活に自信を持つ。スパイスからカレーを作る人は確かにすごいけれど、誰しもがその境地に至らなくてはいけないと言う事はない。

 俺が感動していると、彼女からカレーお馴染みのアレの話が飛び出した。


『で、カレーにはソース派? 醤油派?』

『ソースやね』

『おお、同志!』

『カレー屋さんとかでも置いているのはソースだし、ソースがデフォよな』

『ねー』


 カレーにソース、それは暗黙の了解と言っていい。入れなくても美味しいけど、入れると更に美味しくなる。となれば、当然入れるってものだ。手が勝手に動いてソースをかけてしまう。これはもう条件反射と言っていい。

 ただ、ここにも派閥があって、カレーに醤油と言う人もいる。醤油もきっと悪くないだろうけど、俺はずっとソースだ。だからこそ、サワも同じ派閥だと知って安心する。彼女とはいいお酒が飲めそうだ。


 そして、カレーには様々な種類がある。今度はそっち方面からの追求が始まった。


『カレーと言えばグリーンカレーとかスープカレーみたいなのは?』

『食べた事ないで』

『食べたいとは思わない?』

『今は興味ないなあ』

『保守派なんだ』

『せやね』


 カレーは進化が止まらない料理のひとつだ。新たな味の追求は留まるところを知らない。最近出てきた新しいカレー、飛びつく人も少なくないのだろう。けど、俺はあまり安易にそう言うのには飛びつかない。新しいルーですら今の状況に満足していたら飛びつかないのだ。

 俺が即答した事で、サワはカレーライスから離れたカレーの話題へとシフトした。


『カレーと言えば、カレーピラフとかは?』

『ちゃんとしたカレー以外のカレー味って苦手なんだわ』

『ええー』

『カレー味のお菓子とかダメ系?』

『うん』

『カレーパンも?』

『パンは好きやで』

『厄介なお人だ』

『別に食べられないとかやないんやけどな。好きにはなれへん言うだけで』

『厄介なお人だ』


 俺はカレー味のもののほとんどは苦手だ。アレンジ料理でカレーパウダーをまぶした様々な物があったりするけど、全てダメ。やっぱりカレーは基本的にカレーライスじゃないと。ただ、ルーを普通に使ったものはまだ食べられるんだよな。

 そのひとつがカレーパンで、他には――。


『あ、カレーうどんも好きやなあ』

『気を付けないと汚しちゃうやーつ』

『まぁだから最近は全然食べてへんけど』

『それって好きって言える?』

『い、言えるから』

『じゃあ私もカレー好きだよね。たまに食べてるもん』

『ぐぬぬ……』


 と言う訳で、結局俺はサワのカレー好きを認める流れになってしまう。ただ、割と濃厚なカレー談義が出来たから、ここまで話が合えばカレー好きって事でいいだろう。

 と言う訳で、素直に負けを認めた俺はその後もカレーに関する熱い想いを夢中になって吐き出し続けていったのだった。

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