第10話 映画館はいいゾ
雨の降らない夜。梅雨時と言ってもそう言う日もある。雨は降らなくても空は曇っていて、星はひとつも見えなかった。窓から身を乗り出して風を感じる。すると、涼しい風が頬を撫でていった。
俺はまだ夏のパジャマは着ていない。まだそこまで暑くはないからだ。風でクールダウンした俺は布団の上に寝転んだ。そうして近くに置いていたスマホを拾い上げる。
「さて、と……」
寝る前のルーティーンでネット情報の確認をする。この気軽に繋がるネット端末を手に入れてから、俺はテレビをほぼ見なくなった。録画したアニメを見るくらいだ。適当にSNSをチェックしていると、早速サワがコンタクトを取ってきた。
さて、今夜はどんな話題で盛り上がろうか――。
『ねぇ、暇な時何してる?』
『趣味に没頭しとるから、特に暇な事はないなあ』
『私は映画見てるよ。タケルは見ないの?』
『映画は観てるで』
『映画っていいよね』
『やな~』
どうやら今回のトークテーマは映画のようだ。俺はそこまで映画好きではないけど、興味のある作品が上映されたら観るようにはしている。映画のあの特別感が好きなのだ。田舎なので映画館も結構空いているし。上映中1人だけと言う貸切状態も割りとと経験している。あれはいい。田舎の劇場でしか味わえない贅沢だろう。
今日は話が盛り上がりそうだなと、俺は1人ワクワクしていた。
『映画、どう言うの観とる?』
『話題になったやつかな』
『まあそうなるわな』
『タケルはどう言うの見てるの?』
『面白そうなやつ』
『ま、そりゃそうよね』
鑑賞する作品の好みの話題はあんまり盛り上がる気配がなかった。俺達はどちらもあまりこだわりと言うのがないのかも知れない。アニメ、邦画、洋画、ネイチャーモノ、どんな作品でも面白そうだと思ったら観ている。とは言え、その『面白そうなもの』の基準は偏っている気がするけど。
それに、田舎の劇場は致命的な欠陥があるのだ。
『でも映画って観たいのを上映してくれるとは限らんやん』
『ちょま、それ映画館の話?』
『せやで』
『タケル映画館行くの? 高いでしょ』
『安い日に行ってる。半額くらいになるで』
『へぇ~』
そんな気がしていたけど、サワは家で映画を見ているようだ。最近はネット経由でも見られるから、レンタルビデオの頃より更にハードルが低くなっている。それに、時期によってはタダで見られる事もある。この間も劇場用アニメが期間限定で無料で見られていた。いい時代になったものだ。
それでも俺は劇場派。それは地元にシネコンがあるからに他ならない。
『地元、ユナイテッドとイオンシネマがあるんや。環境はええ方やと思うな』
『確か割と田舎だったよね』
『人口10万人規模やね』
『それでシネコンふたつってすごい』
『やろ。でも人気作は2館とも同じ映画やってて、ちょっと勿体ない』
『それは仕方ないよー。で、イオンとユナイテッドって違うもんなの?』
『基本ユナイテッドの方がアニメ映画多くやってくれるんや。こないだのグリッドマンはイオンの方だけやったけど』
『アニメ多いのはいいね』
『まぁたまに遅れて上映だったりするけど』
『それ、田舎あるあるだ~』
遅れて上映ですぐに返事が返って来たと言う事は、彼女も田舎に住んでいるのだろう。こう言う話で上手く噛み合うのは嬉しい。事情を知っていると言う事は、サワもたまには劇場で映画を観ているって事なんだろうな。
俺がそう推理していると、その考えが正しかった事が分かる質問が飛んできた。
『パンフとか買う?』
『昔はよう買うてたよ』
『オタクなら買わな!』
『今でも特に好きなやつは買うわな』
『高いよね、パンフ』
パンフの値段を知っているから、確実に彼女も劇場に足を運ぶ事がある事が分かる。パンフについては俺も思うところがあったので、この話を広げてみた。
『最近は1000円超えも多なってビックリやわ』
『そんな高いの? じゃああんま買えんよね』
『昔は600円のパンフとかもあったのに……』
『600円……内容スカスカそう』
安いパンフってのは子供向け映画に多いスタイルだ。そして映画のシーンのスクショがむちゃくちゃ多い。文章量はほんの少し。やはり対象年齢に合わせているのだろう。子供ならそう言うパンフも嬉しいのかも知れない。
俺はパンフを買い漁っていた当時の事を思い出す。
『今そうなのか分からんけど、子供向け映画のパンフはマジで内容スカスカやったよ』
『ぼったくりじゃん』
『まぁホテルの自販機ジュースみたいなもんって割り切っとったけど』
『買うなら文字びっしりのパンフがいいよね。制作秘話とかが載ってるやつ』
『ジブリ映画のパンフは満足度高かったわ』
『流石はジブリじゃん?』
そう、ジブリの映画パンフはその値段にも納得と言えるほど内容がしっかりしていた。全ての映画パンフはジブリ映画パンフを参考にして欲しいと思えるほどだ。
この話題になったので、しばらく俺はジブリ映画パンフの素晴らしさを文字数多めで熱弁する。
ひとしきり語り終わるまで、彼女は相槌しか打たなかった。
『ジブリと言えば、夏の新作は観るの?』
『観ようとは思っとるで』
『タケルってジブリファン?』
『どうやろ? 昔は苦手だったんよな。何か王道の教科書通りの作品ばかりかなとか思っとって』
『じゃあ、いつから観るように?』
『もののけ姫からやね』
『へぇ~。好きなジブリ映画は?』
『やっぱ千と千尋かなぁ。日本映画歴代2位の実力は伊達やないで』
ジブリ映画は何度もテレビ放映している。だから初めて作品を見るのがテレビからと言う体験をする人も多い事だろう。金ローナウシカ何回目よと言うのはネットスミーム的なものにすらなっている。何度見ても面白いのだから、やっぱりジブリはすごい。ネットミームと言えばやはり「バルス!」だろう。ツイッターのサーバーを落とすとかどんだけだよ。
俺が一番好きなジブリ映画を挙げたところで、サワから豆知識的なものを披露された。
『あの映画って確か2001年の公開だよ』
『そんな昔になるんや……時代を感じさせへんね』
『流石はジブリ』
『千と千尋と言えば、半年以上劇場公開されてたんやって。当時は珍しかったみたいやね』
『リピーターも多かったんだろうね。今じゃ何回も見るの普通だけど、そう言う流れを作ったのは千と千尋だったりして』
ジブリ映画が複数回観るのに耐え得る品質なのは説明の必要すらないだろう。そして、最近のアニメ映画は熱心なファンが何度も劇場に足を運ぶ事もよく知られている。そう言う熱心なファンがいるからこそ、日本の映画でアニメばかりが興行成績上位になっているのだ。
そのパターンを作ったのが千と千尋だったのかも知れないと言う彼女の考察は、的を射ている気がした。
『今のアニメ映画の興行収入を支えてるのはリピーターのみなさんやろなあ。ワシもエヴァとか鬼滅とか何度も観たで』
『特典商法かな?』
『筋金入りの人は特典なくても観てる思うわ』
最近のアニメ映画で良くやるのが入場者特典だ。最初に大きな話題になったのがワンピース0巻だろうか。特に深夜アニメが劇場版を作ると、えげつない数の特典を作ったりもしていた。アイドル商法とかも参考にしたりしているのだろう。商魂たくましいな。
ただ、俺は特典があるから何度も観るって人ばかりではないような気がしていた。何度も観る人が増えるきっかけがあったのだと思う。今度はそれを考察してみた。
『ネット時代になって、好きな作品は何度も観るって文化が生まれたんやろか』
『あるかもねえ』
『ネット時代の変化と言えばやけど、昔はエンドロールが始まったら出ていく人が多かったんよ』
『ほうほう』
『今は出ていく人の方が稀やね。これ、ネットで映画見る人が増えたからやと思う』
『昔と今で違いがあるとしたらそれくらいだもんね』
今は洋画人気が低いと言うネット記事を目にした事がある。その理由を飽きてきたからと断言するのは簡単だけど、それだけアメリカなどのドラマをネットを通じて見る人が多くなったと言う事なのかも知れない。昔は洋画自体が珍しかったから映画を観ていた。今は面白そうな洋画を選んで観るようになった。それで洋画人気が下がったんじゃないかな。
サブスクの影響はそこにも現れていると俺は感じている。
映画を観る層が変わった結果、アニメ映画ばかりが人気になってる。この構図はアイドルソングばかりが売れている日本のヒットチャートの現状のようだ。
入場者特典や複数枚購入特典のような付加価値がないと売れないと言うのは少し淋しいけど、それでも俺は映画館で観るのが好きだ。
『やっぱ映画は劇場で観なくちゃやなあ』
『え? 家では全然見ないの?』
『見ないねえ』
『でもほら、邦画とかほのぼの系の作風ってわざわざスクリーンで見なくても』
『でも観たいなと思ったら劇場で観ちゃうんよなあ』
『劇場が好きなんだ』
『ああ、大好きだぜー』
調子に乗った俺は劇場の良さを早口オタクのように長文で説明してしまう。劇場と言う非現実感、音環境の素晴らしさ、周りと遮断される心地良さ……。多分文字の洪水に彼女は引いたんじゃないかな。やりすぎたと思った時にはもう後の祭りで、俺はサワからの返信をツバを飲み込みながら待つ事にした。
『じゃあさ、好きな映画って何?』
『オネアミスの翼やね』
これは一瞬で答えが出る。実写で好きな映画もあるけど、あまり有名ではないので触れない事にした。話し相手が映画通ならその話をしてもいいと思うけど、普通の人に向かって知らない映画の話をしても困るだけだろうし。
そもそも、オネアミスの翼だって普通の人には馴染みの薄い作品だ。ただ、この映画にはエヴァの庵野監督も関わっているから、多少は興味を引けるんじゃないかと思う。
俺がどんな映画って聞かれた時のシミュレーションを念入りにしていると、少し斜め上の反応が返ってきた。
『映画館で見たの?』
『や、流石に観てへんのよ。そもそも1987年の映画やし。あの映画は名作やから何度かリバイバル上映していたみたいなんやけど、田舎の劇場では上映してくれへんかったから……残念』
『どんまい』
この流れで映画の内容を語るのはちょっと難しい。そこで俺は空気を読んで、自分からも同じ質問を返す事にした。
『そっちはどないよ、好きな映画』
『う~ん……。色々見てるけどあんまり印象に残ってるのは……友だちの話に合わせるのが多くて。さっき出てきた千と千尋とかは好きだよ。後、君の名は。とかも良かったよね』
やはり普通の人は話題を合わせるために映画を観ると言う事が多いみたいだ。コミュニケーションツールとしての映画ってちょっと淋しいな。ただ、そんな中でもしっかり面白いものが印象に残っているのはちょっと嬉しい。
そこで、俺は何故印象に残らない映画が多いのかの持論を展開する。
『割と話題作って後に残らない内容のものも多いやんな。特に洋画のファミリー向けのやつとか。その理由を考えた事もあったなあ』
『答えは出た?』
『映画ってテンプレがあるらしいんだけど、特に洋画のファミリーモノってその作法に忠実に作りすぎとるんやないかな。だから見ている時は興奮するんやけど、予定調和すぎて展開に新鮮味がないんよね』
『そうそう、観ていて先が予想出来ちゃうよね。一旦負けてー、仲間が助けてくれてー、むちゃくちゃピンチになってー、はい逆転ハッピーエンドー的な』
『映画が展開予想の答え合わせで終わると何を観に来たんだって思うやんな。だからせめて映画は興味を持ったものを観るのがええよ』
ハリウッドの映画脚本の教科書は創作のお手本とも呼ばれているらしい。どの映画もそれに忠実に作っているなら全て面白いはずだ。けれども、観る映画が全て面白いって事はない。テンプレで王道ならいいって訳でもないのだ。同じパターンの映画は飽きてしまう。
やはり創作物の面白さと言うのは、予想を裏切ってナンボなのだ。
俺がアドバイスをすると、彼女から少しテンション低めの返事が返ってきた。
『アドバイスあざっす。でもサブスクなんで別に』
『でも観る時間分損するやろ?』
『ああ、それはねー』
『タイパは大事やん?』
『タイパって言うと倍速で見ていそう』
『劇場に倍速再生はないから。てか、倍速で見とんの?』
『流石に映画やドラマで倍速はしないよー』
『良かった』
長い動画を短く見るのがタイパなら、いい作品を厳選して見るのもまたタイパだろう。時間は有効に使いたいものだ。まぁ、俺が全く時間を無駄遣いしていないかと言えば、無駄遣いしかしていない気もするのだけれど。
話が倍速の方にシフトしたので、今度はその流れで進んでいく。
『タケルは倍速で見たりするとかはないの? 動画とか』
『ゆっくり喋るやつはみんな2倍速やで』
『分かる。中には2倍速でやっとちょうどいい動画もあるからね~』
『アレ何なんやろな~』
そんな感じで、話が映画から離れた後も雑談は続いていく。熱弁しすぎたので、時間は余計に経っていたようだ。窓の外から届くカエルの鳴き声を聞きながら、またしても俺は寝落ちしてしまったのだった。
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