第9話 梅雨時の雨
今夜も雨だ。昼間はくもっていたものの、夜更けに雨が降ってきた。天気予報通りの気候の変化に俺は窓の外を眺める。23時に迫ろうかと言うこの時間帯は、周りの景色はほとんど闇に覆われている。家の灯りと雨音と少し冷たい気配。窓を開けて外の風に触れると、体の中に雨の成分が染み渡るような気がした。
十分外の雰囲気を堪能したところで、俺は窓を閉めて布団の上に寝転がる。そうしたら、いいタイミングでサワからメッセージが届いた。今夜の雑談の始まりだ。
最初の他愛もない定型文のやり取りの後、俺は少し強くなった雨音に気を取られる。
『おお、本格的に降ってきたわ』
『雨苦手なの?』
『いや、割と好きやで?』
『えぇ? ジメジメするじゃん』
『そこはまぁ、やねこいけど』
『じゃろ?』
どうやら、俺と違って彼女は雨が苦手らしい。まぁ雨が苦手な人は割といるみたいだし、おかしくもない話だ。俺はそんなでもないので、雨のいいところを挙げて反応を探ってみた。
『でも雨音は好きやな。落ち着くし』
『ああ、音はね』
『やろ?』
『でもさ、雨の日って気分悪くならない?』
『ああ、低気圧が影響するってやつ? ワシは大丈夫やなあ』
『ええ~羨ましい~。これは同じ体質の人じゃないと分かんないか』
『なんかごめんな』
雨が苦手な人はジメジメが苦手な人が多いと思ってたけど、低気圧で調子の悪くなる人も多いようだ。俺はそんなでもないので共感出来ない。話が合わなくて申し訳ない気持ちになってくる。
仕方がないので、今度は雨の日ならではのエピソードを披露した。
『雨の日は音楽を聴きたくなるよな』
『そう?』
『昔は雨の日にアルバムをよく聴いてたわ』
『それって晴れた日は聴かなかったって事?』
『子供の頃の話な』
『へぇ』
『今は雨の日関係なく音楽流してっけど』
『音楽が身近になったよね』
と、この流れでしばらくBGMの話になる。俺は流行りに関係なくユーチューブでアニメやらゲームの曲を流すと話せば、サワからは好きなアーティストの話を聞かされた。正直知らないアーティストの話には相槌を打つ事しか出来ない。
音楽ネタも噛み合わなくなってきたので、俺はこの時期らしい話題で軌道修正を試みた。
『雨と言えばカエルの合唱やなあ』
『梅雨時とかはね~』
『そう言えば、蛙の声が騒音だってクレームの話があったやんな』
『アレって、その土地に来て浅い人だったのかな?』
『どうなんやろ? でも無粋な話やで』
『除夜の鐘がやかましいとか幼稚園がやかましいとかそう言う人かな~』
『そう言う人はセミでもやかましい言いそうや』
『言うね~。セミはマジで大音量だし』
どうやら軌道修正は成功したようだ。俺はほっと胸をなで下ろす。それにしても、自然音を不快に感じる人って昔からいたのだろうか。環境音に心安らぐ人は多いと思うけど、そうでない人もいるのだと言う事を最近のニュースなどで実感している。彼女がそっち側の人でなくて本当に良かった。
『ワシ、カエルの合唱結構好きなんよ』
『風情があるよね』
『あ、雨の音関係で嫌って声はあんまり聞かへんかも』
『あんまりってか、全然聞かないよ。雨はあのジメジメが嫌なだけだから』
『外出する時はワシも憂鬱になるわ。室内にいる時限定やね。雨が好きって言うのは』
雨のいいところ作戦を実行していたはずなのに、気が付くと雨の嫌なところに流れがシフトしていた。とは言え、雨の外出はかなり気が重くなるのは事実なので、この流れに乗っかっていく事にする。
すると、彼女側から雨が嫌になるよくあるパターンの質問が飛んできた。
『移動は車? バイク? 自転車? 徒歩?』
『バイク』
『ああ、雨でバイクは面倒くさいよね』
『せやで』
『合羽移動でしょ。駐輪場で着たり脱いだり』
『靴も脱ぎやすくて履きやすいのやないとあかん』
『じゃあ紐靴は履けんね』
『履きたくはないな~』
『私、雨の日の移動が全部嫌。濡れるし、水たまりもあったりするし』
元々雨の嫌いなサワだけに、嫌いエピソードではすごく反応が早い。よっぽど思い入れがあるのだろう。確かに雨の日の外出は気が進まないのはよく分かる。
けれど、雨の移動でも楽しくなる事はあるのだ。今度はその話を振ってみた。
『あでも、雨の中を傘さして歩くのは結構好きやで』
『え~』
『そりゃ大雨や雨風やったら歩きたないよ。でも小雨の中を傘して外を歩くの、結構好きなんや』
傘をさすとその下では雨に濡れない。当然の話なんだけど、俺はその特別感がたまらなく好きだ。傘が雨を弾く音もたまらない。雨が降ってるのに普通に歩ける特別感が気持ちいいんだよな。
しかし、彼女にはこの気持ちが伝わらなかったようだ。
『雨の日はずっと家にいたいよ』
『雨の景色も風情があるんやけどな』
『家の窓から眺める雨の景色は嫌いじゃないよ』
『カタツムリとか紫陽花とか』
俺がこの時期の雨の景色ネタで返事を返すと、サワから最近の事情について質問が飛んできた。
『そう言えばさ、カタツムリって見かけなくなってない?』
『そっちも? こっちも全然見いひん。ナメクジは割とよく見るんやけど』
『不思議だよね。殻のある方が強そうなのに』
最近、カタツムリをあまり見なくなった。見なくなったと言えばアメンボも数が減った気がする。多くの生き物が数を減らしているので、減っている方が普通なのだろう。それなのに当たり前に目に飛び込んでくるナメクジって一体……。
この話題も少し盛り上がったものの、寂しくなるだけなのでしれっと話を変える。
『夜の雨ってどや?』
『怖い』
『それは外を移動中の話やろ?』
『うん』
『夜の雨の雰囲気ってええやん?』
『都会と田舎でも違うかな。都会の夜の雨はなんかいいかも』
『なんかドラマを感じるやんな』
『田舎だとさっきのカエルの鳴き声のイメージに』
『一気に牧歌的になるやん』
都会の夜景はそのままでもドラマを感じるのに、雨が降ると更に色々な感情が湧き上がってくるのは何故なんだろう。悲しさとか、虚しさとか、挫折とか、大人の悲しい思い出をどうしても想起してしまう。失恋とか、報われない恋とか――。
それに比べたら、田舎の夜のイメージは平和だ。何事も起こりそうにない。本当に都会と正反対。田舎の雨の夜は子供達が安らかに寝息を立てているイメージしかわかない。きっとそれでいいのだろう。
ここで、俺は今降っている雨が割と全国的なものだった事を唐突に思い出した。
『そっち雨大丈夫なん?』
『こっち? 降ってないよ』
『場所によって大雨って話だからそうならないとええな』
『昔は梅雨に大雨のイメージなかったのにね』
『いつの間にか大雨のイメージになって、どこかしらで被害が発生しよるよな』
『温暖化の呪いじゃあ』
『犬神様の祟りじゃあ~』
俺がちょっと調子に乗ると、すぐになんでやねんとツッコミが入る。面白かったのでその後も軽くふざけ合いが続いた。そうやって雑談を続けていると、夜もすっかり更けていく。
そろそろお開きにしようかと言う雰囲気になって、俺はちょっとそう言う匂わせをした。
『雨音は落ち着くから今夜は安眠出来そうや』
『カエルも鳴いてるし?』
『せやせや、カエルの鳴き声は安眠装置なんや。騒音だなんてとんでもない話や』
『じゃあお休み~』
『またやで~』
返事を送信し終わった俺は、スマホを少し離れた場所に置く。静かな夜に雨音と蛙の音がゆっくりと染み渡って、俺はまぶたを閉じた途端にスーッと眠りに落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます