第2話 幸せの偶像

 イラストの講師を10年あまりしているのだが、男子に人気の題材はやはり一貫して美少女だ。顔立ちは幼く、そして胸は大体、いや殆どがスイカのように大きくて真ん丸。たどたどしい筆致のフリルやリボンをあしらった、ちょっと(かなり?)エッチな衣装。セーラー服のひだスカートなどは台形を描いて、扇状の線を無造作に引いたものだったり。きっとしっかり観察したり、触って確かめたりもしたことが無いのだろうなぁ、なんて微笑ましくなってくる。


 温かく見守っていたい絵心たちだが、就職活動となるとこれが結構厳しい。言ってしまえば絵柄もセンスも紋切型で、「どこにでもいるような若者」という印象で終わってしまいがちなのだ。ポートフォリオを企業の選考担当者が見たら、翌日にはもう忘れてしまうかもしれない。そんな子たちが沢山いるのだ。美少女だけが好きでも、圧倒的に上手い子ならば受かるかもしれないが、殆どが没個性の美少女好きな子だ。

 

 私はこの対策として、美少女以外の得意技を持つ、独特の世界観を構築する、デザイン性を高める等といった提案をしている。

 これは講師としての立場で呈する改善点である。


 しかし私が一人の人間として、自分好みの美少女ばかりを書く男子に言いたい本音がある。

 「君が描く女の子は、君だけの存在なの?誰かの娘であり、誰かの孫であり、誰かの姉妹だったりしないの?」

 つまり、描く人物を「一人の人間として扱っているか」ということ。単に自分の好みを詰め込んだ存在、あるいは自分だけを盲目的に愛してくれそうな存在でなく。誰かから生まれ、誰かに育てられ、自由に相手を選び恋愛をする、一人の女性として描いてるのかい?と。

 「対象を違う視点で見る」ことは、きっと表現性を深める為にも有効な方法だと私は考えている。

 だが私は、それを若者たちに指摘する事が出来ない。なぜならそれは、表現性は深まるかもしれないが、非情なまでに醒めた目を獲得することでもあるからだ。

 すべてのプロ作家がそうだとは言い切れないが、プロ活動には創作物に対する冷徹な目が必要だ。主観、客観、様々な視点で作品を見て、仮借なく分析できる目が。ただ「好きなものを好きなように描く」という純粋な気持ちだけではほぼやっていけない。


 愛しさを込めて描かれる、実体のない儚い美少女。それは描き手が幸せな夢に浸れるための、大切な偶像(アイドル)なのだろう。たとえ成長の為とはいえ、私はそんな彼らに目を醒ませとばかりに冷や水を浴びせるようなまねは、どうしても出来ない。

 いつかは醒める日が来るのだろうか。いや醒めなくても良いとも思う。創作は幸せになる為にあるんだから。


「TENGU48 筑後坊」 魔法少女 ザ・デュエル/株式会社TCG

http://agdes.net/shigoto/mtd10.html

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