―星の歴史―

白黒チェック柄の床。白の部分はうす暗く光っていて黒い部分からは銀河が覗いていた。顔を上げると、目の前には黒いコースターの上にビールが注がれたタンブラーがあった。白い円のテーブルには布ナプキンが一枚と紙ナプキンが九枚置かれていた。向かい合わせで金属製のグラスを傾けて座るドミナがいた。耳には装飾が施されたブルーの宝石のピアス。ネックレスはトップに小ぶりなピンクの石が光る細いチェーンのもの。服は方肩出しの白が基調でところどころピンクや青が散りばめられて宝石で彩られたドレスをお洒落に着こなしていた。

グラスをあおる彼女の指には鷲をモチーフにした大きい銀と金の指輪が光っていた。二人を取り囲む360°スクリーンパネル。なるほど、脳のスクリーンパネルと同期しているのか。心地よい発光だ。天井は青天井。ではなく、そのまま星。煌めく星たちの明かりで部屋は照らされていた。―嗚呼―俺はダイヤ型の床を見つめ深い溜息をついた―


「なにを飲んでいるの?」

ドミナにそう訊ねると、俺はビールの注がれたタンブラーをあおる。ん、ホップ、違う、甘みが舌にまとわりついてきた。ああ、これは―シャンディーガフ。

「葡萄酒よ、坊や。その服装は気に入ったかしら。馬子にも衣裳ね、よく似合っているわ。」俺は濃い紫の艶のあるスーツの上下に、スペードのシャドウが入ったワイシャツにノーネクタイ。胸元にはラーの鏡が煌めく。靴はダークブラウンのエナメルを履いていた。これは、誰の趣味なのか。気に入らない。

「ここはガフの間かい?」

「どうかしら、違うと思うけど。どうしてそう思ったのかしら?」

「シャンディーガフ、俺は現実世界にいた頃、死ぬ前は周りのありとあらゆるものが何かを示唆していた。このカクテルがあるのは何かの意図か兆しか―そう思ったから。いまから始まることは無駄なことではないのかい。シャンディーガフのカクテル言葉は“無駄なこと”たたかいなんか無駄ってことなのじゃないのかい。」

「じゃあ、そうなんじゃないかしら―」

ドミナは蠱惑的というのだろうか。艶冶な微笑で俺を惑わしてきた。天国に辿りついて俺はずっと考えていた。なぜ、スフィンクスなのか。なぜ、ピラミッドなのか。何でいつもたたかわなければいけないのか―

「たたかいをはじめるのかい?―なぞなぞかい?」

「どうかしら。慌てなくてもいいじゃない。あなたってあわてんぼうね、慌てる乞食は貰いが少ないっていうでしょう。会話を楽しみましょう。その前にここではっきりさせておきましょう。まず、あなたは現実世界でまだ死んでいないって事。いい、そう、死んでいないの。嬉しい?それともがっかりしたかしら?たたかいに勝てば現実世界に戻してあげるわ。あと、この間はガフの間ではないわ。まあ、時空の狭間かしら。あなたとわたしの間。ふたりだけの間。それでよいじゃない?ダメかしら?」―俺はそれには何も答えず言われたことを咀嚼しながらタンブラーのものを一気に飲み干した。すると新しい飲み物がタンブラーに湧いてきた。香りと色ですぐにそれが何か分かった。―ピーチウーロン。俺が一番好きなカクテルだ。レゲエパンチ、ウーロンピーチ、サンタモニカピーチ、クーニャン、上海ピーチ。呼び方はなんでもよい。俺はグラスのものを一気に飲み干すとまたグラスにピーチウーロンが湧いてきた。俺はまたひと口飲んだ。これはピーチツリーとジャワティ。一番好きなやつだ。

「ひとつ、いいかしら?あなた、本当にご自分の記憶が全て正しいと思っている?実は、全部ウソだとしたら?星の歴史が、実はまだ始まってなくて今日この日が星の歴史の初日、最初の日―そうだとしたら、あなたは信じる?何もかもが虚偽で全部ウソ。駄法螺。まわりのものも見える世界もあなたの記憶も全部が真っ赤なウソ。何もかもがウソ。全てが作られたもの。すべてがウソだとしたら。信じない?」


「………」―déjà vu―乞食にも聞かされた。俺もだれかに言ったことがある―

「―いいわ、すすめましょう。あなたにとってたたかいとは何なの?」

「……愛のある対話―それ以外にあるのかい?」死んでいないのか―

「愛のある対話とは?」

「そのままだよ。知りたいのなら俺の心を読んでくれ」俺はぶっきらぼうにそう答えた。

死んで楽になったつもりが、まだ死んでいない。俺は、ショックを受けて不機嫌だった。

「あなたの言葉で聞きたいのよ。如何にして勝つのか必勝法ではなくて愛のある対話だなんて言うんだもの。教えて頂戴、だめかしら?」

まあ、言おうか―

「勝ちを焦る気持ちや心構えが、悪手や疑問手を誘ってしまい、勝負そのものを台無しにする。これは対人関係やあらゆるものに共通する不変のものだと思うけどね。まずたたかいっていうのが自分自身との“闘い”結局どこまで行っても詰まるところ、これしかない。そして、“たたかいとは愛のある対話”それは勝ち負けにこだわらず、美しいものを一緒に作る共同創作の感覚。武士道がもとだろうか、これは将棋指しの本で読んだ受け売りなんだ。俺は将棋が好きでね、―」

思い出すと、途端に自分に腹が立つ。俺は何も分かっていなかった。

「だけれど、実際の俺は何も分かっていなかった。なにひとつ分かっていなかった。軍服着込んで銃剣携えて、肝心要の実弾を一発も持ってなかった。魔王とのたたかいで、極限状態まで追い詰められて、完全に諦めて、超えたんだ。それを超えて、そこではじめて片鱗をみて悟ったんだよ。相手を憎むのではなく愛したんだ。愛で行う業で勝つ事ができたんだ。」


「なるほど、美しい着想ね。あなたってやっぱり面白いわ。そもそも愛ってなんなのかしら?まあ、それは置いておきましょうか。―いいわ、では対話をしましょう。坊やはなんで深く眠れるようになったの?深い階層に行けるようになったのは、なぜなのかしら?」

俺は、単純だ。すぐ機嫌を良くして喋りだす。

「魔王に勝ったからだよ。あとで分かったのだけど。夢で何度か見たことはあったけど、行けたのは魔王に勝ってからだね。それから俺は快眠を手に入れて短い時間でも何時でも起きたい時間に起きれるようになった。前まではアラームは鳴りっぱなしで母に叩き起こされるのが通例だったのだけど、誰の手も借りず、アラームなしでね。それとね、―」

「いえ、ごめんなさい。そういうことではないの。起きたい時に起きれるってすごく良い話だわ。それはとてもよい事ね。お母様は仕事が一つ減って寂しいかも知れないけどね。話を戻しましょう。I mean, 深い階層に行ける前、幻の世界にはなぜ行けるようになったのかしら?何故、魔王と戦ったのかしら。それは、なぜ起きたの?あなたの錨が上がる引き金は何だったのかしら?」

俺は、単純だ。訊かれたくない事を訊かれて動揺する。

「…、それは、喋りたくないな。まあ、なんかあったんだよ。聞こえているだろう、見えているだろう、読んでくれ、下らない。やめよう、やめてくれ。意味のないことは喋りたくない―」

「あら、とても意味のある事じゃない。いいわ、分かったわ。では生まれた時から覚えている範囲でいいから教えて頂戴。あなたの事を知りたいの。あなたのおうち、家族の事を知りたいの。現実世界に戻りたいんじゃないの?ここにはあなたとわたししかいない。信用して、安心して喋ってちょうだい。喋ることで何か楽になるかも知れないじゃない。あなたが愛のある対話って言ったじゃない?だめかしら。―それとも、もう諦める? ―フーッ」

いつの間にかドミナは煙管をふかし、煙をくゆらせていた。あれ、飲んでいるものも変わっている。諦める選択肢―魅力的だがどうだろうか―

「なにを飲んでいるの?」

「ブルドッグよ、坊や。あなたは?」

「アクダクト」

俺が中々喋らず、まごまごしているとドミナが助け舟を出す。

「坊やはどんな子だったの?」

「……、普通さ、普通―」

「普通って何かしら?運動は得意だった?勉強は得意だった?」

「……、普通は、普通さ―運動は得意じゃない。走るのは遅いし、逆上がりもできなかった。勉強は、全然やらなかった。宿題なんか一度もしたことが無い。」

「宿題をしないのを普通とは言わないでしょう。どんな遊びをしたの?ベーゴマとかメンコ?」

「ベーゴマは俺のオヤジ世代だよ。メンコは牛乳キャップでするのが流行った。俺は、珍しい牛乳キャップをいっぱい持ってた。」

「他には、何が流行ってたの?何が楽しかったのかしら?」

「ビックリマンシールが流行ってた。当時三十円だったんだ。俺は、あのピーナッツチョコのウエハースが好きだった。いまはもうピーナッツは入ってないんだ。他にはキン消しだね。キン肉マン消しゴム。あとは、ファミコン。スーパーマリオやドラクエ―」

甦る子どもの頃の記憶―その情景―

スクリーンパネルにビックリマンシールやキン消し、マリオやドラクエが映る。嗚呼、懐かしい―


完全にドミナのペースに乗せられた。

俺は少しずつ心を開きぽつりぽつり口を開き生い立ちから話し始めた。ドミナの質問に俺が答える。何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が不得手か、何に熱中して何で冷めるか、あらゆる価値観、それら全部をひとつ、またひとつ―

そして俺は吹っ切れたようにスラスラと話し出す。何をもって普通か、普通の定義は曖昧だが、俺の家は、普通ではなかった。


「俺の家は貧乏だった。貧乏子沢山とは正にこれという家。それが我が家だった。だけどでもそこにはいつも笑いがあっておいしいごはんがあった。満足におもちゃもないから何か遊びを思いついてはやり、新聞のチラシの裏によく絵を描いて遊んでいた。学校の給食費は当然、毎月遅れて持たされた。土曜日といえば学校から帰れば家の掃除やら洗濯やらなんやらの雑用を言いつけられ、父親の仕事の手伝いにもよく駆り出された。オヤジがクリスチャンだった関係で家族全員クリスチャンだった。日曜日と言えば決まって教会のミサで、俺は子どもの頃からこれが厭だった。厭で厭でしょうがなかった。教会で会う人も嫌いだった。聖書の譬えで出てくるパリサイ派の人のようで、どうも好きになれなかった。オヤジは負け犬だった。会社倒産や多額の借金、債権者からの矢のような催促。家に帰れば言うことをきかない悪ガキども、なんかあると口答えして罵ってくる妻。中学校もろくに行かず早くから仕事してた人、血の気が多い人だった。すがるものはもっぱら神。藁にも縋る思いだったのだろう。狂信的なカトリック信者でついぞ気が狂れたオヤジ。何を言っても頭ごなしで聞く耳持たずよくぶん殴られた。思い出しただけでもはらわた煮えくり返るが、貰ったものも大きい。いまとなっては父親には感謝してもしきれない。」

スクリーンパネルに幼少の頃の家族団欒が映し出される。


「おかんはさすが東北人。強い人で悲しい事や辛いことをユーモアに変える事ができる人だった。俺と兄たちはそれを受け継いだ。母は無神論者に近いがお天道様がどうこうとか自然を愛でる神道的な感性の人だった。とにかく肝が据わっていた。優しかった母からも幼少時はよくビンタとゲンコツをもらった。ある日、財布から一万円くすねた時は大目玉喰らうどころか何もしてこず何週間も口をきいてもらえなかった。これは覿面こたえた。無視というのは一番辛い。なんであんなことをしたのだろう。俺は後悔して反省して何度も謝るも中々許して貰えなかった。悲しくて淋しくてたまらずこの時にポッカリ空いた心の穴はまだ十分に塞ぎきれていない。兄弟たちは優しくて弟思いでよく可愛がってくれた。恐れと尊敬の対象であり憎い存在でよくしばかれて、よく歯向かっては喧嘩にならず傷の一つや二つは日常茶飯事で何度か殺されかけた。それでも仲良しだった。楽しかった。実際に病院送りにされてみると、死よりも生の実感を、感じる事ができてそれなりに俺には良かった。」

スクリーンパネルに少年時代の情景が映し出される。


「俺は、社会に出て失敗や挫折を味わい、早々と気付いた。世の中には二種類の人間しかいないのと、世の中には三つのことしかない。二種類の人間とはペテン師と盗っ人、三つのこととはメシとカネとセックス。世の中、突き詰めれば一つ、犬しかいない。アホ面した犬。あたり一面、犬と犬と犬と犬。手拍子でもなんでも反応して尻尾をふってよだれを垂らす犬と犬と犬と犬。見るのが厭になって振り返っても犬と犬と犬と犬。そんな俺も犬。オヤジを負け犬だとバカにしたが、俺も負け犬。何も変わらない。救いなんてどこにある?一寸先は闇って云うが、違う、今いるところが闇。世の中が暗闇で悪党だらけなんだ。俺もそれに倣った。俺は善人面した悪党、そうやって生きて糊口を凌いできた。一握りの本当の善人と思しき人たちは軽んじられ虐げられ報われない生活に甘んじている。惨めだ。俺はなんやかんや善人だと思っていたが違った。見当違いも甚だしいとは、この事。ある日、俺は天の声を聞いた。考える間もなく俺は悔い改めた。そうしかできなかった。見える景色が変わった。少しずつ思い出してきた。だけど、それももう、疲れてきたんだ。もう何も聞きたくない。もう何も見たくない。俺は、やっぱり愚図の鈍間でいい。エサと水さえくれれば忠実にお腹までも見せる犬でいい。俺は負け犬。蚊虻とは俺のことだ。」

スクリーンパネルに映し出される若い頃―

他には、してきた仕事、友人、ex-girlfriendなどいろいろ話した。俺は、底辺で生きてきた。自分の人生なんて繕わず話せば惨めな気分で泣きそうになりそうだったが淡々と話した。


「話してくれてありがとう。よく頑張ったわね。わたしはあなたを誇りに思うわ。結びは気に入らないけど、これから一緒に解きほぐしていきましょう。捩れた心、その捩れの曲線がよいものを生むバネになるわ。よき心を育み、形あるよき姿に変えていきましょう。」


―見上げるとドミナは目に涙をためていて今にもこぼれ落ちそうだった。女の涙にはいつも興醒めしてしまう。だが、俺はそう感じなかった。ドミナはこちらまでゆっくり歩いてきて座っている俺を後ろから手をまわして抱きしめてくれた。やめてほしい、ダメだ、勘弁してほしい。俺は泣いた。―抱きしめるドミナのせいで髪が濡れて湿ってきた。俺は抱きしめる彼女の手に堪らず口づけした。―


『犬だっていいじゃない、狛犬ってよい犬でしょう。羊の群れを狼から守る番犬もよい犬でしょう。ライカだって、タロとジロ、リキや比布のクマだって、名犬ラッシーだって、ジョリーだって、パトラッシュだって、桃太郎さんのお供の犬だって、マーリーだって、みんな、みんなよい犬でしょう。ほら、悪い“いぬ”は居ぬ。悪い犬はここから去ぬ。ここ掘れわんわん。ほうら、坊や、いないいないばあっ!』


  "Pretty Please with Sugar on Top..."

「ねえねえ、もっと教えてほしいの。ねえ、お願い。言葉選びなんかいらないから。思ったことを尻込みせず、どんな汚い言葉でもいいからわたしに話して頂戴よ。あと坊や、卑下もほどほどにね。“負けるが勝ちも度を越えればただただ見苦しい”忘れずによく覚えておきなさい。蚊虻が牛羊を走らすことだってあるの。“Stay Gold”あなたはいまのままで十分美しい。素晴らしいわ、その感受性を大切にしましょう。あなたは品もあるし。品は品でも下品だけどね。度が過ぎて上品かしら。自分を愛することからはじめましょう。」

ドミナは、新しいカクテルをあおっていた。俺はそれがなにか、すぐ分かった。

 ―カシスソーダ―

俺も、新しいカクテルに口をつけた。うん、うまい。

「あら、そのカクテルはオンディーヌね、まず、あなたが何度か言っていた、マルチタスクの弊害ってどういったことなの?聞かせてよ、もっと詳しく聞きたいな。教えてくださらないかしら?」


俺は、すっかり乗せられた。長広舌をふるうとはこれか、と得意になって独演会をはじめた。スクリーンパネルの発光が発狂かと見紛うが如く俺の狂気が炸裂する。

「ああ、それかい。社会病理のひとつだね。どの仕事しても思ったことなのだけど、まず一人のやる仕事の量が多すぎる。あれやこれや、やらせすぎ。由無くやらせている、由無くやっている。マルチタスクっていうのは、元々コンピューターの仕事さ。これを人がやるとハンバーガー食いながら鮨食っているようなものだね。それも便所でクソ垂れながらケータイ強く握りしめて。マルチタスクも個人のキャパシティ拡張、拡大でスーパーマンを作るのには良いかもしれない。ただ多いじゃない、本来しなくてよい無駄なことに貴重な時間をいたずらに浪費、あるいは空費している。もしクリエイティブな仕事ならもうそれはもうどう逆立ちしてもクリエイティブな仕事にならない。ただの作業だよ。粘土遊びかも知れない。win-winなんてものもどこにもありはしない。幻想だよ。酷いところは編み図も編み方も教えなくていきなり手芸をさせる。編み物なんて知らないし、できるわけがない。いたずらにかぎ針をこねくり回して落ちた毛クズがその日の出来高だよ。いつまでたってもセーターもマフラーも出来上がらない。こんなバカげた事を何の疑いもなくやっている。

bullshit,大事な事を忘れてしまった忙しいとゆう鎧兜をまとった兵は今日も忙しいフリに勤しむ。まあ、実際忙しいのだろう。カフェでノートパソコンを広げてカチャカチャカチャカチャ雑音を周囲にまき散らす。珈琲の香りも味もメロディも何もかも台無しだ。親の顔が見てみたい。愚息とはこれか。まあ、良い。昨日覚えたばかりのビジネス用語か何かで理論武装して得意顔で話している物乞いを見るとあまりに口がクソ臭くて吐き気を催す。上役や得意先のチンポばっかりシャブってないでもう一度、国語からやり直してこい。哀れすぎてかける言葉も見当たらない。歯車の音色が嬌声かなにかで汚すぎて辟易してしまう。戦慄とはこのこと。恐ろしいのは頓珍漢なことしても、それでもまずまずの成果が出るってこと。素っ頓狂とはこのこと。こうなると目も当てられない。それで売り上げなんかが右肩上がりだと経営陣もマネージャーもその他大勢の迷える子羊も間違ってないと思い込む。病気だ。

沈黙は金なり、雄弁は銀なり。人間が神に三次元を説くようなものだ。このくらいにしておこう。」

そう話を切るとグラスのカクテルをクイッとひと口飲んで喉を潤わせた。琥珀色の宝石―仁の芳醇な香りとアーモンド香、甘さの中のほろ苦さ、濃厚な味わい。Perfect, うん、うまい―

ドミナはワイングラスの洒落たカクテルをあおっていた。―何だい、それは?

「ブランデー・クラスタよ。すごい毒ね。すっきりしたかしら?最高、面白い。―その迷える子羊たちはどうしたら良いのかしら?」


「いや、俺も迷える子羊だよ。実際のところは何も知らない、何も分からない。解決策なんて知らない。魔法のレシピなんてものはないよ。あるのなら俺が教えて欲しい。これだけ散々ネチネチ喋ったけれどマルチタスクなんてどうでもいいよ。俺のただの愚痴だ。本当の問題は、そこでは無い。世の中、全部ウソなんだよ―」

「ほうら、わたしが言ったじゃないの?全部ウソって。あら、本当の問題とは、何かしら?詳しく教えてくださらない?」


「ウソっていうのは、星の歴史が今日始まったとかそこまでのぶっ飛んだ話じゃない。本当の問題とは、世の中はすべて仕組まれている。“絆創膏を売るために傷を作る”ある結論を作り上げる為にそれらしい設定を作る。たとえば環境問題。南極の氷は溶けている量よりも増えている量の方が多い。二酸化炭素が増えたから地球が温暖化してるなんてもっともらしい設定があるだけ。温暖化したから二酸化炭素が増えたのか、二酸化炭素が増えたから温暖化したのかそれを証明した学説なんてありゃあしない。使われる資料や統計はチェリーピックされたもので温室効果ガスなんていう設定のウソがあるだけだ。大体この百年で0.7度の気温上昇が大層に地球温暖化なんて言われている。そしてそのバカげた学説に則って今度は炭素税なんてものをやろうとしている。ヘンリー・ゴンドーフもびっくりの世界を劇場にしたビッグコンなんだ。そんな人をバカにした設定をどこの国でも推し進めてる。特に日本はヒドイ。割りばし一本取ってみても間伐材が原料でこの仕組み事態が元来、環境にやさしい持続可能な取り組みだったのに、エコ箸なんか訳わからない似非エコロジーをやる。家庭ならまだしも毎日飲食店で余計に使われる洗剤の方が水質汚染の影響がはるか大きい。こんなものは少し調べたり考えたら誰でも分かる。なのにだ、不思議なことに民衆は見たこと、聞いたことを碌に考えもせずに素直に受け入れてしまう。いや、そんな事より頭の中は今日の晩飯とセックスとお小遣い稼ぎしかない。ポテトチップスを食べながらアニメやアホな動画を見る。とどめにアイスクリームを食べることも忘れない。まともに思考している奴なんていない。まともな思考方法を分かっていない。思考停止に陥っている事さえ気づいていない。うすうす気づいても見ないふりをする。サック漏れの本物のバカはバカにされている事すら気付かない。そんなバカに3S政策の話をしても「へえ、そうなの」で終わりさ。結局南極、バカは聞く耳持たず鼻くそをほじって食べる、それがそいつの主食だ。すべてウソさ。家計のやりくりの為に旦那の小遣いが減っても嫁のランチ代は減らない。今日の晩飯がやけに豪華なのは、昼間に嫁がしっぽりよろしくマッチングアプリで小遣い稼いだからさ。政治もウソ。日米合同委員会のおかげで日本は国力を落とす政策しかしない。国会なんて予め答弁が決まっているのに与野党でプロレスしているだけだ。売国奴しかいない。中国とアメリカの緊迫した関係もウソ。中国共産党はCIAが得意の両建てで作ったのだから。北朝鮮のミサイルもウソ。それでも報道のせいなのか個人の素養の問題なのかバカは気付かない。ロシアウクライナ戦争もウソ。本当の事は一切報道しない。インフルエンサーもウソ。民衆をミスリードする工作員さ。インフルエンザもウソ。ウイルスなんて存在しない。ベシャンは正しかったってパスツールも言っているじゃないか―」

ドミナが笑う。俺も笑う。スクリーンパネルも笑っている。

ドミナはスクリュードライバーを飲んでいた。

俺は少し休憩、水を飲む。うまい、水が一番うまい。

―俺は演説を続けた。


「2019年12月武漢で始まったコロナパンデミック。

これも、ウソ。マスクもウソ。アルコール消毒もウソ。PCR検査もウソ。勿論ワクチンもウソ。コロナワクチンが奇跡的に一年かそこらで出来て一発じゃ足りなくて二発も三発も民衆は打ちまくった。日本は、接種率世界一位の接種大国なんだ。大体二回打てば感染は止まるって言ってたのにワクチンを打てば打つほど感染者が爆発的に増えたんだ。それでもその前後関係の脈略に大勢の民衆は気付かない。そのワクチンが何か知っていますか?って打った人に訊いてみたい。民衆は当然、生ワクチン、不活化ワクチン、mRNAワクチンの違いなんて知らない。SDGsなんて反吐が出る。食糧難もウソ。昆虫食のゴリ押しはひどい。テレビでタガメパフェやらコオロギせんべいとかの特集をよくやってるけれど本当に食糧難なら、まずパフェやせんべいを止めたらいいじゃないか。豚熱もウソ。鳥インフルエンザもウソ。そして摩訶不思議な事に鶏舎などの家畜小屋は頻繁に火事になる。おかしい、あまりにもおかしい。LGBTはウソってよりクソ。Bってなんだよ。バイセクシャルなんてただの性的倒錯者だろう。控えめに言って性的趣向だ。科学もウソ。純粋数学以外はまず疑いから入った方がいい。歴史もウソ。本当の歴史は教科書で教えない。改竄、捏造のオンパレードさ。感動実話もウソ。一日三食もウソ。カロリー摂取目安もウソ。タバコの発がん性もウソ。どこの国で統計を取っても喫煙率とがん発生率がリンクしない。がんがそもそもウソ。抗がん剤もウソ。高血圧もウソ。減塩が良いもウソ。健康にあれがいい、これがいいもウソ。メディアに出てる学者もウソ。御用学者しかいない。経験人数もウソ。男は多く言い女は少なく言う。リア充もウソ。そんな奴はいない。あの子の気になる素振りもウソ。女のあんたなんか大キライもウソ。大事件のほとんどがウソ。大事故のほとんどがウソ。あっちもこっちも全部ウソ。もうあげればキリが無いよ。―下手の考え休むに似たり“人が神に講釈を垂れる”これくらいにしておこう―」

ドミナはジャスミンティーを飲んでいた。俺もジャスミンティーを飲もう。


「最高に面白いわ。あなたって陰謀論者なのかしら?あら、いいじゃない。もっと聞きたいわ―だめかしら?」

「陰謀論―ドミナ、からかわないでくれよ、分かっている筈さ。あなたも全部ウソって言ってたじゃないか―陰謀論とはこれまた珍走団のようなマヌケな響きだ。精神論もそう。精神くらい大切なものも無いのにそうやってチープなラベリングして、支配者様は、本来取り組むべき重要な事から民衆の目を逸らす。陰謀論じゃなくて陰謀さ。すべてファクトだよ。全部、ユダヤの謀略さ。ゴイム(非ユダヤ人:群衆)は常に奴らの破壊工作に蹂躙されている。特に奴らの日本人への破壊工作は徹底して凄まじい。日本人は古来より“さもしい”“はしたない”“あさましい”など賎陋(せんろう)を忌み嫌う廉恥の士で貧しくても豊かな強い民族だったんだ。いまは、そんな事を口開けば古めかしいと疎んじられ、そのような美徳は見る影もない。先祖代々脈々と受け継いできた大切なものを日本人はここ数年で簡単に手放したんだ―」


「さすがね。よく知っているわ。そう、ウソなのよ。全部ウソ。分かっていただけたかしら?なんで支配者様は、そんなに日本を破壊するのかしら?なにか日本に大切ななにかがあるのではないかしら?違うかしら?」

スクリーンパネルが波打ち潮騒を立てる。


「いや、だから俺は本当のところは何も知らない。これっぽっちも分かっちゃいない。“知らぬが仏”って云うように本当は何も知らなくて何も分からない方が幸せなんだろう。分かったところで相手が巨悪すぎて何もできやしない。せいぜい食事に気を付けてワクチン打たないでお茶を濁すくらいさ。奴らは日本だけじゃなくて世界各地を破壊している。とりわけ日本を徹底して潰しにかかってるのは、日本人が強かったからじゃないのかい?ポルトガルの宣教師が、日本へ来た時、識字率の高さや精神性の高さに驚愕した。いつもの宣教から洗脳、そして植民地へとする常套手段を諦めた唯一の国、それが日本なんだ。皮肉なのは、日本を西欧近代化やスパイ、あの手この手で完全に内部崩壊させた筈なのに第二次世界大戦では、奴らは、目論見が外れて日本の底力を見せつけられる。日本は、正に決死の覚悟、獅子奮迅の活躍で奴らがせっかく攻略した国々のほとんどすべてを植民地から解放したのだから。他もあるのかも知れないがとにかく奴らはジャップが目障りなんだよ。奴らは銀行を作り学校を作り病院を建て新たな産業と新たな雇用を産み出す。ウソのお金、ウソの教育、ウソの医療、ウソの産業、クソの遊戯とクソの娯楽、なんでも与えてくれる。奴らはペドフィリアで、悪魔崇拝者で、とんでもないペテン師で泥棒だけど正に現代社会を作り上げた偉大なる父なんだ。与えているのではなくその実は、奪っているんだが、真剣にこの問題に向き合うとただでさえおかしい頭が余計におかしくなる。俺もテレビでも見ながらポテトチップスを食べて、スマホでポルノ動画でも見て自分で自分を慰めるよ。デザートにアイスクリームも忘れない。―」

スクリーンパネルの波が大波になり大きな潮騒を立てる。


いま気付いた。これはドミナの脳も同期している。

最後の一言は余計だったか―

ドミナは、渋い顔をしている。


「坊やは、トランプゲームの大富豪をご存知かしら?」

「ああ、知っている。よくプレイしたよ。それがいま何か?」

「大富豪は大貧民とも呼ばれる―」

「他には、大革命、王様と乞食、王様と奴隷などがある。1970年代、学生運動が下火になった頃、当時の学生であった人が考案したんだ。」

「あら、よくご存知ねえ。あなたって博識だわ。大富豪で一番盛り上がる瞬間はいつかしら?」

「博識じゃない、ただの雑学だよ。大富豪の醍醐味は、“革命”だ。強いカードと弱いカードが逆転する。」

「そう、革命―それが、現実世界で起こる事を、あなたは想像したことがあるかしら?持っているものがいきなり無価値になることを?わが身に降りかかることを想像したことがあるかしら?」

「俺は、平民だ。いや貧民だ。何が言いたいんだい?」

「あなたは見たでしょう。これから起こる大災難を?平民や貧民だから大丈夫なの?」

嗚呼―

クソ、思い出したくない―

「物事には必ず“リズム”がある。周期と言った方が分かり易いかしら?」

「…、」

「双魚宮時代から宝瓶宮時代への移行。アダムとエヴァからアブラハムまでが二千年、アブラハムからイエスまでが二千年、イエスから二千年が正にいまなのよ。」

「…、」

「江戸幕府は二百六十四年間で歴史の幕を閉じた。八十八×三。2022年8月で大東亜戦争終結からちょうど七十七年になる。欧米諸国では9月2日が実質終戦記念日。七十七年というのは明治維新から大東亜戦争終結までと同じ長さ。五黄土星の年がちょうど今年2022年。五黄土星の年とは、災いの年。ユダヤのシェミッタ、7年周期の安息年がちょうど今年2022年。安息年とは、リセットの年。もうゲームは始まっているの。人々は、そもそもゲームのルールも分からず卓についている。もしくは、目の前のゲームに集中せず、違う何かに集中している。あるいは最初から卓についていることにすら気付いていない。それでいいのかしら?」

「…、」

「人々は、騙されたままでいいのかしら?偉大なる父も偽りの父じゃないの。盗っ人でしょう?“盗とは次の皿”皿に欲しいのは一滴の血。そのまま放っておいていいのかしら?」

俺は見た。未来の地獄絵図を―俺は聞いた。人々の悲鳴を―だけど俺に何ができる。いや、できなかったんだ―

「これは、競馬なのよ。血のゲーム、それは、知のゲーム―」

競馬―血のゲーム―

「そう、幻の―」

「甘い考えだった。勝てっこない。」

「それはあなたの本心かしら?思考にはくれぐれも注意しなさい。何かを求める求心力が働いた刹那やいなや結果とゆう遠心力も同時に生まれるの。引き寄せる力が強いものこそ結果も早く引き寄せてしまう。本当に望むことだけに思考の照準を合わせなさい。」

求心力―

遠心力―


「本当の事を言えば殺されるのがオチだ。いまも昔もそれだけは変わらない。天才や秀才は世に出て称賛されるが、本当の事を言う奴や、真の超人的な存在は、世に出ることを許されない。空飛ぶ円盤を作ったシャウベルガーは、何もかも奪われて殺された。ピタゴラスは、無理数を発見して証明した弟子を殺したじゃないか。いまは、ピタゴラスの時代より周到で狡猾で残忍だ。」

「つまり、あなたは、結局命が惜しいの?」

命が惜しい―そこが、俺の本音なのか―そうなのか?そんなイントネーションで言われたらなんだか自分が惨めでちっぽけじゃないか―

そりゃあ、誰だって命が惜しい。

でも、この俺が?

命を削ってたたかってきたこの俺が―


「いいかしら、古よりたたかいの場において人を多く殺めた武器、それは剣でも刀でも弓でもない。それは “石”なのよ。ペリシテ最強の巨人兵士ゴリアテを死に至らしめたのは羊飼いの少年ダビデが放った、たったひとつの石なのよ。それは礫、小さきひとつの石。貧弱なダビデは強かった。たったひとりの羊飼いの少年の強固な意志が、見事に巨人を打ち負かしたの。それは彼の意志のなせる業。その一つの石が国を、民を、救ったのよ。」

スクリーンパネルが大波のようにうねりひと際大きな潮騒を立てる。


「やめてくれ。冗談はよしてくれ。俺一人でなにができる?いや、やろうとしたんだ。だけどどうなったか知っているだろう?もう、やめてくれ。“盗とは次の皿”“石とは、意志”もう、ウンザリなんだ。聖書の話なんかも聞きたくない。もう沢山だ。キリスト教が嫌いなんだ。宗教が嫌いなんだよ。宗教なんて戦争や霊感商法、ろくなもんじゃない。」

オヤジだ。オヤジのせいで俺はキリスト教も聖書も嫌いになった。キリスト教にのめり込みすぎた父親は、ついぞ気が狂れてしまった。 “神とは、髪。ネフィリムは、だから人の娘の髪に惚れたんだ。ナジル人が髪を剃ってはいけないのは神だからだ。聖とは、性。父とは、乳―” 「お父さんは、神様に会った。神様と話せるんだ。」一日中、こんな事を聞かされたらこっちの頭がおかしくなる。何か返すとワーワー喚き散らす。神も信仰もあったもんじゃない。いつでもどこでも壊れたラジオのように喋るものだから、恥ずかしかった。次第に、オヤジとは喋らなくなった。家族の誰もが喋らなくなった。俺は、オヤジのそれが精神病か何かと思い調べた。それが仏教で云うところの“魔境”と知った。魔境とは、禅の修行の瞑想中に仏陀が現れたり、涅槃を見たりする。だが、それは偽のヴィジョンであって、本物の悟りではないものとして厳しく戒められている。この魔境がなにより危険なのは、この世のものとは思えない、とても形容しがたい幸福感に包まれ、なんでも出来ると錯覚した万能感に陥る。さらに調べると同じような“症状”の人をウェブや本で確認した。なにしろそういった人達は語呂合わせや言葉遊びが好きで、とてもまともに取り合えるシロモノではない。オヤジもそういった人達も軽蔑した。だが、同じような事を自分が経験したら?見方が少し、いやガラリと変わってくる。果たしてオヤジのあれは、魔境だったのか―俺の方が魔境なのか―それともオヤジも俺も本物を見たのか、あるいはどちらも魔境か―ひとつはっきり言えるのは、傍から見ればどちらも区別なくキチガイというところだろう。



「わたしは冗談なんか言ってないわ。ダビデはたった一人で巨人を打ち負かしたわ。一人でできないなら仲間を集めたらいいじゃないの?それに聖書は神との交信、霊との交流によって書かれたものなのでは無かったかしら?違うかしら?だから書き記したものは、著者ではなく記者と呼ばれる。それに読むのではなく感じることが大切。そこには真実、そこから見える真理があるのでしょうね、きっと。まあ、それほど嫌うのなら無いのかも知れない―」

俺は元々、教会は嫌いだったが、なぜか聖書は好きだった。幼い時、オヤジが話すイエスの奇跡の話が興奮した。山上の垂訓やたとえ話が好きだった。マグダラのマリアや聖母マリアが好きだった。


「なぜ、それほど聖書を嫌うのかしら?それは、お父様のせい?」

なぜと問われればなぜだろう。なぜ、俺は信仰から離れたのか―

「もちろん、オヤジ、それもある。俺は、創世記が嫌いなんだ。特に原罪の部分が、どうしても納得がいかない。禁断の木の実を食べたエヴァが悪いとか唆した蛇が悪いとか、問題点はそこでは無いと思うんだ。そんな食べたらいけないものなら何でそんなものを作ったんであろう。なんで置いたのであろう。これが家庭や職場で起きた問題なら間違いなくそんなものを作ったり置いたりしたものの責任だ。ノアのカナンの呪いも分からない。“人を呪わば穴二つ”って云うじゃないか。ノアは反射について知っていたはずだ。それでも呪いをかけたんだ。聖母マリアの処女懐胎だって“少女”と“処女”の誤訳が基だって聞いた。学校の授業でダーウィンの進化論を教えられて、進化論と創造論は矛盾してくる。聖書は記述者によってまるで内容が変わったり、神の言ってる事もころころ変わる。十戒の教えなんかも教派で変わってくる。聖典から外された外典もある。気を悪くしないでくれ。神聖なものであるはずのものに作為的のものを見てなんだか聖書を信じるのがバカらしくなったんだ。」



『お前に世界を救って欲しい』

「え?―」いまの声は―


ヨハネの福音書8:44

あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。

        

「面白い、良い着眼点だわ。わたしはもちろん、気を悪くなんかしないわ。あなたの本音が聞きたいのよ。ただ、ひとつ訂正してあげる。処女は誤訳ではないの。“アルマ―(少女:若い女)”をギリシャ語の“パルテノス(処女)”と訳した話ね。ヘブライ語の処女なら“ベトゥーラー”であってアルマ―は単なる若い女っていう意味に過ぎない。それは、違うわ。ヘブライ語で若い女を意味する、より一般的な単語は“ナアラー”よ。“アルマ―”って言葉は、“若い女”“ 少女”以上の特別な意味を持つの。それにいいかしら、進化論の中で、ダーウィン自身が進化論に一番当て嵌まらないのは人類だって言っているわ。だって人類は進化したわけではないもの。自然と共生していた時よりも、寧ろ退化してるわ。自然のパワーを人々は忘れている。あなたは見つけたのでしょう?自然のパワーを?そのパワーを何で使わないのかしら?」



本当の問題とゆうものがあるのなら、このパワーだろう。


22.5.3

“この世もあの世も全て0と1でできている。この世が白黒。あの世が黒白。一とは位置。零とは霊。“有限の有”“有限の無” それらを支配するのは“無限の無” わたしが無― ムは決して目で見ることも耳できくこともできない。 触ることも掴むこともできない。 見つかられるものは幸い。 お前がいる幻の世界は0の3つ目。“無限の光”そこから数が生まれる。数の秘密だ。その光に包まれるものがわが子羊― 神の民―そこに愛するものを導きなさい”

―それはおかしくないですか?01の二進法はコンピューターのアルゴリズムの話であって…

“何もおかしくない。基礎的な構造は二進法だ。とてもシンプルに出来ている。何進法かそれは人間の採用の問題であって基礎は全てオンとオフ、表と裏、光と闇、陽と陰、静と動、これらで出来ている。身近なものを観察してみなさい。お前たちはそのプログラムの中で生かされている。”


スクリーンパネルが美しき数式を映しだす。綺麗だ。


“三種のアイン”0が00を生み00が000を生む。そして000が1を生む。

「自然の法則の美しさを、数学を深く理解せずに、人々が感じることができる方法で正直に説明することは不可能です。申し訳ありませんが、これは事実のようです。」とは、ファインマンの言葉だ。俺は、数学どころか算数すら危うい。おはじきからやり直したいくらいだ。そんな具合だから体験しているときは何のことなのかさっぱりだったが、すべては数、数学だった。三次元が01で白黒。それが、どういう意味なのか調べて紙に書いてみたり碁石を並べたりした日々―求心力と遠心力―重力より浮力―

そのパワーは自然界にある。そして人にも備わってある。


「確かに見つけた。自然の素晴らしいパワーを。だけど、もう無理さ。分かり合える友もいない。仲間なんて集まらない。人々は、そうとは露知らずカルト宗教の信者なんだ。奴らのウソを信仰する立派な信者なんだ。洗脳を解くのはもう手遅れさ。それを使って世の中いいものにしようって言っても誰も聞かないよ。」

ドミナが微笑む。


「“book”と共に生きなさい。それがすべてよ―」

「bookっていうのは聖書かい?」

「それもとてもいい事よ―あなたが細工をしようとした黄金の図書館よ―」


22.4.23

“ひとは大いなるものの断片や塵や埃を夢で見る。それはまるでジグソーパズルのピースのようで見ている本人にも分からない。人がいうインスピレーションやアイディアというのはこれだ。ともよ、なぜに自分に大いなる啓示があらわれたのかを追い求めるのではなく、自分の中の心を鎮め、霊を高め、神を高め、それらを聖しものとしなさい。お前がそうして門をくぐったように無邪気であらねばならない。そうすれば自ずと見えて聞こえるのだ。宇宙の周波数に合わせればよい。糸を紡ぎなさい。お前ならできる。やりなさい。”


―嗚呼…、

それはアカシックレコードとして知られる元始からのすべての事象、想念、感情が記録されている全宇宙の記録―

俺は、それを変えようとした。未来に起こる事を変えようと、藻掻きに藻掻いた。

過去、現在、未来は、脳の神経回路のように張り巡らされている。

現在を良い未来の神経回路と繋ぎ合わせる―

徒労だった。結果はいつでも最悪だった。


22.4.28

“お前は錬金術師ではない、錬金術もできるが細工に専念しろ。お前は金細工師、お前が黄金に細工を施せ。”


俺は、調子に乗った。何のことはない。俺自身が、なんでもできると万能感に浸った。

そして、悉く失敗した。オペは失敗だった。


「ドミナ、俺は頑張ったんだ。もう、無理だよ―」

「ウソよ。それこそが最大のウソ。噓つきは泥棒の始まりよ。頑張ったなんて自分で決めるものじゃない。坊や、あなたはしないのではなく、したくないの。もう、したくないの。どうせ、俺じゃなくてもいい。どうせ、自分がしなくてもいい。どうせ、自分がしている事は意味が無い。どうせ、誰も理解できない。どうせ、どうせ、どうせ―なぜ、もっと信じないの?自分を信じれないものは何も信じれないわ。いい、信じるものは救われる。揺るぎない真理よ―」

信じるものは救われる―

信じた俺はヒドイ目に遭った―

「みながみな、待ち望み、ついには諦めてしまった、忘れられてしまった一縷の望み。全世界の待望なのよ。世界は救いを待っている。盗っ人どもに裁きを下しましょう。泥棒にお仕置きをしてあげましょうよ?」

「…、」

盗っ人―

泥棒―

「あなたは、いつも救いを求めていた。違うかしら?」

「…、」

救い―

「世の中、おかしい。人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか。どこから来てどこへ帰るのか。あなたは、いつもことわりを求めていた。だから、あなたは仕事も辞めて天の声に従った。違うかしら?」

そうだった。俺は真理を求めていた。何の為に生まれたのだろうかずっと思っていた。思い煩い、ついぞ忘れていた。人は必ず死ぬ。今日生まれたばかりの赤子も死とゆう時限爆弾を抱えて生まれてくる。生まれることは本当にめでたいことなのか。そもそも生まれたのか。生まれた時の事なんかなにひとつ覚えていない。いつも何かおかしい。何かがおかしい。俺がおかしいのか病気や異常を考える。そして俺はある日、コペルニクス的発想の転換に成功した。俺がおかしいのではなく世の中の方がおかしい。

そして、俺は天の声に従い、いきなり仕事を辞めてしまった。収入は無くなり生活は苦しくなるばかり。挙句、夢の世界から抜けられない。

「あなたは、それで後悔しているの?人の仕事の手伝いを辞めて天の仕事をはじめた事を?」

俺が、聞いたのは本当に…いまいるこれは…

―もう、いい―苦しい―もう、死なせて欲しい―

「いまこそ、八紘一宇の精神で、世界の人々は立ち上がり、―」

八紘一宇とは、時の議員が、使ってポリコレに引っかかった言葉。そうだ、ポリコレもクソだ。

「ドミナ、もう、やめてくれ。世界は、俺の事なんて気にしていない。だから、俺も世界を気にしない。もう、俺は、無理だ。これ以上、俺を苦しめないでくれ。」

ドミナは、一呼吸置いて低く強い声でボソッと呟く。

「それは、とても残念ね―」

沈黙―

ドミナをチラッと見ると目が合う。視線を外してまた戻すと目が合う。

その繰り返し―

長い沈黙―その窒息しそうな沈黙を破ったのはドミナ―


「昔、ある日、ある村で、ある漁師の兄弟二人と、漁師仲間の兄弟二人の、漁師の兄弟たちが夜通しの漁で魚がまったく獲れなかった。漁師の兄弟たちが憂いて諦めかけていたその時に、ひとりの男が現れる。そのひとりの男は一緒に舟に乗り込み、海に出て漁の指示を出す。漁師の兄弟たちは、ひとりの男から言われた通りの指示に従って網を打つと網が破れてしまうのではないかというほどの魚が獲れた。漁師の兄弟たちは、奇跡を見て感動した。ひとりの男は、魚が獲れないどころか、大漁をプレゼントしたのだ。ひとりの男は、漁師の兄弟たちを弟子にスカウトした。奇跡を見た漁師の兄弟たちは、その場に網を置いてひとりの男の弟子となり付いていった。」


知っている。ひとりの男とは、イエス―

イエスの起こした奇跡―

イエスと最初の弟子たちとの出会い―

漁師の兄弟二人と漁師仲間の兄弟二人―

ペトロとアンデレの兄弟、ヨハネとヤコブの雷兄弟―


「イエスは言った。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』

こんな台詞は余程の信念、余程の覚悟を持っていないと言えない。だって、その人の一生を左右するのだから。

このお話の本当の奇跡は、漁師の兄弟たちは、自分の生業を、それも長年培ってきた生活の糧をその場に放り捨てて、今しがた出会ったばかりのよく分からないひとりの男に付いていった事。そんな事ができるものが、どれほどいるかしら?これこそがまさしく奇跡よ。坊や、なぜ、もっと信じないの?」

その話は、最初から奇跡だ。プロの漁師たちが素人のラビの助言に素直に従ったのだから。

「俺は、イエスのように偉大でもなければ強くもない。弟子たちのような素直さや従順さも持ち合わせていない。俺は、弱い―」

「あら、あなたは素直に人の仕事を辞めたじゃないの?偉大かどうかは、やった事で決まる。あなたは、まだ何もしてないじゃないの?」

何もしていない―

した気になっていただけでそうなのか―


「…、」

「坊や、まだ悩むの?悩むとは心を凶ツもの、やめなさい。良い木か悪い木かは採れる実で決まる。聖書にそう書いてあるでしょう。まだ、疑うの?大疑は大悟の基というけれど、やめなさい。桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、実がなるまで辛抱強く根気がいるけれど耐えなさい。経過に一喜一憂してはいけない。それは愚かよ。傍若無人ならいざともかく腐心はよくないわ。」

良い木か悪い木かは採れる実で決まる―


「…、」

「あなたを待つものが―」


「分かった。少し聞いておくれ。泥棒とは、泥んこで、棒。シーフ(thief) シープ(sheep) スリープ(sleep)これらが、頭の中でこんがらがってしまって、本当の泥棒とは、奴らでも他の誰でもなく俺の事ではないのかと疑っている。ひょっとして泥棒っていうのは俺の事かい?俺は盗っ人なのかい?俺は、眠りの中、夢の世界で泥だらけになって足が棒になるまで歩いていた。迷える子羊は荒れ地で、砂漠で死にかけのところ、あなたに会った。あなたが救ってくれた。これは何かの暗示なのか―正直、あなたを魔のものかと警戒した。ずっと張りつめている。緊迫の中でいまあなたといる。俺はまだ揺れている―」


「あなたって本当に疑い深いのねえ。それともバカか何かかしら?いい、わたしは滅多に人に会わないの。聖書には、イエスは盗っ人のように来るとも書いてあるわ。泥棒、ドロボウだっていいじゃない。そう思うならそれでいいわ。陳腐。チープな考えね。ちちんぷいぷい、どっかにとんでいけ。ほうら、いい、坊や。歌ってあげる、いいかしら、ドはドミナのド、ロはロバの顎の骨、ボは坊やのボ、ウは宇宙のウ。さあ、歌いましょう―はい、ドロボウさん、少しは気が紛れたかしら?」

俺は少し笑った。ドミナはずっと微笑んでいる。やはり、あなたは美しい。


ヨハネの黙示録3:3

だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目を覚ましていないなら、わたしは盗っ人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。


ヨハネの黙示録16:15

(見よ、わたしは盗っ人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目を覚まし着物を身に着けている者は、さいわいである。)


「そう、気になるのはそのロバのあごの骨なんだ。それを持って暴れまわる夢をよく見る。夢とゆうより現実…聖書に偽預言者のことが書いてある。自分のことなのか、俺は何かとんでもない過ちを犯そうとしているんじゃないのかと―俺は、偽物なのかい?」


ドミナは質問には答えずテーブルでコインを回し始めた。俺はそれを見つめた。高速で回るコイン―俺は、ぬるめのジャスミンティーを飲んだ。


「見える?どちらが、裏で表かしら?当ててみて?

―そう、人は、コインの裏、表ばかりに気をとらわれてコインの間にあるものを見ようとしない。何がコインを動かせているか見ようとも聞こうともしない。あるのに見ないの。あるのに見えないのよ。盲点っていうの?盲人っていうの?

あなたは見えたのでしょう。見つけたわけでしょう。立派。それは、大変良い事よ。色んな人の役に立てるはずよ。新しい地へ旅立ちなさい。そこには、あなたを待っている人がきっといる。それとも、いないかしら?」

新しい地―待っている人―


「…、」

「イエスも故郷のナザレでは、ほとんど奇跡を起こせなかったの。それは、なぜかしら?「大工のヨセフの倅、イエスだ。あのホラ吹きのイエスだ。あいつが帰ってきたぞ。」そんな所で奇跡は起きないわ。起きる方が奇跡よ。タラント硬貨は閉まっておく為のものでも隠しておく為のものではない。それは宝のもち腐れよ。あなたが持っているタラント硬貨をもっと殖やしなさい。それは幸せを生み、福を殖やすもの。それだけは、はっきり言えるわ。」

言い終わるとドミナはコインをこちらに放ってきた。キャッチ成功。掌のコインを見る。

俺は、その台詞を聞いたことがあった。あの乞食だ。俺はすぐに信じた。

 

22.4.29

“お前が握りしめているタラント硬貨、それは黄金だ”


タラントとはタレントの語源――

だが、話が出来すぎていて結局疑った。完全に疑った。騙されたと思っていた。会ったらうっかり殺してしまいそうだったから絶交していたのに悪い事をしたかな。もう一度、信じてみようかしら。あの乞食に疑ってすまなかったと謝ろうかな。俺は、熱い緑茶を飲む。うん、苦い、嗚呼、うまい。ドミナも同じものを飲んでいた。


「才能とはどんなものであれ天賦の才よ。その才能を生かしなさい―」


ドミナに言われたことを俺は、逡巡していた。悪魔は一つのウソを信じさせる為に九十九の本当の事を言う。もう、なにもかもどうでもいい。たたかいなんかしたくない。死んだ方が楽だ。生きるのならアホのフリをして生きるのが一番だ。いやフリなんかしなくても俺は十分アホだ。本当にそうなのか?アホは本当だ。俺はもっと生きたい。なぜ生まれてなぜ死ぬのか、人とは、何なのか…真理を…生きた証を…いや、そんな事より塩サバが食べたい。そうだ、生きて現実に戻るんだ。

―用心を解いた。


「ピラミッドを見た時に揺れていていきなり回り始めて何もかも見えたんだ。ピラミッドが白い三角形で影が黒い三角形。交差して回りだした。ダビデの星、籠目紋。それが、四つ葉となり、花となり、ダイヤになった。あなたが見せてくれたのだろう。

分かった。話すよ―話す気になったよ。―俺は、ある人を好きになって、失恋したんだ。別れを切り出したのは俺の方だったのだけど振られたのは俺の方なんだ。そこからだよ、冒険が始まったのは。本格的に俺の夢の旅が始まったのは―」

ドミナは黙って聞いている。

「出会った日を昨日のように覚えている。話した内容もほとんど覚えている。その年に大病をしてね、脳出血で倒れたんだ。右被殻出血。死にかけたんだ。一命は取り留めたけど、程度は軽いけれど左半身に麻痺が残った。俺はその時に少し不思議な体験をして自分の人生を鑑みたんだ。入院すると、色んなものが手に入った。時間、自分らしさ、健康的な生活。長年やめたかったタバコも止められたし、酒も飲まなくて良いし、病院のメシは旨いし、財布を持っていないからお金も使うことないし、金を使わない快感を覚えたね。何しろ煩わしい人付き合いも労働からも解放されて良い事づくめだった。久しぶりに豊かさを味わった。だけど、退院して待っていたものは、当時の俺には過酷なことばかりだった。仕事は変わりなくほぼ難なくこなせたのだけど、全然楽しくなかった。そんな時に俺は、―」

 

「話の腰を折ってごめんなさい。ひとつ、教えて欲しいの。もし、あなたやあなたの大切な人、家族に手を出す悪しきものがいたとする。あなたはどうするの?」緑茶を飲むドミナは渋い顔をしていた。

「くだらないな。悪い事は考えない。ドミナ、あなたが言ったセリフではないのかい?」

「そうね、確かに言ったわ。でも、教えてほしいのよ、お願いします。」

俺は、言葉を選ぶ。それは、悪い事を思ったり考たりすると、悪い事が起こるからだ。

「……。最悪のケースかい?何もないよ。それは受け入れるしかないな。俺自身は何をされても別に構わない。…もう、いいかな?」

俺はタバコに火をつけて吸いだした。デュオ。フーッ、うまい。

コーヒーも飲む。―ゲイシャ―うん、うまい。

「あなたの愛するものに手を―」

俺は、制した。

「分かった。答えよう。そんなに知りたいのなら一番やさしいやつを教えよう。心して聞いておくれ。まず、三族か九族かを考える。九族にしよう。手をかけたお方には何もしない。その代わりそのお方が見たくないものを庭先か玄関かベランダのどれか、もしくは全部に並べる。キッチンやトイレにも置いておくかもしれない。俺は人には見えない。適当に鼻歌を歌いながら事をやり遂げる。一歩、家から外に出る。出ると足を踏み外す。高度10キロくらいにしておこうか。そこから気絶しないで地面に叩きつけられる。その散り散りになった塵の赤黒いものをみる。その画を痛みと共に毎日みせてあげよう。その画にも俺が飽きたら金網で簀巻きにして海に放り投げられる吉夢も見せよう。高度10キロくらいにしておこうか。ぐるぐる巻きにされた金網とともに海面コンクリートに叩きつけられる。どこが頭で骨か足も手も何が何かわけが分からない。だけど幸いなことに意識はしっかりある。何回も窒息するのに幸運にも息を吹き返す。おぞましい海の生き物たちを見る。深海ではメガロドンにも遭う。ピラニアにも噛まれる。ここは淡水なのか、アホなことも考える。とどめは毎度お決まりでモササウルスに飲み込まれる。そのおぞましきものが可愛く見えるようになるまで続く。もう家から出られない。出たくても出られない。だが、俺も悪夢を見せる日が来る。そのものはついぞ吉夢も上夢も瑞夢も見なくなる。やっと、家からも出られるようになる。人とは恐ろしい。何もかもきれいさっぱり忘れて幸せと思わしき日々が訪れる。経済的にも恵まれてくる。地元や寄合ではそれなりに名のある者になるかもしれない。子供たちや孫にも囲まれて幸せとはこうゆうものなのだろうかとなんとなく人生に向き合うひと時を得る。この時を待っていた。また、はじまる吉夢、今度は現実だ。現実に起こる白昼夢。廃人すんでのところで、目覚め、愕然とする。それは若かりし日の今日なのだ。時間の中に閉じ込められた。気付いてもどうすることもできない。死ねないのだからどうすることもできない。《if》もしも、もし仮に病院なり刑務所なり異国だろうが異世界だろうが遥か銀河の果てであろうとも逃げようが隠れようが俺の慈しみ深き御業からは逃れられない。懺悔も告解も何も受け入れない。その方が招いた呪詛だ。仮に何とかうまくいって命を絶ったら冥界まで追いかけて現実に連れ戻す。根絶やしなんかしない、未来永劫末代まで俺が責任をもって可愛がる。先祖のボンクラどもも許さない。何代前だろうと全部の墓を暴いてすこやかに眠る亡霊たちを叩き起こす。目覚めた屍骸どもに先祖として子孫の守護を怠った罪の償いをさせる。言い訳なんかさせないし、ひとつもきかない。―まあ、そんな事は起きない。起こるわけがないんだ。―ね、つまらないだろう?くだらないよ、こんな話。さっきの話の続き、話してもいいかい?」

スクリーンパネルパネルはおぞましきものを映し、奇妙なうねりを発していた。もはや、発光ではなく発狂。気持ち悪かった。魑魅魍魎とはこれか。気味悪さで小便をちびりそうになった。ドミナはより目を輝かせて先程までより、より上機嫌だった。

このお方は、趣味が悪い。


「あなたってやっぱり面白いわね。わたしも可愛い赤ん坊に何かするものがいたら許さないわ。まあ、する前にその者は思った瞬間、考える間もなく刹那に消えるけどね。わたしの一番やさしい “お恵み”を聞いてくださる―」

俺は、制した。

「Thank you.(いいえ、結構です。)」

二回繰り返したところで、諦めてくれた。―なぜ、俺が心を開いて話し出したのに話の腰を折ってくるのだろうか―


「違うのよ、坊や。なぜわたしがあなたの話を遮ってまで違う質問をしたのか。―少し、いいかしら、あなたはマリアをご存知かしら?」

「聖母マリア、マグダラのマリア、どっちだい?」

「その方たちは置いておきましょう。エジプトのマリア、この方をご存知かしら?」

―記憶が蘇ってくる―

“コネクトーム”

無数の絡まっている糸が繋がり発色して、地図全体が明るくなっていく。

「―ゾシマ長老―知っているが詳しくは知らない。教えて貰えるだろうか?」


「マリアはエジプトの小さな村で生まれた。貧乏な家庭、増える兄弟たちに彼女は、十二歳のある日の夜、一大決心をして、朝を迎えると旅に出た。“夢の旅”少女ひとりだ。マリアは読み書きができなかったが美しくとても賢い女の子だった。―彼女は、行く先々で、希望と絶望を学んだ。彼女は悟った。手に職をもった。糸紡ぎを生業としながら、男に希望を与えていった。望むものに報酬なしで己の肉を貪らせた。天職だった。少女が生きる術だった。ある時は自分から肉を求め貪った。嬉々として狂ったように貪った。とても淫乱だった。マリアは知っていた。男たちに無報酬で肉を与える代わりに自分の“夢の旅”の話をした。男たちは話に聞き惚れ、すすんで食べ物や路銀を彼女に持たせた。犬も歩けば棒に当たる―うまい棒を愛でると甘い汁が啜れる。最高―淫蕩の生活は快く生き生きとして我が世の春を謳歌した。だが、いつも満たされず貧しい生活だった。彼女はとても貧しかった。ある時、正教会の祭のひとつ、十字架挙栄祭に行く為にエルサレムに向けて船が出ているのを風のたよりで知った。彼女は、船乗り、商人、大工、僧侶―肉を貪りあうことを考えただけで幸せに包まれた。無花果、西瓜、柘榴、ムベ、ペルセア、貰える果物を思い浮かべただけで唾が溢れて涎が垂れてくる。心も体も浮き浮きした。夢満開、迷いなく船に乗ってエルサレムへ向かうと日が昇っているときも日が沈んでいるときも船の上でマリアの肉の宴は催された。日毎夜毎、情欲のぬめり、愛欲の轍に狂喜乱舞した。生きるって素晴らしい。エルサレムに着いたマリアは朝も夜もなく淫蕩を続けた。祭の日、朝早く起きると彼女は小躍りして聖堂に向かった。イエスの磔にされた十字架を一目見ようと、聖堂に入ろうとした。入堂しようとする彼女をなにものかが、撥ね返した。彼女は聞こえた。起き上がってもう一度、入ろうとした。またもや、見えないなにものかに押し返された。彼女は見た。マリアは悔い改めた。起き上がると生神女の庇護を願う祈りを捧げた。淫蕩をやめる祈りを捧げた。改心したマリア、涙を流して赦しを乞う乙女。ようやく聖堂に入ることが許された乙女は十字架を見ることが叶った。マリアはすべてを思い出しその場に泣き崩れた―」

俺にも聞こえ、見えた。あまりに眠くなり、つい欠伸をした。頬を叩き、催眠術をといた。アカシックレコードにアクセスするといつも、そう、眠たくなる―

     

「何が言いたいか分かるかしら?」―分からない―分かるようで分からない―

「分からない」

「汝、姦淫するなかれ―」

姦淫とは、倫理に背いた肉体関係―胸に手を当てるまでもなく俺は、心当たりがある。イエスは、言う。「淫らな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」世の中は罪深い。そして、俺も漏れなく罪深い。俺が好きになった人は人妻だった。

「坊やは、消えたイスラエル十支族をご存知かしら?」

また、話題を変えた―話せって言うから話そうとしたのに…寧ろいまは俺の話を話したい気分なんだけれど…

「少しは知っている。日本人の祖先はユダヤ人だとかの日ユ同祖論なんかの話で決まって出てくる。何となく知っている程度で詳しくは知らない。」

「ソロモン王亡き後、イスラエル十二支族は北の十支族のイスラエル王国と、ユダ族、ベニヤミン族、祭司のレビ族の南のユダ王国に分裂した。その後、北王国はアッシリアによって滅ぼされ、アッシリア捕囚の後、北の十支族は歴史からいきなりプツリと消えたの。」

「それは、史実として残っている。紀元前1000年頃の話だ。」

ドミナは構わず喋る。

「消えたイスラエル十支族っていうのはルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族の十支族―」

ドミナが急に黙る。


沈黙―

その沈黙を破ったのは俺―

「それが、どうしたんだい?」

「人は、誰しも星の下に生まれ星の元に還る。時に、運命よりも、もっと大きなものを背負って生まれるものもいる。」

「何が言いたいんだい?」

「あなたは、“5”―

ヤコブ五番目の息子は誰かしら?」

嗚呼、―俺は急に思い当たる―

「あなたはがよく見る夢、ロバのあご骨のお方はダン族ではなかったかしら?」

嗚呼、そうか、繋がっていく―

ヤコブ五番目の息子はダン―

聖書は関係ないと思っていたが“5”はここに関係してくるのか―


「サムソンはダン族だ。ダンはヤコブ五番目の息子―」記憶の中の絡まっていた糸が解れていく―

「ダン族の象徴の宝石は緑柱石―ダン族のシンボルは―」

「蛇、天秤、鷲―馬もダン族のシンボルだ。」

「そう、その通り。少しどころか十分詳しいわ。あなたは、蠍座よね。蠍座とは、鷲―

錬金術で蛇は蠍になり、蠍は鷲になる。天秤座とは、元々は蠍座の爪の部分。あなたは午年。ダン族のシンボルがすべてあなたと同じ。あらら、これって偶然かしら?」

―奇妙な胸騒ぎ―

「ダン族は、聖書研究者からは嫌われている支族だ。」

「あら、それはなぜかしら?」

「一番の理由は、ヨハネの黙示録の救われるイスラエル全支族の中に、一切名前が無い事じゃないのかい?その代わりに本来十二支族にカウントしない祭司のレビ族が入っている。歴代志の系譜でもダン族の子孫だけは出てこない。それで聖書研究者は、一番はじめに偶像崇拝をした支族だから、神に見放された。反キリストがダン族から現れるなどと言っている。」

「あら、そうかしら?それは、碌に知りもしない知ったかぶりよ。 “ダン”はとても重要なの―」

不敵な笑みのドミナ―何を思っている―

「坊やは、ゲマトリアをご存知かしら?」

ゲマトリア―

嗚呼、そうか、何で気付かなかったのだろう―


“すべては数”

何でゲマトリアに思い至らなかったのか―

目から鱗が落ちる―

灯台下暗しとは、正にこの事。


「ゲマトリアとは、 数値変換法の一つで、カバラなどの秘儀を知るための方法だ。ヘブライアルファベッドやギリシャアルファベッドは音価だけでなく数価も対応している。ゲマトリアはギリシャの[アイソプシー:isopsephy ἰσοψηφία]に起源を持ち、ギリシャ語の [ゲオーメトリアー:γεωμετρία](測地術、幾何学)か、[γαμετρίαː ガーメトリアー]が語源と言われる。」

「そう、その通り。聖書の言葉に隠された意味を読み解くカバラのひとつなの。ヘブライ文字がゲマトリアで、ギリシャ文字がアイソプシー。アイソプシー(イソプセイア:ἰσοψηφία ) は、“等しい小石”または“等しい数”を意味する。ギリシャ文字なら、≪α(アルファ)=1、β(ベータ)=2、γ(ガンマ)=3、δ(デルタ)=4、ε(エプシロン)=5、 ι(イオタ)=10  ρ(ロー)=100≫このように各文字に数価があてられている。」


スクリーンパネルにヘブライアルファベッド、ギリシャアルファベッドが並んでいく。


俺は、こうゆうのが好きなのだろう。

知的興奮が揺さぶられる。


「アイソプシーのルール第一ステップは数価ではなく単語の数に注目する。」


スクリーンパネルにひとつの文章が映る。


(アイオセオスオメガスジオメトリἀεὶ ὁ Θεὸς ὁ μέγας γεωμετρεῖ)、


「“神は常に幾何学者である”単語の数を数えてみて―」

(3,1,4,1,5,9)

円周率だ―(3.14159)


「そう、面白いでしょう。数価を数えるのは、元来は第二ステップなんだけれど、こんにちゲマトリアやアイソプシーと言えば数価の数に注目することを云う。聖書をゲマトリアやアイソプシーで読み解くと、円周率、黄金比、三角数など、そこに数学が見えてくる。ある規則や法則が浮かび上がる―」


スクリーンパネルに聖書の語句が並ぶ。その数価を数える。


〔イエス:Ιησουs〕

10+8+200+70+400+200

=888(8×111)


〔キリスト:Χριστοs(クリストス)〕

600+100+10+200+300+70+200

=1480(8×185)


〔主:Κυριοs(キュリオス)〕

20+400+100+10+70+200

=800(8×100)


〔救い主:Σωτηρ(ゾーテール)〕

200+800+300+8+100

=1408(8×176)


〔御子:Υιοs(フィオス)〕

400+10+70+200

=680(8×85)


すべて8の倍数―


スクリーンパネルに聖書の語句が並ぶ。その数価を数える。


〔わたしたちの神の救い:イシュアエロヒム〕

6+5+10+5+30+1+400+70+6+300+10

=888


“わたしたちの神の救い”が、“イエス”と同じ数価―

偶然か―イエスも当時はありふれた名であろう―


スクリーンパネルに聖書の語句が並ぶ。その数価を数える。


〔神のかたち:Εικων Θεου(エイコーン セオウ) 〕

5+10+20+800+50+9+5+70+400

=1369

〔神の秘密:Ο Απορρητοs(ホアポルレートス) 〕

70+1+80+70+100+100+8+300+70+200

=999


神のかたち(1369)と神の秘密(999)を足した数価(1369+999=2368)が、

イエスキリスト(888+1480=2368)と同じ数価―

偶然にしては出来過ぎではないか―


「イエスのアイソプシー888の各桁を三乗して足す、その計算を重ねて繰り返すと153に帰結する。キリストのアイソプシー1480の各桁を同じように三乗して足す、その計算を重ねて繰り返すと370に帰結する。153と370は聖書を知るうえでとても重要な数字―」


153―

イクスース―

ヨハネの福音書だけに出てくる大きな魚の数字―


言われた通りに計算してみる。

8³+8³+8³=1536

1536→369→972→1080→513→153


1³+4³+8³+0³=577

577→811→514→190→730→370


「さらに、888、1480、2368(888+1480)の相関は面白いの―」


スクリーンパネルに映る直角三角形―


「直角を挟む短い隣辺が888、斜辺の長さが1480、直角を挟む長い隣辺が1184(2/2368) 三角形の面積 = 2368 × 222 数や形にはパワーがあるの。」

三角形の面積の求め方は、(底辺×高さ÷2)つまり(隣辺×隣辺÷2)

888×1480÷2=525696

2368 × 222=525696


「イエスはナザレ人、そしてナザレ人のアイソプシーは―」


〔ナザレ人:Ναζαρηνέ(ナザレネ)〕

50+1+7+1+100+8+50+5

=222


直角三角形が二つになり、直角二等辺三角形、平行四辺形、正方形と形作る。

直角三角形が三つになり、様々な形を形作る。直角三角形が四つとなり―

“数や形にはパワーがある”

グレベニコフ教授の発見した“空洞構造効果”“幻影現象”は、確かに形のパワーだ。

天の聖都―嗚呼、そうか、そうなのか―


俺は、思わず口走る。

「まさに神は常に幾何学者だ。驚いた。」

オヤジは、よく言っていた。聖書は、時を超えて神様が語りかけてくれる御言葉。言葉は、いのち。俺は、そんなオヤジもそんな事を言う信者もバカにしていた。だけれど、辛い時に、聖書の一文や一節を思い出し、バカは俺の方なのかと思う事もあった。

そして、バカは俺の方なのか―


「聖書の言葉だけで満たされて義を行い愛に生きるもの。それは、大変良い事。とても素晴らしい事よ。聖書の恵みは、書かれている言葉、結局それに尽きるわ。だけれど、聖書は、読み解けるものを待っている。

神はなにを言わんとしているのか。聖書の記者がなにを言わんとしているのか。それが聖書研究であり、それに用いる数秘術がゲマトリア、そしてアイソプシー。聖書は、あなたへのギフト。読み解きなさい。暗号、好きでしょう?」



22.5.1

“石よ 運ばれた命 風の音をきけ 虫のしらせ 花をしらべ 求めよ 名を思い出せ 標をみろ 名を合わせ 色をつけよ 数をみよ 解き放て 命を運べ 石を輝かせろ”


そういう意味だったのか―


スクリーンパネルに映し出される聖書の語句の数々―

数価を数える。これは、面白い。俺はずっとやっても飽きないだろう。


ゲマトリアの起源が古代ギリシャ。ピタゴラスやアリストテレス、古代の偉大な数学者はギリシャ人ばかりだ。数学とは、哲学。当時の知識人の取り組むべき学問であり娯楽であったのだろう。聖書の記者も当然知っていたはずだ。知っていたらそんな仕掛けを作るのも可能ではないのか。ある規則性をもって作れば改竄防止にもなる。たとえ、改竄されても規則性から外れるからどの箇所が改竄か分かる。

「あなたは、疑い深いとゆうより疑う事が好きなのでしょうね、きっと。でも半分、正解よ。数学に曖昧模糊なものは無い。数学は絶対に間違わない。裏切らない。すべては数で、すべては数学なの。よく覚えておきなさい。」

自分の疑い深い性格をたまに厭になる。だが、それが俺だ。いまさら変えようがない。



「聖書に出てくる数字にはすべて意味があるの。三位一体、イエスの荒れ野での三度の誘惑、三日目に復活、七つの大罪、七つの燭台、七つのラッパ、ノアの洪水は四十日間、イスラエルの民がシナイ半島を放浪した期間は四十年、イエスの荒れ野での断食は四十日間、すべての数字に意味があるの。白雪姫の七人の小人だって何も意味がないのなら六人減らして一人にした方が安上がりだわ。まあ、これは冗談だけれども―」


スクリーンパネルに映し出される聖書の数字―


神話や寓話には、数字が良く出てくる。八岐大蛇、猪八戒、ティアマトが生み出した十一の怪物、ヘラクレスの十二の功業、十四片にバラバラにされたオシリス―そんなものに意味があるのか―

「意味はもちろんの事、意味よりも本質を見なければいけない。本来、数字に良いも悪いもない。だけれど数には特質があるの。そうでなければ十一使徒でも、十三使徒でもいいじゃない?イスラエル十二支族、黄道十二星座、暦、十二支、時計、あら不思議、十二ばかりね―」

十二使徒―

イエスと太陽神ミトラは、幾つもの類似点がある。十二月二十五日、処女から生まれた。十二人の弟子をもち、数多の奇跡を起こした。死んで埋葬された三日後に復活したのも同じ。ミトラは、真理、光、などの別の呼び名を持っていた。神聖な崇拝日は日曜日。そして、エジプト神話のホルスもイエスと類似点がある。ホルスも処女イシスより生まれると、東方から星が現れ、三人の王が祝いに駆けつけて、新しい救世主として崇拝した。十二歳で天才児として教育者となり、三十歳でアナブによって洗礼を受け、聖職活動を始めた。十二人の使徒と旅を共にし、病を治したり水の上を歩くなどの奇跡を起こした。ホルスもまた真理、光、神の子、よき羊飼いなどの多くの名前で知られていた。タイフォンに裏切られた後、十字架に張り付けられ埋葬されたが、三日後に生き返った。さらに、ヒンドゥー教のクリシュナは、処女デーヴァキーから誕生し、東方に輝く星が出現した。弟子達と数多の奇跡を起こし死んだ後、復活した。すべて酷似といっていいくらい同じだ。すべての話が、イエスの話より古い。だから俺は聖書を信用しなくなった。だが、果たしてそうなのか―

ドミナと目が合う。にっこり微笑む。やはり、あなたは美しい。それだけは間違いない。


「ダン族のシンボル、そして、あなたの鷲―」


スクリーンパネルに映し出されるヘブライ語の単語―


鷲(ハネシェル)

5+50+300+200

=555


「あら、これって偶然かしら?鷲があなたの“5”

ゾロ目の三つの同じ数字、それは、三位一体、完全を表す。そして、“キリスト”という言葉は、聖書に555回出てくるの。そこまで人が作り込めるものなのかしら?」

聖書の話は、書かれた時代も記者も違う。確かに人が作ったにしては、出来過ぎだ。

あまりに出来過ぎだ―


「五人の賢い乙女と五人の愚かな乙女の説話は、ご存知かしら?」

俺は、よく知っている。オヤジがよく話してくれた聖書の説話だ。

「マタイの福音書に出てくる話だ。五人の賢い乙女は花婿を迎える、ともし火の油を予め用意していて切らさなかったが、五人の愚かな乙女は、油を用意してなかった。花婿が到着した時に油が切れてしまい、ともし火は消える。急いで油を買って花婿の家に駆けつけるも家の門は固く閉ざされていた。愚かな乙女たちは家の中に入れて欲しいと懇願するも花婿の家の主人から「はっきり言うが、わたしはお前たちを知らない」と言われる。結果、五人の賢い乙女は天国に入れて、五人の愚かな乙女は、天国に入れなかった。」

「そう、花婿を迎える、ともし火の油を切らせてはいけない。それは、とても愚か。

このお話から分かるように“5”

それは“区別”の数字―」


スクリーンパネルに映し出されるギリシャ語の単語―


〔区別:Διάκρισις(ディアクリシス) 〕

4+10+1+20+100+10+200+10+200

=555


「世界は、待っている。花婿を迎える、それは乙女の“願い”」


〔願い:ἐπιθυμία(エピテューミア)〕

5+80+10+9+400+40+10+1

=555


「“5”は、“10”の半分“― “5”は、とても重要な数字―」


エピテューミア―聞き覚えがある。

プラトンのパイドロス―馬車の比喩だ。

「エピテューミアは、プラトンのパイドロスの中で出てくる。その話で、エピテューミアは“欲望”だ。」

「あら、面白そうね。聞かせてちょうだい―」

俺に、訊かなくても知っているだろう。まあ、喋ろう。

「パイドロスの中で、魂の三分説を唱えるのに用いた御者と、二頭立ての馬車の話だ。御者は、〔理知: λόγος,(ロゴス)〕右手の馬は、〔気概:θυμός(テューモス)〕左手の馬は、〔欲望: ἐπιθυμία,(エピテューミア)〕右手の馬は、姿が美しく、節度と慎みを持ち、鞭打たずとも言葉で命じるだけで従う従順な良い馬、左手の馬は、姿が醜く、放縦と高慢であり、鞭と突き棒によってようやく言うことを聞く不従順な悪い馬。

天上の世界で、神々の馬車は、天球の外に位置する“真理の野”にある様々な“イデア”を楽しむために、天球の頂上へと昇っていく。

御者と馬には、それぞれに翼が生えていて、神々の馬車の後を追い、人間の馬車もイデアを見るために真理の野を目指し、天上の世界へと駆け上っていく。

しかし、左手の不従順な馬が御者の命令に従わず、地上に引っ張るので頂上までなかなか到達できない。

その中で、ある馬車は、何とか左手の不従順な悪い馬を御し、天球の外に首を出し、イデアを垣間見ることができる。

別の馬車は、左手の不従順な悪い馬を御すことが出来ず他の馬車と衝突し、翼を傷つけたり折ったりしながら落下し、イデアを見ることができずに終わる―」


「なかなか面白い話ね。 まるで左手の悪い馬はあなたのような荒馬―“欲望”それは必ずしも悪かしら?人は、どこまでいっても“欲望”を持つ。無欲になるっていうのは、何も持たないっていう欲望。だけれども、“欲望”のパワーは凄いの。不従順なそれをコントロールしてその衝動を聖き良きものへ昇華する。それは、他の動物にはできない、人にしかできない。物語の中で欲望はずっと悪いままかしら?そうではないはずよ。だから、“5”は、“区別”なの。人々は、大切なものを失い、ともし火の油を用意せず、欲望の赴くままに生きている。それなのに、その実、心の奥底では誰しもが救いを求めている。 “5”が世に現れる時、それは、“区別”の時―それは、人々の“願い”そして、“5”とは、他でもない坊や、あなたなの―」

確かに、欲望が狂気を生み、狂気が、様々なものを創造する。

だが、狂気は時にモンスターを創造する―

「“V”それは、“X”のひとり―」

“V”それは、“X”のひとり―


「お腹空かないかしら?何か美味しいものでも食べに行きましょうよ。それとも、お話を続けるかしら?」

お腹空いたかと言われれば腹も減ってきたような気もする。それ自体、気のせいなのだが、ここでは触れない。“気”も元来、日本は“氣”とゆう字を使っていたが戦後GHQによって変えられた。それも、ここでは触れない。たたかいはしなくて良くなったのか?メシでも食べようか。食べに行くってどこに行く?

「いや、このまま、話そう―」ようやく喋れる。俺の話を―幻の世界の話を話そう―

「Why not?(もちろん)―では、お話ししましょう。」

 

―人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そのまさか―“まさか”が訪れる時、それは遥かまえから始まっている。俺はこの後、己を恥じた。“口は災いの元”“噓つきは泥棒の始まり”“恥の上塗り”これらは大金を積んででも買うべき珠玉の言葉だ。諺や名言には先人の叡知が詰まっている。時代の風雨に晒されながらも生き続ける言葉、それは“黄金”目に見える黄金は奪われるかもしれないが本物の黄金は奪われない。駄弁を弄するのもこれくらいにしておこう。


「幻のくには―」

「ちょっと、ごめんなさい。“幻の大地”よね?―なぜ、大地を“くに”と言い換えるのかしら?幻の大いなる地、それは“幻の大いなる血”よね?なぜ、偽るのかしら?なぜ隠すのかしら?坊や、まだ迷っているのかしら?恐れを捨てなさい。」

 ドミナは銀粒仁丹を噛む。目が合うと微笑みをプレゼントしてくれた。氷の微笑とはこれか―

「いや、それは―」

ドミナの目が妖しく光る。

「坊や、御託は、もうよい。なぜ、偽る?なぜ、自分を信じない?」

「いや、だから―」

「もうよい。お前は、若き日にも逃げた。そして、また逃げる―」

そうだ、思い出した。封印した記憶―1999年の夏―俺は、天の声を聞き、無視をした。俺が信仰から離れたのは、恐ろしくなって逃げたからだ。

「自分を偽るものは天を呪い、民を欺く。そのような者に天は救いの手を差し伸べぬ。われは全知全能の創造主にして暗黒の破壊神、われこそが夢、われこそが真理、われこそが全―もうよい、お前には務まらない―」

頭を金槌で思い切りぶん殴られた。

ノーを言い続ける相手にイエスを言わせるにはどうすればいいか?それには、こちらがノーを突き付ける。言われた方は、いきなりの事に面食らう。この時の俺がまさにそれ。

待ってくれ…

いや、俺がやる―

「待ってくれ!俺が、やる。俺にやらせてくれ。すまない、語呂あわせのようで厭だったんだ。こじつけみたいで。どこかでバカげていると思っている自分がいたんだ。俺の記憶の混濁が生んだ産物だって、疑っていたんだ。俺の勝手な妄想がいい加減なヴィジョンを見せているだけだって…体験している事も、なんかいままで見た映画や漫画、ゲームみたいで…信じている。分かっている。―言い訳もすまない。―いや、信じてなかった。―全部洗いざらい喋る。スフィンクス、ダン、153匹の魚、全部聞こえているし見えている。数を合わせてる。待ってくれ。すまない。信じる。自分を信じる。少し待ってくれ。自分を信じる―」とんだ赤っ恥をかいた。ミカ書をよく読んでおくべきだった。いや、ヨブ記か―

いや、問題はそこではないな、潔くなろう。―俺は無―色がない無……………よし、喋ろう

「話すよ。ここから言わせてくれ。何でも喋る。ここから言わせてくれ。俺は、魔王に勝った後、幻の大地に行けるようになり、深い霧の中を歩いた。ずっと、歩いていると、大きな白い虎のような豹のような牛よりも大きい動物と出会った。ライオンにも見える、ネコ科だ。襲われると思った瞬間、飛び掛かってきたかと思うと俺の背後にいた化け物に勇敢にも立ち向かった。俺に襲い掛かろうとしてきたんじゃない。助けてくれたんだ。その大きいネコの動物は化け物を倒した後、俺に飛びついてきて強く抱きしめてくれた。俺は、すぐに分かった。死んだ飼い猫の“ピカ”だったんだ。そうしたら、次の瞬間にまだピカが生きていた頃の現実に俺はいて、ピカを抱きしめていたんだ。過去にいたんだ。ふつう現実では起きない。起きるわけがないんだ。おかしい話なんだ。この話を、誰も理解できなくて、理解できないだろうと思い、言わなかった。いや俺は誰かに言ったんだ、だけど俺は腫れもの扱いされて、悔しくて、悔しくて堪らなかった。後悔した。俺はどこもおかしくない。おれはキチガイじゃない。もう誰にも言うまい。信じた俺が馬鹿だった。もう誰も信じない。もう誰にも言うのが厭になったんだ。戻れた日、それはまだ子猫の時で、母から「なんであんたはピカばっかり可愛がるの?」って何もない過去のその日、俺はピカを嗚咽しながら抱きしめたんだ。なんでって当然じゃないか、俺の旅の友なんだ。いつも一緒にいた友なんだ。俺の大切なともなんだ。俺はこの時ほど神に感謝した時はない。この時の気持ちは言葉では言い表せない。―天からきいた声を初めて理解できたんだ。体感じゃない、体験したんだ。肉体ごと現実世界の過去に行ったんだ。―ふたたび目を開けると幻の大きい“ピカ”だった。幻の大地での頼もしき相棒だった。凄まじく強かった。いつも一緒で楽しかった。本当は、俺は一度も戦ったことがない。いや、あるがそれはまた別の話だ。魔王としか戦闘はしていない。魔王に勝ってから幻の世界では、戦うのはいつもピカで、いつも俺を守ってくれた獅子、 俺は、倒した化け物の魂を浄化する係だった―」


22.4.20

“お前は呪われた穢れた血の子だ。お前は狂っている。頭のおかしい狂人だ。狂人とはケモノの王、そして人。ただの人 お前は人だ ケダモノの凡人だ 人こそケダモノだ。 “Motherfucker”お前の母ちゃんデベソ 悔しいのう 悔しいのう グワハハハハ 木偶の棒 魔王のわたしには勝てぬ、人ごときが勝てぬ 叡知と無知 哀れだ 虫の息でなにか もの言えるのか 立てないだろう 死に損ないの醜いものよ もうこれ以上は限りなく理がない。無理はするな、小僧。もうこれ以上はお断りだ―シシシシシシ 無様だ 人の子よ ハハハハハハ お前はただの石 道端に転がるタダの石ころ お前の意志は報われない遺志 ナハハハハハ 憐れな生き物よ 死ね ここで息絶えるがいい もう用がない シッシッシッシッシッシッ”


“very funny, 確かに俺はのろまだし、死にかけで血まみれだ。美しいだろう    “fuckinPsycho ”俺は狂っている。いい年こいて乳飲み子なんだ。色んなお母ちゃんのおっぱい吸いまくるキチガイの変態だ。“Bravo”完全なる狂人。ケモノも肯定しよう。俺は毛だ。毛のものだ。俺は動物が好きだ。飼い猫は俺の可愛い“子”だ。色んな事を学んだ良き“師”だ。そう俺は、獅子の王。お前に教えてやる、“子”も師という意味があるんだ。よく覚えておけ、この生き物ですらない哀れなものよ 死にたくても死ねない、ものですらないものよ 俺が士師だ。お前は死屍だ。俺が血でお前は肉だ。ほら四肢を与えてやったぞ “猪”おすわりしろ 俺が子之だ。魔王がどうした、無駄なんだよ、ひと様相手に頭が高いわ、俺は死屍に鞭打つもの 何か返してみろ、何か掛けてみろ、問答しだしたのはお前だろ、息絶えろだ お前がその臭い息をどうにかしろ お前が息止めろ、臭いんだよこの乞食。お前は乞食だ。俺が王様でお前は乞食だ。乞食が俺に口答えなど百年はやいわ。 人さまに言われて情けないな、この乞食。ストーンとととのったぞ《Rolling Stone》【王様と乞食】ととのいました《Lock》”



ほうら、バカげているだろう?だから、俺はこの話をしたくない。



 はじまりがあり、おわりがあるのではない

 それらは同じ日同じ時間同じ場所で起こっている

 すでに起こった星のかけら

 おわりのないはじまり

 それが今日はじまる

 決しておわりなきはじまり

 それが今日ととのう



「夢の世界、幻の大地、天空の城、―それらは、俺が子供の頃に熱中して遊んだゲーム。だから、俺は自分の思い込みを疑った。こんなバカげた話もない。

―オヤジから続く俺の物語―ゲームの内容とまったく同じなんだ―」

「真実は、時にバカげている。そうゆうものよ―

ひとつ、いいかしら?あなたの物語は、本当にお父様から続くお話かしら?」

え?どういう意味だ?

ドミナがゆっくりと喋りだす。


「あるひとりの女の子が東北の寒村に生まれた。彼女は、生まれつき、腎臓がひとつで子宮がふたつと特異な体を持って世に生まれおち、数奇な運命の人だった。西暦1949年1月1日生まれ。役場に届けた日付は昭和二十四年一月二日。その年の干支は己丑。その頃は、元旦は役場が休みで信心深い女の子の父ちゃんは験が悪い、縁起が悪いと一月二日生まれとして役場に届け出た。女の子は、生まれた時に、息をしていなかった。厳密には虫の息で、それは、てんかんのような症状、当時の人たちは、それを“恐怖の蟲”と言った。迷信深い昔のひとは自然を敬い、祟りを畏れた。生まれた赤子は碌に乳も飲まず目も虚ろで満足に泣きもせず、可愛くもなんともなかった。実際は、わが子だもの、親は持てるだけの、それ以上に愛情を注いだ。毎朝、毎夜、天を拝み、祈りを捧げた。隣町だろうと山をひとつふたつ越えようと高い代金吹っ掛けられようとわが子を治してくれる医者を探した。そんな親の苦労も水泡に帰す時が来た。見かねたお天道様が終ぞ楽にしてくれた。乳飲み子も早くも世とのお別れの日が訪れた。それは天津国への旅立ち。女の子は二度目の誕生日を迎えることなく息を引き取った。親の心には嵐が吹き荒れ、雷鳴が轟き稲妻が走った。豪雨で洪水になり防波堤は決壊した。天を仰いだ。地にひれ伏した。天の計らいとはおそろしい。その時そこでは土葬であった。その地域では親が子の埋葬に立ち会うことは禁じられていた。亡骸は蜜柑箱に入れられた。それは、みかんの木の箱、ミカンのがん箱。ミカンのがん箱は女の子の父ちゃんの親友のおんつぁんが背負って山に埋めに行った。暗い夜、松明をもち山に登りはじめる若かりし日のおんつぁん、麓、突如、暗夜に灯を失う。松明の火が消えたのだ。山に灯される怪火、頭に葉っぱが落ちてくる。突然のことに吃驚した。狐か狸か、がん箱は動き、骸が哭いた。おんつぁんは目ん玉、丸くした。ゴホゴホゴッホゴッホ咳き込んで泣き咽ぶ幼子、女の子は生きていた。葬式の日に、盆と正月が一緒に来た。おんつぁんは小躍りして村に戻った。早く報せてやらねばと、家路を急いだ。祭りだ、祭りだ。白い鯨幕の色が変えられた。こころの浅黄幕が紅に変わった。両親は吉報に胸が跳ね上がる。家は、歓喜乱舞した。暗夜にいのちの灯がともった。

偶然、それは奇跡―

女の子は元気いっぱいすくすくと育った。女の子は大人になり結婚し沢山の子宝に恵まれた。艱難辛苦、それがこの女の子の生き様。女の子は何度も大病を患ったが何度も乗り越え、今日も元気に生きている。なぜ、女の子は生かされたのか?それは、親から子へと連綿と続く糸。女の子の物語は、まだ終わらない。だって、物語は、未完だもの。」


俺は、自然に溢れる涙が止まらなかった。おかんだ。女の子は俺のおかんだ―

死んだ爺ちゃん、おかんの父ちゃんは戦争で満州に行った。

部隊は、ほぼ全滅だった。

戦争から帰ってきた爺ちゃんは、瘦せこけて杖をつきながらなんとか帰ってきた。

帰ってきた時にわが親が、見分けがつかなったのだから相当だったのだろう。

そうだ、親が、その親が、親たちが必死で繋いでくれたいのち―連綿と続く糸―

未完なら俺が、この俺が、

この俺が完成させよう―


「そう、親たちが繋いでくれたいのち―あなたで完成させましょう。それが、はじまりなのだから―」


おかんが幼き日の俺に詠んでくれたうたを思い出す。


“貧しいものにも幸福になる権利がる 

名も知らぬ野の花にも春を待つ喜びがある 

人には親切にしなさい 

人に与える親切はきっとあなたにかえってくるものです ”


「素敵なうたね。素晴らしいお母様だわ。誰しもが男と女から生まれる。続いてる糸は、お父様だけではないのよ。糸は複雑に絡まっているもの。それを紡いでいくのが、坊や、あなたの仕事よ―」

俺は、もう逃げない。

俺は、俺の仕事を全うする。


「あなたは、若き人妻を好きになり、若き人妻もあなたの事が好きだった。ほんのアソビのつもりが適切な距離が保てなくなった二人。若き人妻がどんどん自分を好きになってくる。その事に、あなたは、不安を抱いた。どうしようもない状況をあなたは天のせいにした。なんで、自分の人生の設計図はこうなのだ。あなたは、恐れることなく天に言った。「なんで、俺をこんな状況に追いやる?神だろうが何だろうが俺は、絶対に許さない。」

その魂の叫びは、時空を超え、物質を超え、銀河を揺らした―」

そして、その日のうちに魔王が現れて、俺はボコボコにされた。


「ひとつ残念なことを教えてあげる。残酷な事かしら、あなたが倒した魔王、これから戦う敵は、優に百倍は強いわ。求めるものの声を盗み聞き、与えに来る魔物。本物の盗っ人は数の秘密を盗み、世界を征服しようとしている。魔物には取り込まれたり、取り憑かれないように十二分に注意しなさい。」絶句―圧倒されるとはこういうことなのであろう。魔王、どれだけ強かったか知っているかい?そりゃあ、知ってるか。あれの百倍とか無理。無理です。むり、ムリ―

「ねえ、わたしお腹空いたわ。坊や、何か食べに行きましょうよ。お寿司、焼き肉、中華、フレンチ、イタリアン―何にする?行きましょうよ。ダメかしら?」

やっぱりボクは無理です…

「お寿司にしましょう。坊や、いいかしら?」

いまから白旗の正しい振り方をセーラーマンに教えを乞いに旅に出ます。それがいいです。“三十六計逃げるに如かず”です。もうボクを探さないでください。

いつの間にかドミナは俺の背後に回るとぎゅっと抱きしめてきた。

「なんで素晴らしいお母様からこんなバカが生まれたのかしら?」

―嗚呼、背中から感じるおっぱい、いい、その感じ―

「なに?坊や、何か言った?」

嗚呼、気持ちいい―

俺はおとされた―



ヨハネの黙示録17:11

昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。


イエス・キリストが地上に作る楽園“the Paradise on earth”千年王国“the Millennial Kingdom”は【九番目】の王国である。そして、新天新地“New Earth”が【十番目】で完結すると云われる。いや正確には、“X”は終わらない、新点新血は決して終わらない、それは全と部の集大成。続く“XI”が全と部のはじまり。―おわりなきはじまり― 


 

ヨハネの福音書3:14

そして、ちょうどモーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない。

       

マタイの福音書10:16

わたしがあなたがたをつかわすのは、羊を狼の中に送るようなものである。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。


マタイの福音書12:34

まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。



・ダン(ヤコブ五番目の子)

創世記30:5 -6

ビルハ(単純、無関心)は、みごもってヤコブ(踵をつかむ者)に子を産んだ。6そこでラケル(母羊、雌の羊)は、「神はわたしの訴えに答え、またわたしの声を聞いて、わたしに子を賜わった」と言って、名をダン(裁き)と名づけた。


創世記49:16 (ヤコブの十二支族遺訓)

ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。


創世記49:17-18(ヤコブの十二支族遺訓)

ダンは道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむし。馬の踵を噛んで、乗る者をうしろに落すであろう。18主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。


申命記33:22 (モーセの祝言)

ダンについて言った、「ダンは獅子の子であって、バシャンからおどりでる」



ダンはヤコブ五番目の息子―

ヤコブの妻、ラケルの側女ビルハの生んだ子で、ダン族の始祖である。

ダン族で一番有名なのが、士師記に出てくる“怪力サムソン”

サムソンの話を少しだけしよう。


サムソンはイスラエルの民がペリシテ人の支配下で、圧政に苦しんでいる頃に活躍した士師。士師とは裁き司。要は裁判官だが、現代の裁判官とは役割も内容もだいぶ勝手が違う。民族の指導者であり神から任命された裁判官なのだ。士師記自体が聖書の中でも少し、特異な話だが、その中でもサムソンはひときわ異彩を放つ。神より聖別されたナジル人として生まれるも大酒のみで女好きで、あり得ないほどの怪力。そうかと思えば謎かけなどを好んでするインテリジェンスな面も併せ持つ。怪力と言えばサムソン。なぞなぞといえばサムソン。素手でライオンを殺すわ、ロバの顎骨をふるってたった一人で千人の敵を無双するなど桁外れに強い。婚約したペリシテ人の女との婚礼パーティーでサムソンは謎かけをする。その婚礼パーティーにはペリシテ人三十人が祝いに駆けつけていた。イスラエル人とペリシテ人、敵同士の結婚。もう、それだけで何かよからぬことが起きるかもしれないお膳立ては出来ていた。

「食らう者から食い物が出、強い者から甘い物が出た」その宴席上で、この謎を解けたら亜麻の着物と晴れ着三十人分の衣を渡すとペリシテ人に約束する。この答えとはこうだ。サムソンが素手で殺したライオンの死骸に蜂が巣を作ってハチミツが出てきたのだ。そんなもの誰も解ける筈がない。誰も知らないのだから解ける筈がない。実際、誰も答えられる者がいなかった。そこでペリシテ人はサムソンの新妻に、サムソンから答えを聞き出すように迫る。そしてサムソンは、新妻に答えを漏らしてしまう。あまりにしつこく訊いてきたからだ。新妻から答えを聞いたペリシテ人はこれみよがしに勿体ぶって答える。「蜜より甘いものに何があろう。獅子より強いものに何があろう。」答えられないはずの謎かけを解かれてしまったサムソンは怒り心頭で、別の村の全くなんの関係もないペリシテ人三十人を皆殺しにすると三十人分の衣を追い剥ぎして、三十人分の衣の約束そのものは何とか果たす。もう、この時点で正気の沙汰ではない。常人の理解を遥かに超えている。殺された三十人は堪ったものではない。その新妻のお父上が良くなかった。サムソンが怒って帰ったと思い、あろう事かサムソンの新妻である娘を宴席にいた他の者にあげてしまったのだ。代りに妹をやると言ったが相手が悪かった。さらに怒り狂ったサムソンは、ジャッカル三百匹を捕まえ、二匹のジャッカルの尾と尾を結びつけると松明で火を点ける。熱くて堪らないジャッカルは慌てて走り出す。そのジャッカルでペリシテ人の畑という畑を焼き払った。もう、無茶苦茶である。ちなみに余談だが聖書によってキツネと訳されるが、これはジャッカルで間違いない。ジャッカルは夫婦で行動する夫婦の象徴の動物で、ジャッカルでないとこのエピソードの意味が半減してしまう。第一、サムソンが単独行動のキツネを一匹ずつ捕まえる面倒なことなどしないだろう。

そんなサムソンは神よりその怪力を授かっていたが、ある日、惚れたペリシテ人の女デリラに怪力の秘密を漏らしてしまう。デリラがあまりにしつこく訊いてきたからだ。サムソンの弱点は、生まれてから一度も剃刀を当てたことがない髪の毛。サムソンは寝ている間にデリラに髪の毛を剃られてしまう。神より授かりし怪力を失ったサムソンは眠っている所を待ち伏せていたペリシテ人兵士によって夜襲を食らう。反撃するも怪力を失ったサムソンは簡単に取り押さえられてしまう。取り押さえられると、両目をえぐられ、捕まってしまう。盲目になったサムソンはガザの牢で牛や馬のように粉挽きをさせられた。掴まって一年ほど経ったある日、神ダゴンへの感謝のパーティーでペリシテ人はサムソンを見世物にして披露する。神殿の屋根の上には三千人程の見物人がいた。しかしサムソンは神に祈って怪力を取り戻し、「わたしはペリシテ人と共に死のう」と言い、二本の柱を倒して神殿を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連れにして死んだ。このとき道連れにしたペリシテ人はそれまでにサムソンが殺した人数よりも多かった―

怪力サムソン、圧巻の人生である。

そのサムソンが何の関係があるのか?

俺は、暴れ回る怒り狂ったサムソンの夢ばかりをある日からよく見るようになった。

ダン族のヒーロー、サムソン。

俺がサムソンとなって暴れ回る夢を見る。これは本当に夢なのか?

実に生々しく、現実のような夢―

もしくは、この俺が生きる現実が夢なのか―俺がサムソンの夢なのかサムソンが俺の夢なのか―

ペリシテ人の謎かけの答えが、また新たな謎かけを生んでいる。

「蜜より甘いものに何があろう。獅子より強いものに何があろう―」


          

    ―All my life is changing everyday,― “One day at the age of 7”


「はい、みんなこれ分かるかな?スフィンクスのなぞなぞ。朝は四本足、昼は二本足、夜になると、三本足。これなんだ?」教室の中、逸るように何人かの子が手を上げる。はい!はい!はい!はい!

「はい、では、はなぢくん!」

「こたえは人間!朝は、赤ちゃん。ハイハイで四本足。昼は、大人。大人だから二本足。夜は老人。杖をついて三本足。」

「はなぢくん正解!答えは人間。みんな分かったかな?このなぞなぞは世界で一番古いなぞなぞよ―」

はなぢブーを中心にはしゃぐ教室をよそに俺は一人だけ浮かない顔をしていた。腑に落ちなかったのだ。車椅子の人とかはどうする?それが言いたいわけではなかったがどうしても納得がいかなかった。俺は違うと思い即興で思いついたことを言おうと手をあげた。

「先生、答えは犬です。うちで飼っているシェットランドのアメディオです。」

教室のみんなが一斉に俺をキョトンと見てくる。

先生は慌てて遮ろうとしてきたが、俺は構わず続けた。

「アメディオは、朝は散歩に連れて行って貰おうと大人しくおすわりをしています。飛び掛かってきたら殴られるから大人しいです。でも、土曜日とかお昼に帰るとよほど嬉しいのか二本足で飛び掛かってきます。もちろん殴ります。でも夕方、散歩に連れて行くのが遅いと、しびれを切らし、怒って僕の靴におしっこを引っかけてきます。その時に三本足で、こうやってチャーっと。」

教室に大爆笑が沸き起こる。先生はわなわな震え、一瞬で教室を凍り付かせると俺をひっぱたいてきた。あとで職員室に呼ばれ怒られる、絞られると散々な目に遭った。こっぴどく叱られているその時によしておけばいいのに机にあるなぞなぞの問題文を見てしまった。

“一つの声をもちながら、朝には四本足、昼には二本足、夜には三本足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える。これはなんだ?”

先生が口頭で言っていた問題とプリントの問題が違う。俺は、それに気付き先生を問いただした。

「先生、やっぱり違うと思います。赤ちゃんを見て四本足とは言わないでしょう。お年寄りが杖をついているのを見て三本足とは言わないでしょう。声だって年取っていけば変わるでしょう。おじいちゃんがオギャーとは言わないでしょう。大体、何で先生は問題を変えたのですか?」

呆れた先生はなにか恐いものをみるような目で俺を睨め付けると、もういいと解放してくれた。お前はキチガイだ、キチガイの子だとかなんだとかボソボソ言っていた。

その後、俺はその先生から陰湿な扱いを受けた。まったく喋ってくれなくなったのだ。今更、そんなことはどうでもいい。そんなことは俺も忘れていた。たかが、なぞなぞ。どうせ昔の事。先生だって元々俺が嫌いか生理か何かでイライラしていたのであろう。どうだって良いではないか。誰しもそう思うであろう。百人中百人がそう思うであろう。当の俺が忘れていたのだ。だが、どうでも良くなかった。それが重要な秘密だとしたら?自分に与えられているミッションだとしたら?だから俺は少年時代、あんなに反応したのか。

世界最古のなぞなぞがトリガー―

そんなことがあるのか―



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