―大天奏曲―

―ゴボゴボゴボゴボ―

水の中にいた。目を見開くと美人が俺を押さえ込み微笑している。青く澄んだ空。空を舞う大きな鳥。揺れる木々のさざめき―鏡花水月とはこれか。なにものかが俺の体に体当たりしてきた。それを見る。どじょうか鯰か、大きな魚。醇美とはこれか。かわいい大魚。“beautiful” 光彩陸離とはこれか。なにもかもが美しい。聖し、水とゆうレンズを通して見上げる空は、荒んだ心を洗ってくれて癒しを与えてくれた。美人は水中に顔だけ覗かせてきて俺と目が合った。ゆっくりと水中の俺に口づけしてきた。俺が抱き寄せたのかも。それは同時だったのかも。時が止まってほしい、そう願った。ここに時など存在するのであろうか。―くすぐったい。―魚はおれの乳首をbit してきた。プハッ。俺はくすぐったくて可笑しくて水面から顔をあげた。水のせせらぎ。ここは川か。目に見える光景は美しかった。木々の集まりの森、大きな湖、そのむこうに聳える山々、森の曲がりくねった通り道、川辺、石、草、花、虫、鳥、川、魚、それらの奏でる音色は美しく壮大で心地よく静かだった。

      

 

静かな湖畔の森の陰の中の小川。川をよく見ると小さな魚や綺麗な魚、イモリ、蝦、蟹、螻蛄、色んなものたちがいた。俺は目をあげると、目の前の美人に焦点を合わせた。美人はヘソのあたりまで水に浸かっていておれが跳ね起きたせいで全身に川の水を浴びていた。飛んだり跳ねたりはしゃぐ美人。欣幸。俺は幸福感を覚えた。羽織る白い布は濡れたところが透けていた。透けてみえる乳頭、アンダーヘア、張り付いた生地に浮かぶへその輪郭。おれはそれらに吸い込まれて、魅了された。不思議な感覚に俺の全身を蕩かせた。空を仰ぎ見ると燦燦と照らす陽光、小さな鳥、綺麗な鳥、さえずり、奏でる音色は綺麗な旋律、調光。いろとりどり、こんな事なら早く死ねば良かった。天国が本当に天国だったとは露知らなかった。天にも昇るこの心地、これ以上、どこに昇ればよいのだろう。

「その魚は獰猛なのよ。あなたって面白い人だわ。魚がなついてあなたにまとわりついているもの。」俺の体を旋回しだした大魚。サメみたいに思えてきて一瞬ギョッとしたが仰向けになっているので腹をさすってやった。魚は笑った。

「大男さん、食事にしましょう。わたしのお家においで。ママの手料理をおなかいっぱい食べさせてあげる。」この美人は天使か?スフィンクスなのか?神なのか?まあ、美人だし何でもいいや。俺は川の水で顔を洗い、水をしこたま飲んだ。魚にキスをして岸にあがり纏っていた襤褸を絞った。俺は美人の顔とその下の三点を見つめていた。『わぁ、やらしい』美人はそんな視線を投げかけてきて微笑んでいた。笑い皺まで美しい。「その甕、持ってくださる。わたしはこの貝の網を持つから。おうちで使う飲み水よ、そのお水とこの貝で美味しいパンとスープを作ってあげる。」美人は、羽織っている布を絞りながら俺に甕をもつように促してきた。絞る布から滴る雫。俺はその白と水の二色を見つめうっとりしていた。俺は甕を肩に担ぐと美人も俺の横に来て一緒に歩きだした。左足をひきずりながらだったが、痛みをそんなに感じなかった。川を背に歩きだして数歩、水鉄砲が何発も空から噴射された。綺麗な噴水は虹をつくり、楽しいメロディを奏でていた。二人で川を振り返ると大魚が潮を吹いていた。クジラみたい、あいつは肺呼吸なのか。

「そうよ。肺呼吸よ、あの大きい魚。」

―しまった、迂闊だった。心が読める。そりゃそうだろう。俺の、やらしい妄想も全部お見通し、筒抜けって寸法か。せっかく水気を絞ったのに濡れネズミになる二人。まあ、いいか。―無心になろう。とたんに俺は無口になって立ち止まった。

「男子たるもの、健康な証拠よ、大男さんの淡い妄想は心地よいものよ。ほら、背筋をのばして、シャンと胸を張って歩きなさい。はい、胸に手をあてて胸を張って行進、行進―」

俺はさらに恥ずかしくなり、猫背になり、あてもなく宙で目が泳いでいた。宙を舞う大きな綺麗な蝶々。蝶々はヒラヒラ舞い降りてきて俺の肩にとまるとそこに止まった。

「あら、綺麗な蝶。蝶はとても縁起が良いのよ。レインボーカラー、どの色が出るかしら。わたしたちにどんな良い兆しが待っているのでしょう。」美人は俺の顔を覗き込むように語りかけてくる。俺はとぼとぼ歩く。彼女も歩くリズムを同じにしてくれた。俯いて気と心と熱くなりそうなものを鎮め、高次元のものになろうとしていた。いつの間にか蝶々は彼女の背中に張り付いていた。天使の翼とはこれか―きっと、この事であろう。百花繚乱、森の中は澄んでいた。

「あなたも心を読めるでしょう。わたしのも遠慮なく読んでいいのよ。元々、心で通じ合えるのに言葉なんていらないわ。人間って、不便よね。何でも話さないと分かり合えないのかしら。話っていうのは真理について知見を言うこと。それ以外でする話で意義も意味あるものってないわ。議論とかただの無駄な事よ―」

美人は、そういい終わると蝶と何か喋って微笑んでいた。

「そうよ、わたしは人でも動物でも虫でも石でもなんでも、どんな言葉、どんな言語でもわかるし話せるわ。あなたもできるでしょう?なんで使わないのか不思議ね。お気兼ねなく何語でもどうぞ―」

蝶は、美人の背中から羽ばたくと木々の間をひらひらと舞って去って行った。

俺は、その読心の能力を失っていた。念を送ることもできない。瞬間移動も時空間移動もできない。手に入れた神器も召喚できない。何もかもできない。ある日突然、繋がった夢の世界。そこの三階層目、幻の世界にはなんとか来られる。夢の世界で高い次元に同期すると現実世界では猛烈な睡魔に襲われ、人としてまともに機能できない。傍から見れば魂の抜け殻のように映り、そればかりか虚言のようなもの、奇行のようなものが顕著に目立つ。はた迷惑とはこの事。脳内が画と音で溢れかえり真の意味でのゲシュタルト崩壊を起こす。慣れるまでは文字や記号を見ただけで気持ち悪くなり吐き気を催す。ものが立体的に見え、勝手に分解しはじめ中身とかが見えてくる。3D酔いで何度も吐いた。それくらいならまだしも、あらぬものから邪悪なサブリミナルメッセージを送られてきたり繋がりたくもないものから不用なものが届いたりする。―TJ、お前の事は、忘れていない―俺は狂った運命の歯車の音色を美しくしようとあらゆる空間で藻掻き苦しみ、あまりに深い夢の階層まで潜りすぎてしまった。ダイビングはファンタジックでスリリング、そしてエキサイティングな“リアルRPG”夢の階層をあまり深く潜ると戻れる保証もなければ、精神異常者や廃人、犯罪者になるかもしれないとても危険な禁じられた遊び―

繋がって良いことあるのか―俺の場合は最悪だった。いや最高だったのか。はじめて繋がった時は全身が浮くように軽くなりなぜだか分からないが溢れる涙が止まらなかった。心の汚れがすべて落ちていく。まさに心洗われた瞬間だった。何もかもに“大いなるもの”のはからいが働いている。それを、知った。神はやはりいたのか。お天道様は見ていたのか。それから俺は愚痴や悪口が言えなくなり、あらゆるものに感謝した。よく耳が聞こえ、よく目が見え、いらぬ事を口にしなくなった。”無論、完璧にはできない。人は人。一日が切なく毎日決心し毎日切磋琢磨してきた。信じること。待つこと。本当の意味での疑うこと。それらができるようになった。もともと、無能に等しき俺は猜疑心の塊。待つことができない、零か百。口を開けばいらぬこと多々、とくに相手を罵るときに出る言葉の破壊力は凄まじい。それらを使うのが厭になった。これは俺にとっては大きい。俺の舌と口。高次元よりなによりこれが俺の一番の悪しき武器かもしれない。まものの王を乞食の身にまで窶したのは最終的に俺の舌と口。本当は違うがそうしておこう。毒には毒で悪しきものには良かったのかも。ただ、この天国ではそれがおそらく何の役にも立たない。しかも、使えば使うほど自分の心まで腐ってくる。もう使わない。


美人の家に着くと、神殿か宮殿か城か要塞か、その写象は破壊された。小さな古い家に住んでいた。屋根を見上げると藁と葦、藁と葦で編んだ屋根。石がのっかる屋根。軒や庇もあるのか、木骨造りで石とレンガが配置され、それらを白い漆喰で塗り固めた壁、下地は土だ。心土。心土を使っている。木でできた妖精の小窓と大窓、窓から覗く奥行、手前に覗くのは炊事場、俺はどこか懐かしく妙に落ち着いた。俺は家の門口の前に立つと半開きの扉を、そーっと開け、そーっと中へ入った。


「あなたってとても感傷的なのね。身が持たないわよ。可愛いけどね。ここが我が家よ、甕はそこに置いておいて。少し待っていてね。すぐ美味しいもの作ってあげる。わたしの家族を紹介してあげる。そろそろお乳あげないとね。坊やはそこにおかけになっておいて。」

ん、何か言った?坊やって俺か?家族がいたのか。宙を踏むような心地から地面に叩きつけられ、いきなり地雷を踏まされた。冗談がきつかった。俺の淡い恋は早くも終わった。小さな恋のメロディのオルゴールは悲しい音色。なんでいつもこうなのだろうか。此処は早く切り上げて川で大魚と遊んでおこう。水にプカプカ浮いて大魚に乳首でもsuckして貰い自分で自分を慰めよう。どうせ俺はここで浮いた存在。いらない子。長居は無用。結構毛だらけ猫灰だらけケツのまわりは糞だらけ。今日は大魚と寝よう。大魚に抱いてもらって爪を噛んで親指をしゃぶって浮いたり沈んだりしよう。ああ、楽しいぞ今夜は―

家の中を見渡す。天井を見上げると山羊の毛や羊の毛を編んだ布と木、梁からぶら下がったくるくる回るプロペラの羽。内壁は漆喰で塗り固めた壁、ところどころに心土が顔をのぞかせる。石の土台部分はところどころひび割れていて味がある趣で天国でもこんなノスタルジックなところがあるのだなと感慨に浸っていた。彼女は赤ん坊を抱いて戻ってきた。“Oh mamma mia”露わ、たわわ、はだけた乳房。あらら、授乳している彼女―Natural boobs, Areolaは濃茶色で、気もそぞろ、淫靡な妄想が頭を駆け巡りそうなのをなんとか踏ん張ってなんとか堪えた。突然、掛けていた木の椅子が壊れて俺はその場に途転と尻もちをついた。

「その椅子はよからぬ考えのものが座れば壊れるの。椅子にふり落とされるの。」彼女が手をかざすと壊れた椅子は元通り組みあがった。桃色の淡い妄想は椅子にまでお見通しだったのか。思考には注意しよう。天国とて同じ。心が読まれるぶん、地上より制約が多い。俺は直った椅子には掛けずに突っ立ったまま赤ん坊が吸うおっぱいを眺めていた。“乳母欲しさに赤子に接吻する”今日はそんな姑息な手は使わない。俺はもう何も気にしない。気にするべきは一点の、乳よ、母よ。「あら、懲りない人ね。そんなに欲しいの。困ったおひと。坊やにもあとで飲ませてあげるから、そこの甕の水を鍋に入れてくださるかしら―」with pleasure,(はい、喜んで)美人が言い終わらない内にテキパキ動いて鍋に水を移し替えた。ボク坊や。坊やって呼んでください。ご用命あらば何なりと。はい、雑用や料理が大好きです。お役に立てるだけで光栄です。今度は薪ですか?なんでしょうか?―女主人(ドミナ)にお伺いを立てた。左足を見るとまだひどいケガだったがもうあまり痛くなかった。ドミナが火をおこし、貝を剥き、俺が鍋に水を張るとドミナが鍋の水に月桂樹の葉を浮かべた。言われたとおりに無心でスープの材料を切り、切ったものを鍋に入れていき言われた調味料を言われた分だけ足していった。貝を剥き終わったドミナは赤ん坊を負ぶって粉からパン生地を練って作っていた。時折、意味のなさそうなことを話しかけてきては間を繋いでくれたが、ご主人様、坊やにどうかお構いなく。breast feeding,の為にも目の前のスープ作りに専念した。そういえば、食事は何か月ぶりであろうか。食べることに注意が向いたおかげで腹が減ってきた。腹の虫がぐうぐう鳴ってくる。ドミナは水にさらした貝のむき身を、布巾で絞るとそれらを鍋にそっと流しいれた。

「これからたたかいだからね。しっかり精をつけなくちゃね。Bad boy.」―やる気満々じゃないですか、ご主人様。―パンも焼けてきた。スープを一口、味見して「good!」と言うので、俺はどんぐりを挽いた粉でとろみをつけてスープを完成させた。料理の出来上がり。お玉で皿にスープをよそうと、ドミナは籠に焼き立てのパンを盛って、俺はそれらをテーブルに並べた。ああ、香ばしい。椅子に座るべきか戸惑ったが、なんとか無心に務めて腰かけた。ドミナはちょうど対面に座りその横で乳呑み児は吊り下げられたゆりかごにゆらゆらと揺られていた。スヤスヤ眠るよい子だなあ、可愛いなあ、男の子だろうか、女の子だろうか、名は何と言うのだろう。俺は赤ん坊を改めてまじまじ見てうっとりしていた。

「さあ、食べましょう。はい、いただきます。たんと召し上がれ。この子はわたしが起こさない限り起きないのよ。起きると危険だから。赤ん坊は男の子よ、大きい坊や。名はなにがいいの、名をまだつけてないの。坊やが名付けてくださる? それと、こらちょっと誰もとらないからもっとゆっくり食べなさい。坊やが何か月も食べてないのは分かるけど、もっと味わいましょう。」

「あ、ごめんなさい。」―俺はパンとスープを野犬か豚の如く貪っていた。うまい。四杯目のおかわりでスープの鍋底が見えてきて、鍋底を全部かっさらった。

「あらら、旦那の分まで食べたのね。」

俺はすでに死んでいる。これ以上死ぬにはどうすればよいのだろう。旦那がいるなんて聞いてない。嵌められた。なんでこういつもこう。俺がその旦那に木端微塵にされるとところまでは見えた。好きにしてください。

「フフッ、嘘よ。旦那様は当分帰ってこないの。お腹は足りたかしら、足らなければ、まだ作りますけど。大丈夫かしら?」いえ、幸せいっぱい胸いっぱいお腹もいっぱい。吸いたいのはおっぱいです。麒麟さんが好きです、でもあなたの事がもっと好きです。椅子は崩れなかった。早く退去せねば。見える。旦那から怒りの鉄槌を食らうことは目に見えている。狂気してハンマーかなんかで滅多打ちにされる。どうせ塵芥にされるなら皿まで食べてからできるだけ早く遠くに逃げよう。

ドミナは微笑し下げ膳をし始めたので、

「ドミナ、それは坊やの仕事です。」と俺は勢いよく立ちあがった。

「慌てないの。悪い事考えれば悪いことが起こるわよ。片付けは、わたしがするわ。良い子だから座っていて頂戴。」それでも静止を振り切り手伝おうとすると手を振りかざしてきて動けなくされた。喋れない。あれこれ雑音を伝えすぎた。思考も止められた。雑念まで、嗚呼、残念―


―真っ暗になる世界。光。麗姿のドミナが裸で近づいてくる。完璧な裸婦―


「旅人よ、よくぞ来た。そなたが見えているわらわの姿、川、森、家、鳥、花、湖、魚、蝶、甕、家族、パンとスープ。蜻蛉、栗鼠―なにもかも全ておぬしの想像だ。想像が創造した世界。そなたが見たいものをみて、わらわはそれをみて楽しんでいる。そなたはそれをみて楽しんでいる。わらわは見たいものになれる。そなたはみたいものを作れる。この相関をよく覚えておきなさい。そなたがみたいものは面白い。わらわもすすんで力になろう。そなたは万能、故に、わらわも万能なのだ。わらわも万能、故に、そなたも万能なのだ。思い出しなさい。―わらわと話すときにそなたは言を選ぶが、それは不要。どんなものも見える、どんなものも聞こえる、どんな言語もどんな単語も即座に解する。それをわらわが改めて訊くときは、わらわの為ではない。それをわらわが掘り下げて訊くときは、わらわの為ではない。それは一理であって二理もない。一面であって二面もない。一側面であって二側面もない。わらわは楽しんでしているが、見下していない、見くびっていない、蔑んでいない、嘲っていない、侮っていない、わらわは慈しみと愛しみに溢れておる。誰が為に、何の為になのか、それはそなたが感じなさい。よろしい。これから、そなたとわらわ、お互いの存続をかけたたたかいを始める。それは存在を懸けたたたかい。命を賭したたたかい。いざ心するがよい―」


片づけを終わらせたドミナは俺の手足の爪を削って研いでくれた。足元に跪き、優しく微笑みながら足を洗ってくれていた。―これが俺の想像の世界―果たしてそうなのか?神殿を想像すれば神殿だったのか。便所を想像すれば便所だったのか。少女を想像すれば少女だったのか。老婆を想像すれば…まだ口の中にスープの後味があるっていうのにこれ自体が想像なのか。何でいつも “たたかい”なんだ。なんで…意識のさらに深い層へ、深層意識―だめだ、そんなことは今どうでもよい。整理できそうもなかったので目の前の一点に持てる気の全部を集中した。見えなさそうでもろ見えのドミナのおっぱいをのぞき見していた。俺の足先はドミナの腹部と臀部をいったり来たりで全身の肌が揺さぶられ開いた毛穴から毛という毛が波打ち、その漣(さざなみ)でとてつもない幸福感に包まれた。足を洗ってくれながら楽しそうに鼻歌をうたうドミナ。俺は目の前のリアルにだけ集中した。

「ものごとって聞こえるか、見えるか、の二点。それが重要。そこから思ったり考えたりするのが意味もあり意義もあることなの。それが大事。だから道理から外れて思ったり考えたりってただの無駄。これが本当の無駄。全くもって無意味なこと。坊や、良い子だからよく覚えておきなさい。」俺は見える。聞こえる。足を洗ってくれながら上下揺れる彼女に引っ張られるように俺も自然に前後する。阿吽の呼吸。虫が合うとはこの事。もはや一心同体。よもや人馬一体。それらを併せてこの様子を“神馬一体”と名付けよう。―ドミナはたらいを脇にやると洗っていた足を丁寧に拭き、左足に薬草を塗布してくれて麻布をきつく巻いてくれた。俺は口いっぱいに溢れる唾(つばき)を飲み込んだ。麻布を巻き終わると、香油を両足に塗ってくれ、俺の足を軽くポンポン叩きながら立ちあがって、ちょうど睥睨する形で俺の目の前に立った。俺は彼女から微かに香るBreast milkの乳香を鼻腔で楽しんでいた。微笑むドミナの口角はややあがり眼光はさきほどまでより鈍く、視線は打って変わって鋭く隠花植物の雰囲気を放って漂わせていた。俺の真ん前まで迫ってくるとしゃがんで右足に跨り、顔に顔を近づけ吐息を吹きかけてきてはタイミングを外したキスを仕掛けてきた。発する甘い息、発する甘い声、発する甘い熱、発する甘い汗。甘美とはこの事。羽織っている布を緩めると両乳房を俺の顔面めがけて放り投げてきた。今日の俺は焦らしなんかしない、光よりもタキオン粒子よりも早くもっとも早く乳頭に齧り付いた。ゴクゴクゴクゴク―“太い”いままで飲んだ母乳の中で一番太い。母乳 (集合体X)の円周は素麺くらいの太さからよくてカペッリーニかフェデリーニが標準だがドミナのミルクはスパゲティどころでなくうどんくらい太い。もっちりしているのに、こしがある。俺はその美しき放物線のシャワー、ミルクヌードルを玩味した。太くてあまい。うまい。甘い。旨い。美味い。

 おっぱいに顔をうずめる俺の髪を両手で優しく搔き毟るドミナ。「嗚呼、坊や、ミルクは零したらダメよ。絶対に、ああぁ―」この俺がひと雫であろうとこぼすわけがない。神馬一体の俺らの関係においてたとえ一頻りであろうともbetween俺ドミナでそれが許さざれることくらい、俺は心得ていた。乳房を押し上げていた俺の右手は彼女の腹をまさぐり、布を捲りあげるとvulvaにたどり着いた。辿りついたカンタービレな右手は謂わばドミナの体の一部、器官であったが如くpink tacoを包むようにはまとわりついた。ゴッドハンドとはこの事。ドミナの吐息、声、熱、汗、奏でる優雅なメロディはピアニッシモからメゾピアノ、メゾフォルテと段々強くなっていく。もう俺はこの戦いに負けてもいい。―俺は目の前の濃茶ミルクを鯨飲が如くガブ飲みした。太い。うまい。ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクウ―

「セックスってとても神聖なものよ。至極真っ当なことよ、坊やなら分かるでしょう?」

急に仰け反っていた上体を起こしてきて優しさと潤いに満ちた目で見つめてきた。あぶない、危うくミルクを零しそうになったが俺はなんとか持ちこたえた。また顔に顔を近づけてくるドミナ。美しき女豹、彼女からされるがまま、吐息をかけられてはキスをずらされる。美しき緩急。妖しき変幻。おれは堪らず両腕で抱き引き寄せると唇をこじ開けるようにキスをした。広がるミルク。口の中でミルクが絡まり引っ付き溶け合う。

「続きは、おあずけ。坊や、お口直しに食後のデザードはいかが?夕べの森を散歩しましょう。」そう言って急に立ち上がると俺のおでこにキスをして上から見つめてきた。―いやいやいやいや、なにを仰るウサギさん、これがボクのデザートなのですけど。食べかけのおやつをいきなり取り上げられた。俺は狼狽したが何とか持ちこたえた。デザートとはなんぞ。俺はゲップが出るほどミルクババロアが食べたい。―彼女は俺から離れると羽織っていた白布を正し始めた。ああ、そうですか。あわやのところであわや、すわや、―はぶてるとはこれか。拗ねるのはよそう、それを見ておれはドミナに従った。

あら、赤ん坊を連れて行くのかい。赤ん坊を象牙色の布に包(くる)むように包(つつ)むと、吊られたゆりかごに戻した。あら、赤ん坊を連れて行かないのかい。俺は不思議そうにそれを眺めていた。包まれた赤ん坊は蓑虫みたいで、可愛くて可笑しくて俺は笑った。

「夕べの風で冷えないように包んだの。こうすると風邪をひかない元気な子になるの。―さあ、行きましょう。坊や、そこの網を持ってくださるかしら―」

ドミナと二人で家の扉を閉めると、鳳仙花、夕べの森の中をてくてくとことこと歩く。これからなにか始まるのだろうか。ドミナは羽織る白布の上に白紐を襷掛けしていた。ああ、そうですか。なにも始まらないように布を開けないようにしているわけか。つまんないな。―森の中を進んですぐにモミの木があり、もう少し行くとあたり一面に葡萄の木が現れた。デザートとはこれか。ドミナはしゃがみ込んで持っていた貝殻やら野菜の切れ端やらを落ちている枝で穴を掘り土に還していた。俺も立ち止まり目の前にある木を眺めると丸く空いた穴から二匹の栗鼠が顔を覗かせていた。頬を膨らませてモグモグしている様は得も言われぬ可愛さを見せつけていた。ドングリの皮を手と口で上手にむく、プリッと出てくる実、団栗を食べるリス。ああ、なるほど、なるほど。ふむふむ、なるほど。クリトリスとはこれか。違うか。―さらに歩くと一本の木の前に止まる。木いっぱいになる平べったい実。たわわに実るとはこれか。俺は果樹を見上げて眺めた。ドミナが実を一つ選ぶとそれをとり、俺に渡してきた。採果された実を俺は網に入れた。違う木に移動して同じことをする。また違う木に行ってまた同じことをする。三つの実はそれぞれ香り、色や形が違ったが、二つ目でそれが何であるか気づいた。桃だ。デザートっていうのはこれだね。黙々と採果に勤しむドミナに話しかけず、俺は網に入れた桃を鼻先まで持ってきては香りを楽しんでいた。「痛ッ」俺は目の下を葉っぱで切った。葉に刺された。血が出てきた。葉のぬしの木をみる。この木なんの木、気になる木。見上げる樹木を見て思いつく。ああ、これはくすのき、どんぐりころころどんぶりこ「あらあら、坊や、よくみなさいよ。 柊よ、その木は。魔除けにもよいのよ、何のお徴かしら―」ありゃ違うのか、あれ何か用かい、近寄ってきたドミナは俺の傷に癒しの口づけをしてくれた。持っていたベージュの布、手拭いで傷口を拭き、溢れる血を止めてくれた。俺のレンズは妖しいものを接写した。目の前の血が滲むドミナの唇、ドミナは舌を出して血を舐り、音をたてて啜った。ゴクリ。すする口の中におもむろに人差し指を突っ込むと、中の唾を指でしゃくってそれを俺の唇にあててきた。その鈍く光る怪しい指をグイッと口に突っ込んできてしゃぶらせてくれた。均霑とはこの事。


「あなたのその背後にある木、それが南天、赤い実は冬に実り、白い花は夏に咲く―」

俺は振り返り樹木を眺めた。

「あなたは日の沈む西、あなたは夜―」

知っている。乞食にいろいろ方角を言われたが、たしか俺は西だ。その先を教えてくれ―

「あなたって本当にせっかちね。自分の方角も分からないマヌケなの?」

ドミナが森を指さす。

「西の松の木、小さいものをまつ、その木があなたの大いなる加護よ。あなたは南天に愛されて北風に吹きさらされているの。なぜだと思う?北の星にも愛されているの、愛しているからこそ、吹きすさぶ風も強いのよ。“北極星”それがあなたの旅の夜を照らす頼もしき北天の友。その星の守護を信じなさい。」

昼間にドミナと大魚と戯れた川まで来るとドミナは網を所望してきたので、俺は叮嚀に手渡した。ドミナは渡した網を慣れた手つきで手際よく川の水につけた。

「とった桃を冷やすの。すぐ冷えるわ。冷えたら一緒に食べましょう。とった桃は木の中で一番小ぶりの実よ、間引きしたの、小ぶりでもおいしいから安心して。」―摘果ってやつだね。ドミナは川辺に腰かけ、坊やもこっちへと横に座るように促してきた。俺はわざと横に引っ付くように腰かけた。腰かけると、ドミナは笑ってくれて、そのまま寝そべるので、俺も合わせて寝そべった。二人並んで寝転んで見る茜色の空。―夕焼け小焼け―その黄昏のひとときを共有した。


『悪夢を見たら朝早くにわたしに会いに来て見た夢を話して頂戴。あなたのそばに聳え立つ木、それがわたしよ。実を干して薬にしなさい。鎮咳薬、咳を鎮めてくれるわ。せきどめっていいでしょう。南天とは難転 “難を転じて幸となす”あなたにぴったりでしょう。 紅葉の見られる季節が一番きれいよ。いいわね、南天の加護を覚えておきなさい。』


ドミナは網から桃を取り出し手際よく皮を剝き終えると手刀で切ってから半分を俺に渡してきた。不思議だ、種は切れていない。俺は種が引っ付いている側をもらった。

「桃はとてもよいものよ。桃とは百々。毛毛、モモ。真実。色んなものを見せてくれるの。この実には希望と絶望、儚さと揺るぎなさ、無知と叡知、いろんなものが詰まっているの。種は占いにも使えるし、魔除けにも良いの。食べ終わったら種はわたしに頂戴。」

俺は渡された平べったい桃を味わう。ほどよく冷えている。はじめて食べる桃は、香りも優美で柔らかく甘みが強くとろり、ねっとりしていた。これが摘果のももとは思えぬほどうまかった。―俺は尻より胸が好きだったが、そうか、桃とは尻。尻とは光。そして闇。きこえるもの、みえたもので何かを悟ってきた。ドミナは果肉を頬張り実に美味しそうに食べる。汁とは知る。口から零れる汁を、俺は指で掠め取るように攫うと、それを口に運んで、含んで味わい、舌と口で学を確かめながら、桃の種を渡した。「坊やは掏児がお上手ね。いたずら好きなお利口さん。蟠桃はお気に召したかしら。」そう言って微笑むと頬に頬をすりすりしてきながら二個目の桃を渡してきた。また種がある方をくれた。白い桃、白桃だ。桃に齧り付こうとするドミナを制し、種のない方の桃を見せてもらった。その形はみだらなものだった。鄙猥で淫靡。肉厚多汁とはこのことか。その奥にあるものを見る。隠微とはこれか。俺は閃き、種のある方の桃を見る。ひとつのものが分かれふたつになる。そのふたつ、そこからきこえるリズムは規則正しく交じり合い、魂に響き綺麗なシンフォニーに恍惚した。響き渡るシンフォニーを聴く二人は見つめあうと自然と口を結び、声を鼻に抜いてメロディを歌った。見える音色も綺麗で美しく幸せを感じた。シンフォニーを聴きながら二人は手に持った桃を交差させてお互いの桃を食べあった。俺はわざとドミナの指を甘噛みしながら実を齧り、指をしゃぶり、桃を平らげると掌を舐め上げた。ドミナも俺に倣った。“amazing”白桃は地上のものよりも柔らかくジューシーで口いっぱいに果汁が広がってきて強いあまみと微かな酸味で調和のとれた完璧な味だった。これが間引いたものなのか、木になっている一番出来がよいのを食べたら、どうなるのだろう。―見えるものをみて虚無感に襲われて胸が締め付けられた。

三つ目の桃は当たり前のように実を切ることもなくふたりで齧りあった。当然が如くとは正にこのこと。黄色い桃、黄桃だ。夕暮れの真っ赤な明かりが黄桃を黄金色に染めあげていた。黄金桃は口直しにはうってつけで実はかたく艶がありみずみずしく甘さ控えめで味がすっきりしていた。果肉を齧り口中に広がる果汁を啜り、種まで辿りつくと自然と二人で種を貪るようにしゃぶりあった。絡みつく舌と舌。引っ付きあう舌と舌―きこえる、見える。光の航路―言語化も視覚化も難しい概念。

あえて名付けるなら、【大天奏曲】 うん、こう名付けよう。


ドミナは三つの桃の種を布の切れ端に包み胸のところにしまった。夕日は山の向こうに落ちかけて森の自然をまだ見えぬ星明りが照らしはじめて、昼間とは違う顔を覗かせていた。こちらに歩いて近づいてくるドミナ、二人は向き合うと固く手を握りあった。

「坊や、なにか歌をうたってちょうだい。なんだっていいから。わたしは、それを瞬時にわかるから、一緒に歌いましょう。歌に合わせて踊りましょう。」―なんだ、それ?うん、やろうか。歌う歌のレパートリーを頭の中で探す。何が良いのだろう。ドミナの顔を見つめていると俺は瞳に吸い込まれるようになぜかこの歌を歌いだした。同時に歌うドミナ。歌いだすと片方の手をほどき俺の腰に手を当ててきた。その動きに俺も倣い彼女の腰に手を添えた。デュオは静寂な自然に心地よき音色を放ち、森たちを喜ばせた。



兎追ひし彼の山

小鮒釣つりし彼の川

夢は今も巡りて

忘れ難き故郷

如何にいます父母

恙無しや友がき

雨に風につけても

思ひ出づる故郷

志を果たして

いつの日にか歸らむ

山は青き故郷

水は清き故郷


うさぎおひしかのやま

こぶなつりしかのかは

ゆめはいまもめぐりて

わすれがたきふるさと

いかにいますちちはは

つつがなしやともがき

あめにかぜにつけても

おもひいづるふるさと

こころざしをはたして

いつのひにかかえらむ

やまはあおきふるさと

みずはきよきふるさと


二人の中庸の三拍子に合わせてドミナが俺を引っ張り抱き合う。森の中、響き渡る二重唱。いや、三重奏、大合唱―ドミナの右足、俺の右足、足の側面を合わせてからダンスはスタートし、俺はドミナの軽快な身のこなしにわが身を任せた。体の重心をクルクルと波状に移動させながら身を寄せ合い、円を描くようにまわる二人の舞踏。円舞曲。歌い終わる頃、俺の左足、ドミナの左足、足の側面を合わせてワルツが終わった。左足はもう痛くなかった。―刹那、吹きすさぶ風、揺れる木々のざわめき―自然が拍手の代わりに喜びを示し表してくれた。風に靡く彼女の髪はひときわ美しかった。―雨、いや違う。川から大魚が潮を噴き上げてきた。雨の中、びしょ濡れになった二人。唖然呆然。顔を見合わせると可笑しくて笑いだし、さらにおかしくなった。川の水を夢中で掛け合って、さらにもっとおかしくなって手を叩いて喜ぶ二人。笑いも高まりふざけて小鳥のようなキスをする二人。着ているものを全てはぎ棄てて川に入って浸かったふたり。欣喜雀躍とはこれか。有頂天外とはこのこと。狂喜乱舞とは正にこのこと。

「わたしたちってクレイジーね。そう、とてもクレイジー」 

「うん、狂っている。完全に狂っている。完全に阿呆。でもね、言うじゃない。踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々って―」

 ふたりは抱き合うとお互いの唇の柔らかさを確かめて楽しんだ。そのまま水の中に沈むと川の底まで潜り、お楽しみは続いた。時よ、どうか過ぎないでほしい。

 川の羊水に包まれたふたり。ふたりの胎動は新しい生命の鼓動。これがずっと続かないのだろうか。もうこのまま胎内にいることは叶わないのだろうか。なにも汚すことなく何にも汚されることなく。なにも呪うことなく何にも呪われることなく。嗚呼、儚い。嗚呼、淡い。―大魚が邪魔するように、もしくは祝福するように、ふたりの体を体当たりしながら旋回をはじめた。はやい―嗚呼―光出す水の中―ついに―ドミナと俺はそのまばゆい光に包まれた―たたかいを始めるのかい―




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