Who Killed Cock Robin?

 そういえば、ベッドを温めるのを忘れていた。

 先刻、地階に下りたとき、厨房の暖炉の横に温め器ベッドウォーマーが並べられていたのが目に入っていた。ロンドンの屋敷でなら、主同様遅くまで起きて仕事をしているサイモンがやることが多いが、いくら有能な執事でも腕は二本しかないし、その上まだ三階と屋根裏を行ったり来たりしている頃だろう。それに、うっかり失念するということもある、なにしろトシだしな。

 彼の好意からの申し出を断ったときの、心外だと言わんばかりのしかめ面を思い出し、にやりとする。

 階段の途中でジャックは厨房に取って返した。

誰もいないキッチンで熾火おきびを搔き立て、銅製の蓋つき平鍋パンに炭火を入れる。そうして、冷める前にと、いくぶん速足で、冷気で湿った使用人階段を昇っていった。


 ひと気のない廊下はほぼ全てのが落とされていた。壁掛燭台はいくつもあるが、長い廊下の暗闇に間隔あいだをあけてぽつりぽつりと灯る炎はゆがんだガラスの覆いの中ではかなげにゆらめき、まるで底なし沼に不運な旅人を誘い込もうとする鬼火ウィル・オ・ウィスプのようだ。腰板に彫られた蔦模様も、ほの昏いあかりのつくる影の下では、からみあう蛇にも見える。

(そういえばこの屋敷って……幽霊の噂も聞かないな)

 歴史のある大邸宅には、さまよえる魂のひとつやふたつ住み着いていてもおかしくはないのに。

「……ま、いたとしても、賛美歌が響いている中には出てこられないか」

 それに、出てきたところで、あの執事が「仕事もしない奴を置いておくわけにはいかない」とか言って叩き出してしまうだろうし。

 今度、ロビンに幽霊話をしてやろう――たしかブリジットが読んでいた本の中にそんな話があったはずだ。時折、背伸びをしているような落ち着きぶりをみせる少年だが、怖い話を聞けば震えあがって、いつぞやのように彼にしがみついてくるに違いない。

 隧道トンネルのような暗がりの先、一条の光が漏れていた。主人はまだ起きているようだ。

(サイモンのやつが閉め忘れたのかな……)

 本来ならノックし、入室の許しを得るところだが、手に持ったベッドウォーマーが邪魔で、先に扉の隙間から中を覗き込んでみる。

 辞去したときより室内の照明あかりは弱まっており、机の上のオイルランプは時季はずれのファイアフライのように弱々しくまたたき、きちんとおこしておいた暖炉の火も消えかかっている。主の姿もない。部屋の温度も一気に下がったように感じられた。

 続き部屋ドローイングルームがこの様子ありさまでは、主寝室の方は氷室ひむろ同然だろう。

「何やってんだよ、サイモンの爺さんは……」

 軽く舌打ちし、肩先でドアを押し開ける。

 暗い廊下を通ってきたせいで目が慣れていたために、灰青色に染まったへやでも、見るのに苦労はしなかった。主寝室につながる扉が開いているのに気づくのも。


 ぶ厚い絨毯のおかげで足音は聞こえなかった。同様に、天蓋付四柱式寝台の周りにめぐらされた天鵞絨ベルベット緞帳カーテンが、その中で行われていること、発せられる物音のすべてを包み隠してくれるはずだった――それがぴったり閉ざされていればの話だが。

 カーテンの開いている反対側の窓から差し込む月光が、真白い敷布シーツで覆われた巨大な寝台を、石造りの祭壇のように青白く照らし出す。緞帳が半分だけ引かれたベッドの上に、人影があった。

 大きな黒い翼を持つ天使――のように彼は錯覚した。輝く銀の髪をした天使が祭壇に降り立ち、その足下には愛らしい小天使プットを従え……礼拝堂で目にしたステンドグラスそのままだ。

 しかし二、三度まばたきをすると幻は消えた。代わりに、そこに映ったのは紛れもない現実だった。

 翼と見えたのはドレッシングガウン、いつも屋敷の主がまとっているものだ。今夜も主人はそれを身につけて、寝台にかがみこんでいた。その膝許に転がっているふたつの黒っぽいかたまりは……。

 枕かと彼は思った。奥の方のかたまりはぴくりとも動かなかったからだ。

 しかし――おそらく雲が切れたからだろう――ひとたび陰った月光が残酷な手のようにカーテンの切れ目から忍び込み、すべてを表舞台に晒し出した。

 次に目に入ったのは、巻毛らしい、小さな頭だった。それから、質素な灰色の寝巻に包まれた細い体。

 薄っぺらい腹までまくれ上がった寝巻から、白樺の若枝のような肢がのぞく。その折れそうにほっそりした足首を、男の大きく骨ばった手が掴み、折り畳みナイフのように、薄い胸にきつく押しつけているのも。

 ジャックとて、さきに自分で口にしたように初心うぶでも無垢でもなかったから、そこで何が行われているのかは――嫌でも――瞬時に理解した。

 それでも、それだけのことであれば、単純な嫌悪に鼻のつけ根に思いきり皺を寄せ、ごみが入ったときのように何度か目をしばたたかせて、唾か捨て台詞を吐いて足早にその場を立ち去るくらいで終わっただろう。

 しかし彼の足は、石像とでも化したかのようにそこから動かなかった。

 男が律動し、小さな体が荒々しく揺さぶられる。衣擦れの音以上に、肉と肉の打ち合わされる音に加え、淫靡な湿った水音が冷えきった室内に響く。動きにつれて、ガウンが幅広の肩からすべり落ちる。隠されていた部分が、醜悪なまでに露わになった。

 肉の薄い青白い尻臀の間に埋め込まれ出し入れされているのは、女の手首ほどの太さの凶悪な肉の凶器だった。

 抜き身のサーベルのように、男は生贄の躰を容赦なく切り開き、その生ける鞘となった哀れな子供の喉からは、夜の静寂しじまを破って不吉な鳥が鳴き立てるような、ひいひい、、、、いうか細い声が途切れ途切れに漏れていた。

 男が歯をむきだして嗤った。しかし声は聞こえない。夜目にも白い歯列が耳まで裂けているかの如くきれいに並んでいるのがわかる。歪んだ欲望と快楽に、感極まったように目を細め、すっきりと細く上品なおとがいをのけぞらせ、地獄の底から響いてくるのかと思わせる、獣のような唸り声をあげ――

 ジャックが両手で握りしめているベッドウォーマーの柄は冷たい汗でじっとりと湿り、火傷やけどしそうなほど熱をもっていた銅鍋パンも次第に冷えてきていた。寝台の上の光景から目を離せずにいる彼の浅い息が、冷えた室内に白く吐き出される。

 今際いまわの痙攣に似た震えが、深くつながった大小ふたつの肉体を貫く。

 向うを向いて横たわっていた頭が、支えを失った人形のように、力なく、扉の方へ傾いた。

 彼の血は今度こそ凍りついた。

 こちらを見つめて――いや、長い睫毛にふちどられたその怜悧な黒い瞳はすでに光を喪っているのが、薄闇の中でもなぜかはっきりわかった――いる仄白いハート形のおもては、彼の小さな駒鳥ロビンだった。月の光にうっすらと照らし出された丸い頬は銀色の涙の跡がかすかに光を反射し、愛らしくもひねた言葉を紡ぎ出していたピンク色の唇は、大理石の彫像と見紛うばかりに色を失っていた。

 闇の中でぎらついていた男の双眸が、つい、、と戸口の方へ動いた気がして、彼は狼に射すくめられたようにびくりとした。平鍋の中の炭がからりと崩れる。その音に男が気づいたのか、どうか。

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